奏でる人と歌う人
2010年 01月 19日
思いを言葉にすることで、世界は断面になる。
ひとつとして同じ断面はない。
そのとき、あなたとわたしがどこにいて、なにを見て、
季節はいつだったか、天気はどのようだったか、
あなたはいくつだったか、わたしはいくつだったか。
言葉からこぼれおちたものもすべてふくめて、世界はいくつもの断面になる。
息もつかせないラップでつみかさなる世界の断面の数々を、
その日、ワメトークのゲストだった飯沢耕太郎さんが、ウクレレの音色で
やわらかくおし流していく。
どんなにおし流しても、リボーさんのラップは次から次へと光のように生まれるので、
世界はどんどん切りかわる。
音に、言葉に、別の音に、また別の言葉に。
外市&ワメトークの打ちあげで聴いた、飯沢耕太郎さんのウクレレと、
リボーさんのラップ、そして口笛の二重奏がいまだに忘れられない。
そして、忘れられないけれど、思い出せない。
なんというか明確な音や、言葉として思い出せないのだ。
そのときにいた「和民」の明るさや、こもった空気の感じや、照明のあたったレタスの水滴や、
そういった「場」のすべて、「時間」のすべてが、ぼんやりとまるい、あたたかなかたまりになって、
記憶のなかでとびはねている。
ひとしきり歌いおえて拍手ののち、飯沢さんがレットイットビーだったんだよ、と言った。
軽やかな手つきで弦をはじく、その指先から聞こえてきたのはビートルズで、
リボーさんは『Let it be』の旋律にのせて、ラップをきざんだのだった。
飯沢さんは深くやわらかな歌声の持ち主でもあり、『Let it be』のはじめのメロディを歌った。
飯沢さんのまわりには飯沢さんという風が吹いていて、その風にあたっているのが
なんともいえず、ここちよい。
この人がキノコの、少女マンガの、写真の、とうっすら思いながら見つめる。
リボーさんのラップを聴くたびに思いがせりあがってきてしまうのは、そのリズムが
もしかしたら走馬灯のリズムなのではないか、と思うことがある。
この世界にさよならをするときに脳裏にかけめぐるという、あの走馬灯のことを
だれにも確かめようがないし、確かめるつもりもないのだけど、
ぱしゃっ、ぱしゃっと鮮やかに世界を切ってみせる即興のリボーさんのライブを、
飯沢さんのやわらかなウクレレの音と、どこまでものびていきそうな口笛とともに、
となりで聴けたことで、わたしの世界のどこかがたぶん切りかわったはずなのだ。
その断面のことを、断面はすぐに流されていくけれど、
真正面からわたしは、わたしの言葉で語れたら、
大きすぎず小さすぎもしない、断面にみあった言葉で素直に語れたら、と、
いつも、どこにいても、わたしは思って奏でる人や歌う人を見る。
※下のコメント欄にリボーさんが、この日のラップの詞を書きこんでくれました。
ひとつとして同じ断面はない。
そのとき、あなたとわたしがどこにいて、なにを見て、
季節はいつだったか、天気はどのようだったか、
あなたはいくつだったか、わたしはいくつだったか。
言葉からこぼれおちたものもすべてふくめて、世界はいくつもの断面になる。
息もつかせないラップでつみかさなる世界の断面の数々を、
その日、ワメトークのゲストだった飯沢耕太郎さんが、ウクレレの音色で
やわらかくおし流していく。
どんなにおし流しても、リボーさんのラップは次から次へと光のように生まれるので、
世界はどんどん切りかわる。
音に、言葉に、別の音に、また別の言葉に。
外市&ワメトークの打ちあげで聴いた、飯沢耕太郎さんのウクレレと、
リボーさんのラップ、そして口笛の二重奏がいまだに忘れられない。
そして、忘れられないけれど、思い出せない。
なんというか明確な音や、言葉として思い出せないのだ。
そのときにいた「和民」の明るさや、こもった空気の感じや、照明のあたったレタスの水滴や、
そういった「場」のすべて、「時間」のすべてが、ぼんやりとまるい、あたたかなかたまりになって、
記憶のなかでとびはねている。
ひとしきり歌いおえて拍手ののち、飯沢さんがレットイットビーだったんだよ、と言った。
軽やかな手つきで弦をはじく、その指先から聞こえてきたのはビートルズで、
リボーさんは『Let it be』の旋律にのせて、ラップをきざんだのだった。
飯沢さんは深くやわらかな歌声の持ち主でもあり、『Let it be』のはじめのメロディを歌った。
飯沢さんのまわりには飯沢さんという風が吹いていて、その風にあたっているのが
なんともいえず、ここちよい。
この人がキノコの、少女マンガの、写真の、とうっすら思いながら見つめる。
リボーさんのラップを聴くたびに思いがせりあがってきてしまうのは、そのリズムが
もしかしたら走馬灯のリズムなのではないか、と思うことがある。
この世界にさよならをするときに脳裏にかけめぐるという、あの走馬灯のことを
だれにも確かめようがないし、確かめるつもりもないのだけど、
ぱしゃっ、ぱしゃっと鮮やかに世界を切ってみせる即興のリボーさんのライブを、
飯沢さんのやわらかなウクレレの音と、どこまでものびていきそうな口笛とともに、
となりで聴けたことで、わたしの世界のどこかがたぶん切りかわったはずなのだ。
その断面のことを、断面はすぐに流されていくけれど、
真正面からわたしは、わたしの言葉で語れたら、
大きすぎず小さすぎもしない、断面にみあった言葉で素直に語れたら、と、
いつも、どこにいても、わたしは思って奏でる人や歌う人を見る。
※下のコメント欄にリボーさんが、この日のラップの詞を書きこんでくれました。
by mayukoism
| 2010-01-19 21:37
| 聞いたこと