乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2011年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

先だって風の強い夜、二次会へむかうにぎやかな人たちと別れ、ひとあし先に帰路についた。
地下鉄は都心の駅に向けて徐々に混みあい、頭の芯にはりついて離れない疲労をもてあましながら、
ひとりの自分をたしかめていた。
学生のころ門限が人よりも早かった自分にとって、宴を途中でおいとまするのは大げさなようだが、
いまでもかなりの贅沢なのだ。
もう少しこの贅沢を手にしていたくて、ひとつ先の駅で降りた。
遅くまで営業している本屋に入った。
なにかあればいいな、と思った。でもなにも見つからなくてもいいんだ、と自分をいさめた。
漠然と「なにか」を探すのは自分がよわっているときで、たいていなにも見つからない。
案の定、なにも決まらぬまま閉店のアナウンスがながれた。
エスカレーターに向かって歩くと、見たことのない平積みの表紙が見えた。

それが橋口幸子『珈琲とエクレアと詩人』(港の人)だった。
表紙の赤茶色のスケッチにまず惹かれ、そのスケッチを映しだす乳白色に惹かれた。
その厚みと軽さもすぐ手になじんだ。定価を見て正直おどろいた。
世のすべての詩に関する書物が、これくらいの値段だったらいいな、と本音を言えば思う。
BGMの消えた店でこの本を購入し、小脇にかかえてうきうきと部屋に帰った。
寝る前に読む本、とはじめから決めていた。
いちにちの終わりにまっさらな頭で、布団のなかで体勢を変えながら、行儀わるく読みはじめた。

「港の人」は鎌倉の由比ヶ浜にある小さな出版社である。
詩人の北村太郎さんと「港の人」代表である里舘勇治さんは、北村さんの横浜時代、
ご近所に暮らした縁で家族ぐるみの親交があり、1997年に設立した出版社に里舘さんは
北村太郎の詩集の名前をつけた。
もうずっと前からそこにあるようなしずけさ、というのが「港の人」がつくる本にいだくわたしの印象だ。
発売されたばかりの本はまだ棚にもなじまず、たいてい浮足だってざわついているのに、
「港の人」の本はにぎやかな書店のなかで、そこだけ目をとじる人のようにしずかだ。

『珈琲とエクレアと詩人』は北村さんの鎌倉時代に同じ家に暮らし、
北村さんがあるはげしい恋愛を経て、亡くなるまでのあいだをそばで見つづけた
橋口幸子さんによって書かれた短いエッセイ集である。
この本には、北村太郎さんのことしか書かれていない。
それも、いままでに読んだ詩やエッセイなどから、自分が読者として漠然と思い描いていた
「詩人・北村太郎」の姿ではなく、橋口さんのなかにいる橋口さんだけの「北村さん」の姿だ。
橋口さんのなかにある小さな部屋にはいまも小さな「北村さん」がいて、
入れ歯がはずれそうに大きな口で笑ったり、ソーメン食べる?とソーメンを茹でたりしている、
そんなあざやかさと親しさで、すべての文章がつづられている。

読んでいるあいだずっと、橋口さんの小さなたいせつな部屋をそっとのぞいているような気持ちだった。
この大事な部屋を散らかしてはいけない、と無意識に息をつめるように読んでいた。
橋口さんご自身の現在のことはほとんど語られないが、「二度目の鎌倉」という章のはじめに
わずかにふれられ、そのことさえ北村さんへの詫びの思いにつながっていく。

この本が「港の人」以外の出版社から出ることはありえないだろう。
「港の人」と「北村太郎」とのつながり、「北村さん」と橋口幸子さんとのつながり、
すべてが渾然と必然となって書物のかたちになった、希有に幸福な本だと思う。
そして幸福であることがかなしいのはなぜなんだろう。
橋口さんの部屋で、いまもたしかに息をしている「北村さん」があまりに素朴で、
その部屋をきっとずっとあたためて、ときには風をとおし、ときには現実にそうしたように
「超強力な掃除機」をかけたりしてきれいにして、ひとりでまもってきたのだろう橋口さんの、
北村さんに対する思いがあまりに深くて、読みおえたときなにも考えたくない、と思った。
ただ、この本を読みおえた、ということを、できるだけずっと感じていたかった。
それよりほかには言葉にならなかった。
自分の中にも小さな部屋ができた、と感じた。

そして、『珈琲とエクレアと詩人』を読めばどうしたって、ねじめ正一『荒地の恋』(文藝春秋)を思い出す。
どちらがどう、というわけではなく、この2冊はともに読まれてほしいと思う。
『荒地の恋』でありありと想像した、いくぶん若々しい北村太郎の姿が、
『珈琲とエクレアと詩人』ではもうすこしゆっくりとしたはやさで、とことこと前を歩いていく。
『荒地の恋』に賛否はあると聞くが、わたし自身はこの2冊を読んでよかったと思っている。
詩人のなかにあるのは言葉ではなく、「詩」という肉体がおそらくたしかにあるのだと、
その「詩」が詩人を生むのだと、それぞれのかたちで知ることができたから。

『荒地の恋』を読んだのは数年前の冬で、そのころわたしは婚約話をひとつ破談にしようとしていた。
破談が現実になるのはすこし先のことだったけれど、自分のなかでなにかがすでに変わってしまっていた。
もちろんそれは『荒地の恋』を読んだこととなんら関係ない。
ただ、ひらいてしまったトランプのようにもう戻れない感じ、戻らなきゃ、と思うのに、つぎからつぎへと
つらなってひらかれるカードのようにひきかえせない、その行きどまりの感じを『荒地の恋』とともに思いだす。
『珈琲とエクレアと詩人』とともに思い出すかもしれない景色がどのようなものかは、いまはまだわからない。
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by mayukoism | 2011-04-24 02:23 | 本のこと

夜と胃薬

身体のどこかがいたむ。

いたんだ場所をさぐるのに、自分の内側に目をむける。
すると、身体の内側から夜になる。
あおい暗闇をさぐりながら、今日の自分をたぐっていくと、
ああ、缶のワインはめずらしいと思って、歩きながら飲んだな、とか、
レモンのグミをつまんでいたら袋が空になっていたな、とか、
いたみの原因は、いくらでもおもいうかぶ。

食べるものがわからなくなって、空腹感をのこしたまま夜の大通りを歩けば、
からっぽの胃袋が、夜に親和する。
胃袋のほころんだ部分から、夜がしのびこんでくる。
このにぶいいたみのありかがこの場所にあるな、とわかる。
夜は、胃のいたみをやわらげない。むしろ、いたみをはっきりかたちづくる。
そのいたみをマゾヒスティックに身体中で感受するのが、夜だ。

胃がいたむ夜ほど、ひとりを感じることはない。
過ぎるまでにいたみの質や、リズムがどんどん変化する。
とりあえず身体をまるめて、このいたみのながい一小節がとぎれるまで、じっと待つ。
いたーい、とさわいでみても治らないので、ただじっとしている。
同行者がいるときは、申し訳ないなと思う。
思うまもなく何度目かのいたみがくる。

こどものころから胃腸がよわかった。
母子手帳の記録に、カンチョーされたことがのこっているらしい。

いたみがひいて、明日のためにとりあえず薬を飲んでおこうと蛇口をひねるとき、
透明なグラスに、透明な水がそそぎこまれる。
夜の水は銀色のシンクの上で、しずかに光りつづける。
この水に。
放射能がはいっているかもしれない。
しれなかった。
と、この春は水を汲むたびに思う。思いながら飲む。
夜の水は、夜の発するかすかな光をあつめて、そこだけあかるくてきれいだ。

夜、会社を退館するとき、警備室に鍵を返しにいく。
今日、警備室の窓を開けると警備員は不在で、机の上にオレンジの
「エビオス錠」が置かれていた。
こどものころ、一回の錠数が多い薬を手のひらに出すとき、錠剤の配置でいっとき、
星座をつくろうとした。
おちゃわん座、とか、もみじの葉座、とか存在しない星が手のひらにできる。
他人の胃のことを思うときも、わたしの内側が夜になる。
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by mayukoism | 2011-04-17 03:41 | 生活

晴れた4月にすきなこと

集合住宅の銀色のポスト


シルエットになる台所用品


地図をながめる


ひらきすぎたチューリップ


まぶたにのる光の重さ


曲線的なボンネット


紙片のような飛行機


雨の歌をうたうこと


カーテンの足もとがわずかにゆれるのを見ること


蜘蛛の巣をみつける


蜘蛛の巣にからまる


屋上で食べるうどん


作家の年譜をながめる


日中なのに、夕暮れみたいな光がくる


花びらの落ちる速度


バスの窓の暗さ


波をうつ植えこみ


自転車の走る速度


夏の話をすること


背中
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by mayukoism | 2011-04-15 03:05 | 言葉
ゆっくりと、目を閉じるように暗くなり、もう目覚めなかった。
4月4日、わたしの携帯電話。

4月5日、データ消去に許可、の空欄にチェックをいれる。
電話帳はのこったので、電話はできる。



ハロー。
ハロー。
こちら地球、TOKYO、雑司が谷、夜です。
ハロー。
こちら2011年、4月10日、SUNDAY、春です。

どうかあたたかい場所にいてください。
暑すぎず。
寒すぎず。
あかるく透きとおった、かろやかなあなたの皮膚にちょうどいい温度で。

ハロー。
おそらくいくつもの数字の羅列を、おおきな水がさらった。

場所をさししめす数字。
順番をさししめす数字。
今日をさししめす数字。

あなたをさししめす数字。

わたしの指はあらゆるやりかたで4を書きつける。
いかなるやり方で4を書きつけても、あなたの4月にたどりつかない。




だいたいき、代替機、ってかたくななおとなみたいなひびきだね。
そう言うと代替機はふてくされて、た行を出そうとするとま行を出してきた。
ボタンの距離が、他人行儀。

4月7日、花見の連絡が代替機にとどく。
4月8日、予約書籍確保の連絡が代替機にとどく。
4月9日、代替機にはだれからの連絡もとどかない。

あんまり揺れると、不機嫌な代替機から数字がこぼれおちてしまう。



あの日、おそらくたくさんの数字が、手のひらからこぼれおちた。
いま、いくら数字を書きつらねても、あの日にとどかない。
いったいどれだけの数字の羅列から
意味がうしなわれてしまったのだろう、と想像するとき、
はなればなれになってしまった膨大な数の数字が、
かけあわされ、
かけあわされて、
まっくらな夜の海になる。




いったいどこに行っただろう。
目覚めない携帯電話に入っていた、わたしの
小さな空や川や窓や、くりかえした言葉。
もう二度とここへは戻らないのなら、
かけあわせ、
かけあわせて、
TOKYOの桜が咲きましたよと、夜の海にそそいでほしい。
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by mayukoism | 2011-04-10 04:48 | 言葉