乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


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<   2011年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ムトーさんのアトリエ

人が料理をする背中を眺めることができる。
あ、これはワンルームにおけるぜいたく、と思いながらムトーさんの背中を見ていた。

ムトーさんの細くながい脚の、右に左に重心がかかる。
んんーとか、あー?とか言いながら、ムトーさんはコピーしたレシピを幾度もながめる。
板張りのムトーさんのアトリエには、低い台所がついている。
背の高いムトーさんはすこし前かがみになりながら、ざくざくと長葱を切る。
一口コンロに、擦ったマッチで火を点ける。
外市などでいつか販売していた、ムトーさん作のマッチ箱だ。

大さじ1、とつぶやきながらムトーさんは甜麺醤の瓶に指をつっこむ。
豆板醤、豆チ醤も同じように指でべろりっとすくう。
パックのひき肉をざっくり半分、木べらで中華鍋に投入した。
手つきがおおざっぱなわりにはレシピどおりで、あらかじめ湯どおしした豆腐をくわえ、
ムトーさんはあちい、と言って中華鍋の手にぬれた布巾を巻いた。
中華鍋って噴火口のようだ、と思った。

部屋の一角は青いビニールシートでおおわれていた。
そのシートの下に、ムトーさんの仕事道具や描きかけの作品などがあるのかもしれなかった。
低い台所に、背を向けて描くのだろうか。
それとも台所に向かって描くのだろうか。
いや、台所に向かっては気が散りそうだから、横目に描くのかもしれない。
などと、どうでもいいことを想像した。

陳建一はえらいなー、と言いながらムトーさんお手製の麻婆豆腐をいただいた。
麻婆の素で作るのが麻婆豆腐だと思ってたら、陳建一のレシピがあって、
最初から作ってみたらすげーうまかったんだ、とムトーさんが言う。

でも、初めに作ったやつのほうがうまかった、と古書現世の向井さんが言う。
陳建一の店っていまもどっかにあるの?と古書信天翁のカンバラさんが言う。
もっと早く起きていればねえ、と古書信天翁のヤマザキ先輩が言う。
(ヤマザキ先輩はいちばん最後にアトリエに着いた)
わたしは同居人の隣にすわり、さくらんぼの茎を口のなかで結ぼうとしていた。
さくらんぼの茎はまずい。だれも結べなかった。

部屋のすぐそばで猫が喧嘩をはじめたので、ムトーさんは台所の窓を開けてにゃー、と言った。
窓際に並んでいた塩の容器が、シンクにぽちゃんと落ちた。

部屋の窓にはなぜかななめに吊られた電飾が、異なる色で順番に光っていた。
ときどき光が点滅するのを見ていた。
なぜ今日、この人たちがムトーさんのアトリエに集まったのか、よくわからなかった。
ただ、いまはこうして人に会っていたほうがたのしいんだな、と感じた。
想像よりも、現実の麻婆豆腐のほうがおいしいのは当たりまえのことだ。
ふむ、ふむ、と小さな台所を行ったり来たりするムトーさんの背中を見ながら、
たぶんなんかいつもより緊張してるんだよ、と向井さんが笑っていた。
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by mayukoism | 2011-06-16 04:01 | 生活

T君への手紙

つかのまの雨が、それぞれの夜を冷やして通りすぎていきました。
元気ですか。
わたしは元気です。
とくに変化といえるような変化もなく、あいかわらずのリズムで日々を過ごしています。

もうすぐ36になります。
驚くのにも、嘆息するのにも、笑い飛ばすのにも、
とっくにあそび飽きてしまった風船のように、ただ手の中でもてあそぶしかない、
自分の年齢をそんな感覚でとらえています。
変化といえば、お酒には弱くなりました。
量を飲むと眠くなるので、味わうようにゆっくりと飲むようになりました。
地震の前日は休みで、新宿で同居人とそんなふうにお酒を飲んでいたような気がします。

震災のあった3月11日は勤務中でした。
14時過ぎから休憩に入り、近くのドトールでいつもどおりチーズトーストを注文して、
1階窓際のカウンター席に座っていました。
揺れている、と思いました。
弱い揺れがながくつづきました。
クレッシェンドのように同じ波動の揺れが、どんどんなにかを巻きこんで、強くなりました。
窓の向こうのビルが、こんにゃくのように震えていた。
入社1年目の新人社員しか売場にいないことを思い出し、食べかけのチーズトーストをそのままに
小走りで売場に戻りました。
エレベーターは停まっていました。
すれ違ったアルバイトさんに、声をかけながら上階へ階段で向かいました。
売場は、上段の本がなんの規則性もなくほとんど落下して、狭い通路をふさいでいました。
長く働いていますが、本屋でははじめて見る光景でした。
それでも本を探しているお客様(!)の問い合わせに息切れしながら答えつつ、
非常階段からの退店をお願いしました。
従業員もすべて外へ避難しました。

もう、思い出す人も多くないと思いますが、この国の震災の前月にニュージーランドで
大きな震災があり、日本人留学生が多数亡くなりました。
わたしはなぜか、この震災のニュースから連日、目をはなすことができませんでした。
目的と希望を持って、家族のもとを離れて旅立った若い人々が、異国の地で天災により命をおとすということ。
これはいったいだれの、なんのせいなのか?
まずわたしが思ったのはそれです。
だれのせいでも、なんのせいでもないことはわかっています。
でもなぜ「たまたま」外国語を一生懸命勉強しようと思った人々が、
「たまたま」留学先にニュージーランドを選んだために、「たまたま」震災にあい、
「たまたま」そのときにいたビルが倒壊し、「たまたま」命を落としてしまった。
「たまたま」の犠牲があまりに大きすぎることが、自分のなかで処理できなかったのです。

そんなとき、図書館で見つけた本がありました。
佐々木美代子『記憶の街 震災のあとに』(みすず書房)という本です。
前日まで神戸に帰省していた著者が、東京で知った阪神大震災を
「半ば当事者半ば目撃者として、つまり半被災者という曖昧な立場」に立たされながら、
見つめつづけた記録でした。
この本に印象に残った一節があります。

天災はこんなふうに、人の生に、容赦なく、なんら加減することなく、全く不躾に、押し入ってくるのだ。
いくら他の事柄で充分、苦しみや悲哀のさなかにあろうが、無関係に突如襲いかかって来る。
天災だけは、とりわけ地震だけは、取り付く島のない暴君のように、この地上で何の前触れもなく
不意にひと暴れし、その後はしんと取り澄ましている。人々が各々味わう幸不幸のそれなりの程のよさ……
なんて、人間の勝手な思い込みであって、現実は、この世界は理不尽そのもの、予測不能そのもの、
苦難や悲しみの質量は不公平そのものだと、今更に認識させられる。


読んでみればあたりまえのことですが、わたしはこの一節を読んで、ようやくなにかが
腑に落ちた、ような感覚をおぼえました。
この世界は人間の意識などはるかにこえて理不尽で、不条理なものだということを、
言葉ではじめて理解したように思いました。
もちろん、理解したところでここから先には一歩だってすすめません。
たとえば実際に天災が起き、身近なだれかに被害がおよんだとき、
「この世界は不条理なものだから…」と自分自身を納得させれらるかと言えば、そんなことは
できないにきまっています。
ただ、自分のなかで沸騰したまま処理できなかった感情を、とりあえず引き出しにしまうことができた、
そんな実感をちょうど反芻していた、まさに矢先だったのです。震災が起きたのは。

覚悟していた以上の現実が、目の前にべろりと皮を剥いで露わになりました。
津波の力と人間の非力。
Tくんをはじめ、小さい子どものいるIくん、Sくん、みんなのことを思いました。
いなくなったKくんと、ご両親のことも思いました。
みんながそれぞれの立場で、それぞれの思いを抱えて、3月11日を受けとめ、いまもいるのだろう。
わたしは、震災の翌日が祖母の一周忌法要の予定だったのですが、延期になりました。
しばらく職場は短縮営業になり、当然のごとくお客様は減り、売上も下がりました。
延期になった法要は先々月いとなまれ、いまは通常どおり売場も営業しています。
震災の記憶は傷のように鈍い痛みをのこしたまま、傍目にはこれまでとかわらない日常を
くりかえし過ごしています。
みんなの話を聞きたい、とずっと思っていました。
あの日どうしていたのか、これからどうするのか、なにを思ったか、ただ、あの人たちに聞きたいなあ、と
漠然と思っていました。
そんなとき、Tくんからの手紙が来ました。

わたしは、自分はもうたぶん変わらないだろう、と思っています。
それはあきらめではなく、ただ冷静に、現実的に、これ以上自分の生き方や考え方の根本が、
服を着替えるように変わるようなことはないし、変えるつもりもない、と考えています。
そう知ったことで、強くなった自分もいるし、弱くなった自分もいます。
変わらないこの場所からなにができるだろう、と考えます。
変わらなくても、いま自分のなかにある持ちもので、なにかできるのではないか。
そもそも、この「持ちもの」を自分は最大限に使いこなしてきたと言えるのだろうか。
いまは、そんなふうに考えています。
気負わずに、力まずに、そこから感じてみようと思っています。

阪神大震災のころは小説を書きたかった。小説を書いていました。
無鉄砲で、無邪気でした。
小説はもう書いていません。これから書くのかどうかもわかりません。
でも、小説を書いていたあのころと同じように、わたしはやはり言葉でしかひらけないわたしの部屋を持ち、
言葉をつづることによってしかたどり着けない場所がある、
それはいまでも変わりません。
もう少し変わっていればよかったくらいのものなのかもしれませんが、こればっかりは仕方ないね。


長くなりました。最後までおつきあいいただきありがとう。
また会いましょう。
それまでどうか元気で。
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by mayukoism | 2011-06-10 02:14 | 言葉
雨の予報を耳にすると、つい雨を待ってしまう。
雨が降る前にうごきだせばいいのに、雨が降りだしたのを見て
雨だ、雨だね、とちいさなだれかに話しかけたい。
本日の雑司が谷はまとまった雨が降りだすことはなく、
ひらいたまま頭にはいってこない本の言葉のように、
ときおりぽつぽつと粒を感じるていどだった。

雨の意味が、3月11日から変わってしまった。
わたしは雨の日が好きなので、なぜならそれはどこにいても
雨にかこまれて自分の部屋ができるから、
傘ひとつぶんの空間にかくれて、空想を咎められない気がするから、
だから雨が好きだ。
雨のにおいや土のにおいを肺の細胞の襞まで、吸いたい。
そこにほのかな不安があることにとまどう。

こないだレジに入っていて、いらっしゃいませ、と本を受けとったときに、
ふとなにか、理解のかたちのようなものが自分のなかにおりてきた。
ふだん新刊書店ではたらいていて、レジに入ることもそれなりにあるのだけど、
抜き手をきって泳ぐように、つぎからつぎへと本を受けわたししながら、
ときどき目の前の出来事とはまったく関係なく、なにかがふと
おりてくるような気持ちになることはよくある。

いま、というのはまだ書かれていない本のことなのだ。

そのときふってきたのはそれだった。
手わたされた本にカバーをかけながら、
書かれた本のことばかりを、描かれてしまった色のことばかりを、
自分は考えていたのではないか?とふいに思った。
書かれた本は目に見えるし手をのばせばとどくから、
つい、すでに形になっているものばかりが鮮やかに自分のなかへきざまれてしまう。

大事なのは、本はまだ書かれていないということだ。
いま、というのはつねにまだ書かれていない一行のことだ。

現在という時間は書かれた本、描かれた色、奏でられた音にあふれていて、
漠然となにかをしたい、ような気がする、そんな気持ちをおしながす。
いま目の前にあるすばらしい本や絵にくらべ、ぼんやりとした夜の個人的な焦燥なんて
なんて無意味、と自分で自分をあきらめてしまう。
ただ、焦燥の記憶だけが、身体に澱のように積もっていく。

本はまだ書かれていない、という意味で、「いま」という時間はだれの前にも
同じように存在する。

これはいまの自分にとって、とても重要な理解だったのだ。
意味がわからない、という方がいたら、これがわたしの説明する能力の限界。ごめんなさい。
そう、これはとても個人的な備忘録で、こうしてあのときの理解の感覚を
言葉でときほぐしながら、編みなおしながら、いまにも見失ってしまいそうなほど
あやういものだとわかったから、ここに記しておこうと思った。
本はまだ書かれていない。
これから「それ」が書かれるのか、書かれないのかはだれにもわからないし、他人には決められない。
そのことに、もうまどわされないでいたい。

レジに入りながらどこまでも思索をひろげる、不真面目な書店員だぞわたしは。
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by mayukoism | 2011-06-02 05:11 | 生活