乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2011年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

占っていただきました

りぼん、なかよしなどの漫画誌とともに、少女のころに一度は存在を認識する雑誌として
『My Birthday』という月刊誌があった。
星座、おまじない、カード、血液型などのありとあらゆる占いに関する記事が中心で、
星座別に毎日参照できる「マンスリー・ホロスコープ」というページがあった。
「今日のラッキーカラーはイエローか・・・」
などとその日の運勢をたどって、黄色い服やアイテムを必死にさがして身につけ、
登校したりしていた、当時小学生のわたし。

が、「あこがれの人」がはっきりと「恋愛対象」に変化するように、結論をはかりにくい占いより、
目の前のめくるめく現実にどう対処すべきか、ではちきれんばかりとなった思春期の自分は、
いつのまにか占いから遠ざかっていた。
気にならないわけではない。
まったく信じていないわけでもない。
ただ、それをたよりにしても、手元には結局なんにも残らない、と思っていた。

ご近所であるわめぞの「ぞ=雑司が谷」に「JUNGLE BOOKS」という「古本と占い」の店が
昨年オープンした。

オープンする前からジャングルさん夫妻(田波健さん・有希さん)の噂はよく耳にしていて、
健さんは無類の本好きで元パンクロッカー、有希さんはタロット占い師、という
異色の経歴からこわいような、わくわくするような気持ちでお二方の姿を想像し、
さらに、ジャングル息子さん(小学生)のさまざまな伝説(わたしが好きな伝説は、
池袋駅前の「服部珈琲舎」で、一人でカレーライスをオーダーして食べていた話)を
聞いてますますおののいていたのだけれど、お会いしてみたらなんだか愉しいご家族で、
とくに有希さんと話すうちに、忘れていた「占い」についての感覚を思い出していた。

で、先日、占っていただきました。
対面占いはもちろん初体験。

生年月日と名前をお伝えし、自分でもつくづく曖昧だと思う「懸案事項」について、
しどろもどろに説明する。
有希さんはいつのまにかタロットカードを、水面をなでるようにやわらかく混ぜている。
それはね、ぜんぜん曖昧じゃないですよ、と言われてひどく安心する。
ひらかれたカードから有希さんがわたしの過去や、現状や、少しさきの未来について、
水のようにやわらかく話しはじめる。

そのカードには、有希さんにしか見えない文字が書いてあるにちがいない、と思った。
それくらいわたしの過去や現状に関する話が、現実の自分と合致していた。

自分が「こう見られている」というのは自分でなんとなくわかるものだ。
正直に言えば、処世術としてそのイメージを利用することもある。
「たぶんこう見られている」けど、「実はこういうところもあり」、「本当はこうなのだ」という部分を
ゆっくり語られて、狼狽した。狼狽のあまりちょっと泣きそうになったくらいだ。
そこにはいったいぜんたいなにが書いてあるのだ?と。


占ってもらうまでは、やりすごせるかもしれないと思っていた。
やりすごせるかもしれないことを占っていただくのは悪いな、とも思っていた。
占っていただいたら、自分がどれだけそのことを考えていたかがわかった。
占っていただかなければ、それはわからなかった、かもしれなかった。


占いは答えではなく、自分を客観的にをしめす座標のようでもあるのだなあ、と思った。
座標平面に、座標軸をひっぱり、座標の位置がとん、としめされる。
すると、しめされた座標がなにかを語りはじめるのだ。
座標でしめされた自分は、その位置からひろがる景色を眺めてみる。
眺めてみて、はっとする。ああ、と思う。
そういうことだったのかあ。

初占い、おもしろかった。
もしかしたら占いを敬遠したり、少々おそろしく思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、
有希さんのお話を聴くだけでも楽しいので、ぜひ足をはこんでみてはいかがでしょうか。
もちろんいい本もたくさんあります。
pippoさんの「古本ざしきわらしが行く JUNGLE BOOKS編」も必見です。
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by mayukoism | 2011-01-28 03:15 | 聞いたこと

twitter的日常 その5

ずっと、川が近くにあるような気がしていた。


矢印に、意志があったらかなしいだろう。


丸ノ内線で、終点まで行ったら生まれかわる。


いつまでも終わらない三つ編み。


HONNEST、と刺繍されたキャップをかぶる。


鳩居堂の便箋を今日つかいきった。


三越の紙袋は人を幸せに見せる効果がある。


丸ノ内線で、終点まで行ったが生まれかわれなかったので、戻ってきた。


この目は、前をよこぎる猫しか見ることができない。
うしろをよこぎる猫を、見てみたいのに。


あらかじめチャージされたsuicaをいただく。


気まぐれのクイックルワイパーに正しく埃が付着する、
正しい冬がすきだ。


生まれかわることはできなかったが、新高円寺で目が覚めたとき、
前に座った人が4日前の日経新聞を読んでいたのでおどろいた。
(一面に「与謝野氏経済財政担当相内定」みたいな見出しが出ていた)


スカイツリーのような高い志。


ささくれをむく派、むかない派、爪切りで切る派が混在する大通りだ。


室外機が、世界中の寝息のような音をたてている夜。


誰かが急に言い出したんだ
「川って海につながってんでしょ…」
おーしっ たしかめに行くぞーっ
行ったんだ ほんと確かめに
そんで3時間ぐらい歩いた時に
「川のはじまりって…」
イエーッ 気になる知りてーっ
来た道をくるり 逆にもどり
また3時間ほどたったころに
「ねぇ なんかお腹すかない」

スチャダラパー『彼方からの手紙』より



もったいぶらないで富士山を見せてよ。


ホームに入ってくる地下鉄は、いつでも未来の乗り物みたいだ。


今日から生まれたこどもひとりにつきひとつの名前と、ひとつのアドレス。


いまはこの世にいない人の筆跡がのこる。


ずっと、川が近くにあるような気がしている。
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by mayukoism | 2011-01-21 03:15 | twitter的日常

2階のある喫茶店

喫茶店は混みあっていた。
階段を上がってすぐのところにひとり席を見つけ、リュックをおろした。
中ほどでおおきくカーブする階段の、ほぼ真上にある席なので、
のぼる人のすがたと、下りていくひとのすがたがよく見えた。

のぼる人の息づかいは、すこし急いている。
まっすぐに2階を見つめて、空いてるかな、空いてないかしら、とややけわしい表情をする。
階段を上がりきったところで、とん、と大きく足を鳴らす。
存外に大きく鳴るのだ、足の裏というものは。
だれかがのぼってくるたびに、ひとり席のわたしはすこし身がまえる。

下りるひとの背中はいさぎよい。
あたたかさやあまやかさをふりきり、もう戻りませんさようなら、という覚悟のようなものが見られる。
足音は均一にとおざかっていく。
つむじとはなんと無防備なものだろう、と見下ろすわたしは思う。
視線を戻すと、読みかけのページに髪の毛の影が一本、外にむけてすうっと伸びている。

前髪に手をやって、このへんか、と押さえてみたけれどここでもない、ここでもない。
頭上の白熱灯が見つけた一本の跳ね髪を、わたしはすぐに見つけられない。

たまに他人に白髪を見つけられて、抜いていただく。
白髪の銀座地帯が右の側頭部の一部にあるらしく、ちくんとした痛みに慣れたころには
銀座は耕されて、更地になっている。
自分では白髪を見つけられない。
頭のあちこちを押さえて、ようやく跳ねた髪のあるあたりを見つけた。

約束の電話がかかってきたので、席を立った。
入れかわりに上がってきた人が、わたしのいた席に座った。
わたしはその人に、わたしのつむじがどのように見えるかを聞いてみたいと思ったけれど、
カーブのところでのぼってくる人を待っていたら、
そんなふうに考えていたことさえ忘れてそのまま下りてしまった。
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by mayukoism | 2011-01-14 03:11 | 言葉

わたしにはできないこと

年のあらたまるころになると、わたしは自分にできないふたつのことをよくかんがえる。

ひとつは「手帳をつけること」。
頭のなかでスケジュール管理ができるわけでもないのに、わたしは手帳を
つけることが苦手である。
手帳をつける自分を、もうひとりの自分が上から見おろして、
「もっとていねいに書け」
「一週間に一冊のペースじゃおそすぎる」
「ドトールばかり行くな」
などとうるさく言われているような、手帳に監視されているような気分になって、
だいたい桜がほころぶころになると、ひっそり机の奥にしまいこまれている。
今年も手帳売場を何度もうろうろしたのだけど、まだ買っていない。

もうひとつは「買い置きをすること」である。
年末年始で出入りもひんぱんになるだろうから、
軽くなってきた洗剤を買っておく、
お客様があったときのために歯ブラシも買っておく、
いつかなにかで入用になるだろうから水も一本買っておく、
というようなことがわたしはできない。
室外機から出る風の有効活用法、にぼんやり思いをはせる「現在」のわたしが、
はやくはやくこっちにおいで、と「ほんの少し未来」の自分に急かされているような気持ちになって、
なくなってから必要になってから、考えればいいよね、とふたたびぼんやりに戻っている。

同居人は、このふたつのどちらもできる。

手帳は毎年同じタイプのものを、書店に手帳がならびはじめるころにはもう買っている。
いちにちの終わりのふとした時間に手帳をとりだし、今日食べたものや読んだ本を、
かんたんに書きしるしている背中を見る。
生活用品をまとめておくことにした小さな天棚には、いつのまにか5個組ティッシュと
6個組トイレットペーパーがふたつ、ウェットティッシュの詰め替え用がひとつ、入っていた。
椅子の上にのらないと開けられない戸棚の前で、ひとときあっけにとられた。

だれかと暮らすと、自分にできないことや、自分に足りないことが
あぶりだしのようにうっすらゆっくり、見えてくる。



フライパンの炒めものを返すのが苦手。(同居人は得意)
帰ってきてすぐに着替えることができない。いったん休みたい。(同居人は休まない)
引き出しのなかの小物が、いつのまにかばらばらになっている。(同居人の引き出しはきれい)



ある日、仕事を終えて帰ったら、前髪に整髪料がぴかぴかくっついているように見えたので、
なにかついてるよ、と同居人に言うと、同居人は顔の半分で笑い、もう半分をくもらせて、
じつはこれにはとてもかなしい物語が、とすこし前にあったことを話しはじめた。

あさりの味噌汁を作ろうと思った。(すばらしい)
あさりの砂抜きをしようと蛇口をひねったら、あろうことかお湯が出ていた。
(われわれの部屋はバランス釜方式なので台所の蛇口はひとつです)
砂抜き初体験の同居人は、どちらかというと塩分濃度に気をとられ、
しばらくお湯が出たことに気がつかなかった。
あわてて水に入れかえて、息をのんで待っていた。
が、貝はだまったままいっさい口をひらかなかった。

わあどうしよう、とあわてた同居人はなぜだかそこであまりに気が動転したためか、
無口なあさりを鍋に投入し、お正月にいただいた日本酒を入れ、
「酒蒸し的なもの」に切りかえようとした。
が、「酒蒸し的なもの」初体験でもある同居人は、ぐつぐつとはげしく沸騰する日本酒を見て
またもや動転し、ああっと鍋のふたをひらいたところ、目の前にばうっと火柱が立った。
貝はそのまま永遠のねむりについた。
焦げた前髪と、焦げた髪特有の匂いだけが部屋に残った。

ばか、とわたしは言った。

前髪を焦がしたり、引っ越し早々車にぶつかったり、仙骨にヒビをいれたり、
そういう「わたしにはできないこと」も同居人はよくやる。
そういうことはお願いだからもうやらないでほしいと思う。

焦げた前髪は毛先が金髪のように光り、チリチリになっていた。
ヘアカットの経験はないけど、緊急事態なのでわたしが切った。
まっすぐな黒髪の合間のチリチリは案外と目だった。

同居人の名誉のためにつけくわえると、「あさりの悲劇」の日にはじつはもうひとつ
食卓にならんだおかずがあって、
それは「えびチリ」だったのである。
ちゃんと皮をむいて背ワタをとったのだ、とそのときだけは誇らしげに言った。
わたしは「えびチリ」を、実は作ったことがない。
たまにそういう手のかかるものをつくってくれる同居人を、なんだかおもしろい生き物に
会ってしまったよなあ、と飽きずにながめることにしている。

翌日、同居人は床屋で髪を切っていた。
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by mayukoism | 2011-01-10 03:49 | 生活