乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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twitter的日常その3

椿の落ちかたは、いさぎよい。

勝負師になるべきだったのではないかと思いはじめている。
AかBか、ギャンブラーはどちらかを「選択」するわけじゃない。
どちらかを「捨てる」のだ。

ナマステはこんにちは。
ありがとう、はなんだっけ?

きみが短パンとしてはいているそれはあきらかにトランクスだ。
(高田馬場の雑踏にてとある少年と会う)

三好達治にキスされた藤沢秀行。

キアズマ珈琲にて「いつもの、でわかりますよ」と言われた日。

ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。
(『石原吉郎詩文集』講談社文芸文庫より)

スタミナ丼を半分こにして食べるのに年齢制限ってあるかな。

短い横断歩道の赤信号を、待つ人の帰る家と待たぬ人の帰る家。

たまにデパートで洋服をながめると、世の中ってこんなに清潔だったのか、と思う。

『グーニーズ』が好きで、キー・ホイ・クアンが好きだった。
ビデオを再生して、キー・ホイ・クアンが映っている場面を写真に撮って、隠し持っていた。
チャイナ・タウンについて図書館で調べた。偶然会うところを夢想した。
好きになった芸能人てそれだけ。

柴犬と秋田犬とハスキー犬の鳴き真似を交互にする。

雪が降ると、点字ブロックがうもれて、わからなくなってしまうのだ。
はじめて気がついた。
手をひく。

きのうこぼしたスジャータが空にはりついたままで夜が来た。

ことあるごとに正しい判断をすることに、いいかげん飽きてしまいました。





いまきみがわたしにのびてその指の先からわたしが中心になる





サンマルクカフェでとなりの席の少年は勉強をしていた。

少年が携帯電話を持って席を立つ。

少年がいない間に、そのまた隣の2名席に3名のグループがぎゅうぎゅうと腰かけた。

きついわね。
だいじょうぶかしら。

少年は戻らない。

そのうち、ほかに空席ができて3名のグループはがやがやとそちらへ移った。

ほどなくして、携帯電話をぱちぱち鳴らして、少年が戻った。

ソファに腰かけ、付箋のたくさんついたページをひらいて、
少年はふたたび文字の国の住人になった。

少年、きみがおおいなるなにかに守られていることを、きみは知らないで、
知らないままでいい。





ブラジャーをはずせば冷えていくだけの駅をゆっくりすべる終電
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by mayukoism | 2010-03-12 02:17 | twitter的日常

後日

降りたことのない駅で待ち合わせした。
改札前にはだれもいなかった。
駅前の公団住宅のまんなかに、クレーターのようにひらけた公園があり、
そこで香典袋の表書きを書いた。うまく書けた。
ふたたび改札に戻ると、知った顔がいくつも集まっていた。
会えばみな久しぶり、と笑った。
電話して、彼のお母さんに迎えにきてもらった。
現れたお母さんの姿を見て、似ている、と思った。
こんなに大勢来ていただいて、とお母さんは言った。
黙って、エレベーターが来るのを待った。

案内されたのは、とても小さな部屋だった。
去年引っ越したのだとお母さんは言った。
女の子はスリッパを履いて、とお母さんが忙しく動きまわっていた。
テーブルの上にあふれそうなほど、お寿司やビールがのせられていた。
集まった10人が、仏壇の前に一列に並んだ。最後に並んだ。
仏壇の脇に仏頂面の小さな写真があって、なんだか顔色が悪いなと思った。
最近ではなく17歳のころの写真で、太宰の真似をして撮ったのだとお母さんが言い、みな笑った。
椅子が足りなくて、洗濯かごを逆さにした上に座布団を敷き、Eくんが座った。
お母さんがしきりに謝っていたが、こういうときのEくんはとてもタフでさわやかなので、
むしろこちらのほうが高さがちょうどいいというか、などと言ってまたみなが笑った。

雑司が谷白想4を書いたとき、彼がなぜ亡くなったのか知らなかった。
その日集まった学生時代の仲間の、だれも知らなかったのだとそのとき知った。
彼が学生当時からあまり眠らないことも、夜中に頻繁に電話をかけてくるので困っている、
という話も、一昨年くらいからいくつか聞いて、知っていた。
Kが死んだ、と電話口で言われて、とっさになんで?と聞いていた。
わからない、とその人は言い、その答えで、聞こうとする気持ちは少しもなくなっていた。

お母さんが話しはじめた。
亡くなる何日か前に電話がきたこと。
外食して、パスタを食べすぎてお腹をこわしたから病院に行くと言っていた。
病院では抗生物質を注射されたらしかった。
財布からレシートが出てきた。池袋でCDを何枚も買って、電気屋にも行って、
たぶん満足して帰って、眠れないからいつもの薬を飲んで、ついでにウィスキーを飲んで、
そしていつもは体内にないはずの抗生物質が入っていたからなのか、そのまま起きなかった。
担当のケースワーカーから連絡が入って、そこではじめて見つかった。
たくさん調べて、たくさん確認して、自ら死のうとしたのではないとわかって、
死因は「不詳」となった。

きっと、この場に入りたいでしょう、とお母さんが言った。
それは絶対にそうだ!とだれもが一様にうなずいた。
授業には出ないくせに、部会のある金曜日の夕方にはかならず部室にいて、勝手にはしゃいでいた。
どんなに少ない人数でも彼はいて、なにがおもしろいんだかわからないネタで笑っていた。

そのうちに彼のお父さんが仕事から帰ってきた。
帰ってくるなり、みなさん!お酒が足りないでしょう!わたしが買ってきますから!
とまだ空いてないビールがたくさんあるのに言った。
お母さんがとめるのもきかず、いいんだよみなさん若いんだから、すいませんね、
ほんとうにこいつは気がきかなくて、と早口につづけた。
だれもがあっけにとられて、うたれていた。
この声の大きさといい、このよくわからない押しの強さといい、あまりに彼に似ている。
Kがいる、とだれかが苦笑しながら言った。こらえきれずに笑った。

大学の合宿所が葉山にあって、夏休みにはそこで合宿という名の徹夜飲みをするのが恒例だった。
その葉山の写真をずっと大切にしていました、とお母さんが見せてくれた。
ねらいのわからない、なんでこんなのをとっておいたんだ、という写真がいくつも、
アルバムに入っていた。
卒業してから何回も、また葉山に行きましょうよ、と彼は言っていた。結局行けなかった。

深夜、だれもそのまま帰ることができずに、電車で少し移動して居酒屋で飲んだ。
おれ、なんかもっとあいつにできたんじゃないかと思うんだよね、と一人が言った。
それに対して、そういうことは言うべきじゃない、と一人が怒った。
いや、発言をとめる権利はだれにもないし、たぶんKはこういうの好きだと思うよ、と
別の一人が言った。
要するに、ほんとうに面倒くさい集団だった。
ひとりとして「社会」に適応できない、情熱だけがくるくると頭上にまわっているような、
面倒な集団だ、このひとたちも、わたしも、いまも。

あとで、お父さんから預かったという彼の卒論が一斉に送信されてきた。
本もCDもほとんど処分してしまったというので、形見わけだと思って読んだ。
卒論は、全編がFISHMANSについて書かれていた。
彼は、佐藤伸治と同じ年齢でこの世界からいなくなってしまったのだということに、
そのときはじめて気づいた。
賞をとってからたぶん、シナリオはそれほど書いていなかったはずなのに、
やっと形になったのがこんなシナリオではベタすぎる。
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by mayukoism | 2010-03-03 15:51 | 言葉