乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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あずま通りをあるく

暗くなった池袋のジュンク堂書店を横目に見ながら、あずま通りに入る。
あずま通りをまっすぐ行けば、やがて雑司が谷霊園につきあたる。
雑司が谷霊園に行くまでに、いくつかの集団とすれちがう。
さっぱりと小奇麗なスーツの集団が大半である。
駅へ向かう集団にさからいながら、あずま通りをあるく。
コンビニの白っぽい灯りは通りにあふれ、ひとびとの輪郭をぼやかす。
通りに近いコンビニは3店あり、まず小さめのセブンイレブン、次にサンクス、
サンクスの角を曲がったところにローソンがある。
あずま通りの終わり、地下を通る副都心線と都電の分岐点あたりに、
ちかくミニストップが開店すると、ある日建物に告知が貼られた。
そうすると夏は、ミニストップのソフトクリームを食べながら墓地をぬけて、
帰路につくのかもしれない。半袖の自分を思いながらぼんやり明るい霊園にはいる。
霊園の先に家があるのだ。


ある風の強い昼、ちょうどその開店準備中のミニストップの先で宅配業者の男性が、
大きなコンテナのような台車を引こうとして、突風に台車の中の伝票が舞いあがり、
文字通り四方八方に飛んでいった光景を見た。
あまりの舞いあがりぶりに、男性も呆然とし、うしろから見ていたわたしも呆然とした。
おそらく個人情報でいっぱいの伝票は、あずま通り一帯ををころげるように駆けていった。
あの伝票…再発行できるのだろうか。なくしたらやっぱり叱られるのだろうな。
彼のせいではないのに。
あずま通りは、背の高い建物のあいだをアスファルトがまっすぐに伸びているせいか、
そんなふうにときおり、怖いくらいの突風が吹きぬけていく。


「家に帰る」ことは、日々体験する「小さな死」なのではないかと思ったのは、
いつもどおり、残業後の深夜のあずま通りをあるいているときだった。
ひとり暮らしをしていたころ、なにかと寄り道してひとりの部屋に帰るのを
先のばししていたのはなぜだったのだろう、と考えながらあるいていたのだ。
帰路をあるく自分には、小さいけれどまだ「どこにでも行ける」可能性があるような気がする。
だが、いちど部屋に入ってしまえば、部屋を出る前の過去の自分に凝視されながら、
あとは今日を終わらせる準備をするだけだ。
その光景が、自分の人生が、あと何年かで終わるかもしれない、と思うときと
もしかしたら似ているのではないかという気がした。
わたしはまだいつでも、どこにでも行ける準備をしておきたいのだと思う。
わたしはまだ死をさとれない。
なんのためにかはわからないけれど、いろんなふうに生きてみたいのだと思う。
そんなことを考えながら、あずま通りをぬけ、霊園をとおり、今日も家に帰る。
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# by mayukoism | 2012-04-28 04:12 | 生活