乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2009年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧

深夜の出版社にしのびこむ。なりゆきで。

明日は定休出勤だしほんとごめんなさい、とぼんやりくたびれた体をもてあまして
せっかくの酒宴をお断りしたというのに、あろうことかお断りした相手と
帰りにばったり会ってしまった。

一杯だけ!という話になって、相手の勤務先である版元のオフィスで、
なぜか飲むことに。
コンビニで惣菜を買いこみ、ビールは?とたずねると、たくさんある!とのこと。

白いマンションの一階が、オフィス兼倉庫になっている。
鍵をまわして重い扉を開けると、蛍光灯はこうこうと付いているのに、だれもいない。

最近は倉庫を別に持っている版元が多いので、在庫を直に見られるのはめずらしいのだと言う。
スチールラックにずらりと積みあがる、梱包された同じタイトルの本。
まわりには研磨機やトンカチがあって、これで回送されてきた本をとんとん整えるのだと言う。
Iさんもやるんですか、と担当さんに尋ねたら、
10年やってましたよ、今はちょっとえらくなったからやらないけど、との返事。
あちこちに、取次会社の名前が入った頭紙がカラフルに重なっている。

Ebisuとプレミアムと銀河高原ビール。
いいビールばかり出てくる。2缶飲む。
なぜか話は、娘さんの将来をいかに憂慮しているか、や、1回目も2回目も奥さんが美人、など
たいへん私的な話に。

売場にはいつのまにかふにゃふにゃ現れて、ふにゃふにゃ去っていく、
ちょっとお世辞にも男前とは言いがたいその人が、なぜ美人のハートをものにできるのか、
という話になった。
ぼくはこんなことだれにも言ったことないんだけど、とぼそぼそ教えてくれたのが、これ。

美人は、容姿以外をていねいにほめる。

このひとできる、と思った。これはおそらく真実。
あのN谷さんよりも役に立つ本が書けるかもね、とその人はふにゃ顔で笑った。
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by mayukoism | 2009-09-29 22:34 | 聞いたこと

秋のアジサイ

おとなりのアジサイの木に、枯れ花がもうずっと、
ついたままになっている。
落ちるのではないかと思ってさわってみたら、
意外と弾力があった。
枯れ花は、秋のまえに剪定をする、そうしないと翌年の花がつかないかも、
と図鑑に書いてあった。
人さまの玄関先に植わっているアジサイなので、
勝手に剪定するわけにもいかない。
しかし、アジサイというのは女っぽい花じゃないか。
ころころと色をかえ移り気なふりを見せながら、
地中ではちゃっかり根を横にひろげて、
枯れ姿をさらして弱みを見せて、ねえ、あんたがあたしを手入れしてくれないと、
あたし次の花咲かせることなんてできない、とあまえているようだ。
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by mayukoism | 2009-09-27 02:19 | 生活

トレイのある生活

うたたねをしていた。
そしてまた、真夜中がきた。

ひさしぶりにパスタをゆでてみようという気分になり、閉店間際のスーパーで買物をして帰宅。
むかしはよくつくっていた「エリンギと豚肉の黒ごまパスタ」にしよう、と
パスタをゆでたところまではまあまあよかったのだが、
炒めるのはバターだったか、ごま油だったか、はたまたオリーブオイルだったか、
味つけは醤油だけでほんとうによかったのだったか、こまかいところが思い出せない。
さらに、よくばって多めにゆでてしまったパスタを、テフロンのほとんどはげた
フライパンでいためると、どうしても下のほうがくっついてしまって、
なんだか焼きそばのような、大衆的庶民的鉄板的黒ごまパスタができあがったのであった。
パスタをぱさぱさにせず、ふっくらつやつやのまま、いためるのにはどうすればいいのだろう。

改装前の池袋西武の無印良品で、売りつくしセールを長いことやっていたのだけれど、
そのセールで半額になっていたトレイを2枚、購入した。
四角くて、縁の角ばったトレイをほしいと長いこと思っていて、購入した「おつまみトレイ」は
2番目に欲しいと思っていたトレイだった。安く買えたことがうれしくて、ひとりの食事でもいそいそと使う。
1番目に欲しいトレイは、吉祥寺の「お茶とお菓子 横尾」で食事をお願いすると出てくるトレイで、
なんということもない普通の木のトレイなのだが、ちょっと小ぶりでかわいらしく、
ずっと前に、このトレイはどこで売っているのでしょう、とたずねたら、わからない…と言われてしまった。
それ以来似たトレイをずっとさがしているのだけれど、あの、ほどよく小さなサイズのトレイが意外となくて、
いまだに見つけられていない。

トレイを使って食べるごはんは、きちんと暮らしに属している感じがする。
載っているのは、皿からあふれんばかりの、焼きそばのようなパスタであっても。

まとめて焼いてもらったCDのなかから、Randy Newman『SAIL AWAY』をくりかえしかけている。
音楽について語ることばをもっているひとは勤勉なひとであると思う。
耳についた音楽を、好きかそうでもないかで判断して、好きだと思ったものをただくりかえし聞くだけなので、
背景もアーティストのことも、いまのところなんにも知らない。
そういうことをきちんと調べたり、自分なりに学んだひとだけが、音楽のことばをもっていると思う。
このアルバムはすごくいい。とくに5曲目が好きなのだけど、曲名を控えてこなかったので、
タイトルがわからない。
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by mayukoism | 2009-09-26 03:37 | 生活

■お知らせ■

わめぞblogにて、「雑司が谷白想」の第2回目が更新されております。
もしよかったらご覧になってください。

リンク→わめぞblog「雑司が谷白想」
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by mayukoism | 2009-09-25 03:41 | ■お知らせ■

夜のクッキング

冷蔵庫にのこってしまったざるうどんを、あたたかくして食べることにする。
夏のものを食べきるのは、いつだって季節がすぎるよりすこし遅い。
ひとりぶんの料理だから、だしをとることもなく、粉末のほんだしを沸騰した雪平鍋にさっと溶かす。
ぶつぶつとつぶやいていたお湯が、瞬間的にふくらむ。
大さじも小さじもない。
あるのは大きいスプーンと小さいスプーンで、スプーンで適当に、
醤油や、のこった日本酒やらをすくう。
凍ったままの豚こまをえいっと入れて、長葱なんていつだって余るのだから、
日持ちのする玉ねぎをスライスして、ぱらぱら落とす。

夜のシンクは、どこにいてもだれといてもひとりだ。

ざるうどんは大きめの鍋で、べつにゆでる。
いちおう柳宗理の鍋だったとおもうのだけど、使いはじめのころから、意外と焦げつく。
一口コンロの上に、この大鍋とフライパンと、内祝でもらった大皿と、雪平鍋をかさねて置いている。
収納できる場所がないのだ。
調理するときは使わない道具を、台所のすぐ脇にある洗濯機の上に載せておく。
調理中の鍋がふたつになると、すごく困る。
しかたないから鍋敷きがわりのコースターをテーブルに置いて、その上につゆの鍋を置く。
ゆであがったうどんをざるにあげて水にさらし、つゆを大鍋にうつして弱火であたためる。
つゆがふたたびつぶやきはじめたら、うどんをざるからそうっとすべらす。

子どものころ、うどんを食べるのは、風邪をひいたときか、お腹をこわしているときの、
たいていどちらかだったな、と思う。
いまの自分はどちらでもないけれど、ひとりでうどんを食べようとしている。

そうだった、うどんのどんぶりがないのだった。
食べるときは買ってこようといつも思って、いつも忘れる。
だいたいしまう場所がないからなあ、とぐずぐずしている。
しかたないから、たしかこれはアフタヌーンティーで、ずっと前に購入したとおもわれる
深めのシチュー皿に、うどんをまず箸で入れる。
上からおたまでつゆをひたひたにかける。
ややかたまり状の豚こまと、すきとおった玉ねぎを真ん中に山にする。
ひとりぶんのうどんに、ひとりぶんの白い湯気がたつ。
湯気がたつと、すこし、部屋がにぎやかになる気がする。
いただきます、は幾多の「いただきます」の記憶のなかで言う。

買い替えたり、買い足したり、模様替えしてみたりと、身のまわりを暮らしやすくしようとすることに
あまり情熱をかたむけないのは、今にはじまったことではなくて、
でも、もとからそうではなかったような気がする、なぜなんだろう、と考えるうちに、
わたしは、いつでもどこまででも行けるようにしているのだと気がついた。
それはたぶん、20代に影響をうけた人がひとりでどこまでも行ってしまうひとだったからで、
ついていくわけではなく、その人と向き合える自分でいるために、わたしも身軽でありたかったのだった。
その人はもう、家をもって仕事をもって、前のようにどこにでも行くことはなくなった。
それなのに、身軽であろうとするわたしだけが、ここにのこった。
いったいどこへ行こうというのかねえ、とおばあちゃんのようなセリフを思いうかべながら、
あたたかいかけうどんをすする。

空のシンクに水をながしながら、明日も6時起きだなと思う。
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by mayukoism | 2009-09-25 02:42 | 生活

秋のはじめの出来事

ごぶさたしています。
短い夏休みを終えて、みちくさ市の告知もできず、みちくさ市はひそやかに出店していましたが、
じっくりと本をながめて購入してくださる方が多くて、売り上げもなかなかの数字で、
秋のはじめの日差しを全身に浴びながら、わたしはいまここにいることを全肯定しますと
見えない神さまに報告しました。
ご来場くださったみなさまありがとうございました。

いま書いている文章がなんだか変なのは、わめぞblogの「雑司が谷白想」の第二回原稿に
あまりに根をつめすぎたからで、ここ数日打ち上げやらなんやらでたくさん食べたのに、
この数時間で3キロくらい減ったような気がする。
どうして仕事はあれほど手をぬくのに、文章を書くのにほどほどに力をぬくことができないのか。
とりあえずまだ推敲が必要で、これが終わったらもう少しまともにこちらのブログも
更新しようと思っています。

よくわからないけどお風呂に入ってきます。
おやすみなさい。
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by mayukoism | 2009-09-23 02:56 | 生活

信濃川のある町

ひらけた、と思うと、そこには信濃川がある。
まだよく知らない町だから、たしかな地図は描けない。どこにいるのかもよくわからないまま、
勝手知ったる早足の背中を追ったり、車に乗せられて山を越えたりしている。
それでも、どこまで行っても、その町には信濃川がある。



遅い夏休みをとって、この町に花火を見に来た。
東京では考えられないような大きな花火(四尺玉)が、神社の近くで上がるのだと、
この町で育った人が言う。
神社のまわりでは、若者たちが組ごとの山車を引き、がなるようにお囃子をうたう。
よい匂いの屋台には、すでに長い列ができている。

唐揚げの屋台に並びながら、奥さんにもうすぐ子どもが生まれるという人の話を聞く。
その間にも山車が、参道をやいやいととおりぬける。
あぶないからこっちに来ていたほうがいいとかばわれ、女の子扱いされたことがほんのりうれしく、
奥さんもこういうところに惹かれたのだろうか、などとどうでもいいことを考える。
ビール、チューハイその他を買いこんで敷物を広げると、独特のイントネーションのアナウンスが流れ、
花火がはじまった。

誕生祝い、成人祝い、還暦おめでとう、天国のおじいちゃんみんな元気にやってます、など、
すべての打ち上げにだれかの、なにかの思いが読みあげられていく。
花火は、見た目の大きさはもちろんのこと、地中から体をつきあげてくるような音がすごい。
どん、とくれば、内臓が一瞬、無重力になる。

似たような花火ばかり撮ってしまったような気がしていたが、いま眺めるとどの花火もちがう。
花火の種類は同じでも、撮るタイミングによって、まったく別の形になる。
尺玉、二尺玉、スターマイン何十連発、とおおきな花火があんまりたくさんつづくので、
歓声はそのうち、わけのわからない笑いに変わっていく。
花火があがる空は、平和なのだと思う。



流れる景色に川の気配を感じて顔をあげると、まず深い緑の山々がこんもりと、空をふちどる。
ふもとには色とりどりの屋根が集まり、屋根をかこむように低い木がつらなる。
その木々のまわりに、稲穂が黄色く波うつ田んぼが、直線できれいに区切られてつづいていく。
それらをゆったりとなでるように、信濃川はおおきく蛇行する。
蛇行して、その先はもう見えない。

あれが山本山、
あの光るのが信濃川。

この町で育った人たちの言葉で、パノラマの地理が頭の中に立ちあがっていく。
そうすると、この町を知らなかったときの自分はたちまち消えてなくなる。
いまのところ季節は冬ではなく、パノラマは緑のグラデーションがどこまでも広がるはれやかな景色だ。
もしも次に来ることがあるなら今度はもっと歩きたい、と思いながらバスは信濃川を越え、
みじかい夏休みは、あっという間に終わった。
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by mayukoism | 2009-09-14 03:10 | 見たもの

Twitter的日常

日記を書けないこととTwitterを書けないことには、たぶん共通点がある。
どちらも読むのはおもしろいのだけど。

ここ1ケ月でいちばんうれしかったこと。
外市のうちあげで、いつのまにか自分のとなりにぽつんと置かれていた「GODIVA」のきれいな包み。
いいなあだれのかなあと思っていたら、岡島さんが「あ、これ『1Q84』のお礼」と言って、くれたこと。

必要があって再読した栃折久美子『森有正先生のこと』(筑摩書房)にたくさん付箋がついてしまった。
これが恋なら、いま、世の中の恋はすべて道化だ。

集英社から『コーラス』のクーポン5枚コンプリートの人だけもらえる『miniコーラス』(非売品)が届いた。

均一に「現代詩文庫」が出ていると、いつもどれを持っていたのだったかわからなくなるので、
手帳につけておくことにしようと思う。五十音順で。

歩きながら食べるのにもっとも適しているのは、ポップコーンでもチュロトスでもありません、
「さけるチーズ」(商品名)だと思います。

向井理は静止画像で十分かもしれない。めがね付きならなおよい。

『春秋』(春秋社のPR誌)に掲載されている津村記久子と堀江敏幸の文章がいいです。
特集は「いま、ヴェーユを〈読むということ〉」。ヴェーユは『重力と恩寵』だけ読んでいる。

そこなわれるということは、すぐに知覚できるものではない。
時がたって、なにかを想起される場面に立たされたときに、気がついたら足がすくんでいる。
長い時間をかけて自分のどこかがそこなわれている。

だから希望も失望もないのです。ただ過去だけが私どものあかしとして眼前に展開しているのです。私もあとずさりをしながら進んで行きます。時々横目であなたをみます。もしうしろに崖があったら、よこからは見えますからすぐ教えてあげます。(『森有正先生のこと』より)


一日に何本も綿棒を使ってしまう。

いまは洗濯をしている。シーツ、タオル、制服その他。洗濯が終わるまでは出かけられない。
窓の外があかるくなった。晴れてきた。

うちあげで聞いたオグラさんの外市のうた。
あれをもういちど聞きたい。CDにならないかな。「こんなにレスポンスのいいライブはない」と
オグラさんが言っていた、「わめぞ、わめぞ」のコーラス入りで。

シーツを洗うのはいいのだけど干す場所がない。
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by mayukoism | 2009-09-08 13:42 | twitter的日常

東の町からはじまる9月

9月2日水曜日、降りそうで降らないくもり。

朝食のような昼食は、卵と鮭の炒飯。
仕事にむかうひとを見おくったのち、昼寝。
夜はいつまでも起きていて、昼はいつまでも眠ることができる。
はたらかなくても暮らせるだけの財産をいつか手に入れたら、ずっと眠っているかもしれない。
かたわらの本をときおり手にとって、腕がつかれたら目をとじて。
たぶんそんな日はこない。
そのまま夜になりたかったが、今日やらなくてはいけないことが山積していたのでしかたなく起きる。
子供がちょっかいを出すので、となりの犬がずっと吠えている。
あたらしいパソコンのインターネット接続。

接続をなんとなく終えて、クリーニング屋へ。
夏のはじめにあずけた毛布と、制服のブラウス(長袖)を、近いからだいじょうぶ、と受け取る。
帰りしなにコンビニでアイス、森永「MOW」のクリーミーミルク。
ここのところ、毎日1個は食べている。
「ハーゲンダッツ」のリッチミルクほどおもくなく、126円の手ごろなお値段もうれしい。
パソコンをいじっていると、部屋に夜がきている。
宵闇をふらふらとかきわけて、ひさびさの日の出会へ。
研ぎ猫さんは、あいかわらず研ぎ猫さんであった。
あいかわらず、であってほしい人というのがいる。
研ぎ猫さんは、「あいかわらずであってほしい人」極私的ランキングのトップクラス。

あとから来たせとさんが「晴ーりー」のDVDを持っていたので、研ぎ猫家ポータブルディスクで、
みんなで眺める。
晴ーりー、とぽろぽろ呼ぶと、「火星の庭」健一さんの声が、ちいさいね、もういちどー、と言うので、
晴ーりー!としっかり呼んだら、晴ーりーのあちこちがうごいて、しゃべりだした。
「晴ーりー」は、古書往来座せとさんがこの世に生みおとした、「晴天祈願ロボ」であるわけですが、
祈願は祈願として、晴ーりーは雨の日のほうが好きそうだ。
夜の雨みたいな色の目をした、みんなの晴ーりー。

ムトーさんが「HB」はしもとさんにあだなをつけようとしている。
あだなをつける必要はあるんですか、とはしもとさんがもっともなことを言う。
わめぞであだながあるひとは。
ぱろぱろ(向井さん)。
でも、それってほぼムトーさんしか呼んでない。
研ぎ猫さん、u-senくん。
でも、研ぎ猫さんやu-senさんは、はじめから「研ぎ猫」さんで、「u-sen」さんだった。
そのような名まえであらわれて、そのような名まえでそこにいる。
まるでもうずっと、そうやっているみたいに。

あの人ってまだ生きてるんだっけいやとっくに死んでる、逆もまたしかり。
そう思われがちな著名人、という話で、いいよなあ、そういう人になりたいなあ、と
こないだのラジオで伊集院光が言っていた。
細部をすくいあげて、ひたらずにおもしろくしていく、伊集院光のこういう話が好きで、
月曜の深夜を意外とたのしみに待っている。

そんなふうにして9月になっている。
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by mayukoism | 2009-09-03 04:05 | 生活