乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2009年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

Ne Chi Ga e Ru

目覚めたら洋服のままうつぶせになっていて、ああまたやってしまったと起きあがり、
ふと左の首すじがいたむ。顔を左にまわすことができない。
もう一度ただしい姿勢で眠ればなおるかしらと、淡い期待をいだいてあおむけになってみたが、
ふたたび目覚めてもいたみはとれない。
寝ちがえだね、寝ちがえだよ、と心の小人がささやきあう。ばかだな、と思う。

寝ちがえたのが月曜で、水曜の朝に目覚めたら首が石膏のようになっていて、動かない。
ほんとばかだな、と思う。
おとなしくしていればいいのに歩きまわったりするから。
パソコンを借りて、近所の整形外科をしらべる。たしかあのあたりにあったような。
初診受付は早いんじゃないの、と知人が言う。
それはそうかもしれないけど、けがは午前中にしとけなんてきまりないじゃん、と
いたみのあまり、いそぎんちゃくのようにきゅっ、とすぼまってしまった心で答える。
ふたつの病院に電話をかける。あとにかけたほうが、受付できますよ、と言ってくれた。

整形外科、というと昨年の秋のことをおもいだす。
ある日したたかに尾てい骨(正確には仙骨)をうちつけた知人が、青暗い救急病棟で、
おなじくらいの透きとおるような青い顔色をしていたことをおもいだす。
他人の「大丈夫」が、あのときほどあてにならない、と思ったことはなかった。
あれから、どこに行っても整形外科を見つけると、なんとなく記憶しておこうとする変なくせがついた。

名前を呼ばれて診察室に入る。
さまぁ~ずの大竹を全体にこじんまりとしたような先生だ。
体の向きをかえて、何枚かレントゲンを撮る。まぶしいけどがまんしてね、と言われると、
そのまぶしさにたたかいを挑みたくなり、必要以上に凝視してしまう。
しばらく光の残像が虫のようにのこって、くらくらと後悔する。

ふたたび名前を呼ばれて診察室に入る。
プリントされた骨の写真を、かしゃんかしゃんと光の板の上にはさんで、自分の骨のかたちを見る。
わかるわけもないのに、なにか不穏な影のようなものがないかさがしてしまう。
おいくつでしたっけ、と小大竹先生が言う。
34です、と答える。答えながら、おお、34かあ、と思う。

見てください、ここ、と先生が白いペンのようなもので指した、その先を見る。

頚椎というのはこう、
(と、先生は手を、ずいずいずっころばしのようににぎって、かさねる)
このように四角い骨がつながっているわけですが、34年もつかっているとですね、
頭というのは重いんです、ぴよっとこのへんが、
(と、先生はにぎった手の小指だけ伸ばす)
出てきてしまうんですよ、ほらこのへん。
(と、先生はふたたび写真をペン先で指す)

たしかに首の骨の写真の、何番目かの骨の接ぎの部分が、少しだけ出っぱっている。
これはかるーい頚椎ヘルニアですね、と先生はちょっとほほえんで言った。

あら。
あらら、名前がついた、と思った。
このいたみの感覚に名前がついてしまった。

34年も使っていると、と先生は言った。
もっと使えば、この首の骨はもっともっとすりへっていくのだ。
年をとるって、体を少しずつ少しずつへらして、ぽんこつにしていくことなのだなあ、としみじみ思った。
はじめて牽引(気持ちよかった)というものをしてもらい、湿布といたみどめをもらって帰り道、
自転車で近くまで来てくれた知人に、34年も使っているとぴよってこうやって骨が、という
ぴよっ、のところを見せたくて何度もやってしまった。
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by mayukoism | 2009-07-31 03:39 | 生活

豆さんの手帖

真夜中の線路際を歩く。
真夜中の線路は、いくつもの導線をりんとしならせて、あかるい闇の中眠っている。
ガード下をくぐりぬけ、池袋駅西口方面へ。

わめぞの豆さんは、触れたらふかふかとやわらかそうな心の持ち主だ。
いつもは大勢の輪の中で言葉をかわす豆さんと、今日はふたりで会う。
軽口をたたくのが下手で、会話で人を楽しませることができないので、
相手がだれであっても、ふたりきりで会うのは少し緊張する。

こじんまりとしたタイ料理屋に入り、豆さんはシンハービール、わたしはアサヒをたのんだ。
豆さんは相手の目を、とても自然に見つめながら話をする。
見つめかえしてもそらしたり、なにかを言い含めたりしないので、ぽつりぽつりと言葉はほどけ、
やがてあかるくはじけていく。

豆さんの茶革の手帖を見せてもらう。リング式の、装飾のない手帖だ。
ここに豆さんは、忘れてはならないさまざまなことを書きつけていく。
「ひき肉っきんぐ」と「新居格」が一冊の手帖のなかに混在し、気になるお店の切り抜きもあれば、
パニック映画の豆さんランキングを見ることもできる。

手帖を持つと、わたしは事務的な予定でさえ過度に言葉を選び、そのうちくたびれて放り出してしまう。
豆さんの手帖はちがう。
豆さんの手帖は、豆さんのために、豆さんにとってちょうどいいスタイルで存在している。
見られることを意識せず、かつ見られることをいとわない言葉の、なんという軽やかさよ。

はじめてこの手帖を見たとき、わたしはこれを心の宝物にしようと本気で思った。

川村カオリ追悼、ということでカラオケに行く。
それにしても今年は、死ななくていい人たちがどんどんいなくなってしまう。
いなくなってしまった人つながり、ということでFishmansを歌う。
豆さんの声はキーの高い、女の子らしい声だ。charaの歌がよく似合う。

ひとしきり歌いおえて別れぎわ、ちゃんと眠らなきゃだめだよーと小さく手をふる豆さんの残像を、
たいせつな便箋をひらくように、なんども思う。

わめぞの集まりにうろうろと参加するようになってから、やるべきことを指示してくれたり、
小さな、でもかかせない負担のかかる仕事を引きうけているのはたいてい豆さんだった。
いったい、あのふかふかとやわらかな心はなにでできているんだろう。
これから、いったいどんな言葉が、豆さんの心の枝にひっかかって、書きつけられていくんだろう。

便箋を封筒にしまって、今日のできことを話しにいくために、真夜中の白いマルイ脇をぬける。
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by mayukoism | 2009-07-29 22:31 | 言葉

拝啓、神保町から

7月の終わりの日曜の直情的な日差しは、この世のものをふたつにわける。
体温のあるものと、ないもの。
コミガレに流れるダブと、真昼間のビール瓶。

ドトールの窓際の席から、コンサイスの看板を見上げる。
ふと目の前を横ぎる影があったので追うと、大きな綿毛が風にあおられてのぼっていった。
コンサイスにかさなるあたりまで上昇して、空を背景にしたとき、それは小さな雲のようになった。

遅番の日は少しはやめに家を出て、田村書店をのぞいてから出勤する。
まるくなり、かさなりあう背中の間を見つけて、さっと手をのばす。
店先で小銭を出すと、よくお会計をしてくれるひとが、この本おもしろいです、と言った。

明大へとつづく並木の根が、舗装された石畳をゆるやかに押し上げている。
この、目に見える起伏に至るまでの、しずかな途方もない時間を、たぶんヒトは知覚できないのだろう。
木の気分になって、ざまあみろ、ざまあみろ、と頭の中でうたう。

ドトールの窓際の席で、『林芙美子随筆集』(岩波文庫/武藤康史編)を読む。
ピーナツバターを塗ってトマトをはさんだパン、というのはほんとうにおいしいのかしら、と読みながら、
さいきん新しくなった「スパイシードッグ」を食べていたらぼろぼろと辛いトマトが制服に落ちた。

お店でお見かけしました、というメールをなつかしいひとからいただく。
いそがしそうだったので、声はかけなかったけど。
いつか会いましょう、と親指で押しながら、これは果たされないでする約束だとわかっている。

いつのまにか、いろんなことが少しずつずれていて、そういうときほど仕事ははかどる。
朝礼で、声をふるわせて、混雑するでしょうが気持ちのいい接客を、などと言いながら、
炎天下になるだろう「みちくさ市」のイメージがすっと頭をよぎって、遠ざかりながら目をとじた。
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by mayukoism | 2009-07-27 10:11 | 生活

夏には夏のつま先

暑い季節になると、余計なものを脱いで、かろやかになりたいと思う。

他人とくらべたがるものさしだとか、やや大げさに脚色した出来事だとか、
言葉にしてしまったほんとうの欲望やなんかを、すべて高みへと放りあげて、
放りあげようとして、いつのまにかまた、余計なものをぶらさげていたりする。

「西瓜色のマニキュア」が出てくる向田邦子の作品があって、そのいきいきとした赤さを
想像の野原で思いこがれるうち、近い色のものを見つけて、思わず買ってしまった。
左足の親指にひとぬりすると、西瓜というよりも赤いほっぺの津軽りんごのようであったが、
ずんぐりとした指が、紅のそこだけ女の人になったようで、なんとなくのびをするように
ふんふんと深夜にひとり、足をのばしてみたりしている。

めずらしくきれいに塗れたのだから、やはり足の指の見えるサンダルが欲しいなあと思い、
セールにわきたつ百貨店へまぎれこむ。
靴はきちんとした上等なものを手に入れるべきだと、わかってはいるのだけれど、
ついお財布と相談して、ひと夏のことであれば、とそ知らぬ顔で値札をめくっていく。

ここさいきんの買物は、安価なものをいかによいものに見せるかというのが主題で、
同じ値段でも少しデザインのかわったものや、色づかいのきれいなもの、
なにより嵐の中をじゃぶじゃぶとしても、風合いのかわらない、タフな素材のものを
選ぶようにしている。折り合いのとれたサンダルを一足、購入した。
つまさきのところで合皮が交差した、赤い指のむきだしになりすぎないサンダルを選んだ。

そのサンダルをはいて、世田谷文学館まで自転車を走らせた。
日差しが肌に鋭角にささるのが、夏のようで、夏なので、わくわくした。

自転車は、区が貸し出しているもので、おそろしくかっこよく(紫色、かごの上に謎の
小さな車輪がついている)、おそろしくのりやすく(ハンドルがなぜか内向きにまがっている、
サドルのクッションがきいていない、もちろんギアなし)、長距離にはやや(思いきり)不向きの
「THEママチャリ」だったのだが、走っている間は、自転車の速度が気持ちよくて、
どこまでもこいでゆけそうな気がした。

前を走る知人がときどきふりむいてなにか言うのだけれど、ほとんど聞きとれない。
変な選挙のポスターを指さして笑ったりする。

世田谷文学館は「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」展を開催しており、残念ながら
うわさの『堀内さん』は完売していたが、じゅうぶんに楽しめる展示だった。
トレーシングペーパーを、細いペン先の小さな字と小さな絵がちょこまかとうめてゆき、
線で描かれた地図にかさねれば、目の前に「堀内誠一のパリ」があらわれる。
「24時間営業の古本屋」や「昼間から夜のお姫様が立っている」という街角を指先でたどる。

3周くらい「堀内さん」を堪能し、ふたたび自転車を走らせる。
ボトルの「スーパードライ」を交差点で飲み干す。Tシャツが帆のようにひるがえる。

夕方の日差しはまるく肌をつつんで、ぼんやりくたびれた身体をますます火照らせる。
高円寺の「古楽房」に立ち寄ったら、王子が「焼けてる」と笑った。
そんなに焼けてるかしらんと、蛍光灯のあかりの下で自分の腕を見てすこしぎょっとなる。
赤と白の境界がきれいにできている。知人はもっと、砂浜と海くらい焼けている。

帰ってきて、きつくなったサンダルを脱ぐと、つま先もサンダルのかたちに焼けて、
なんだかゆでたハムのような色になっていた。
赤い爪は朝より少しちぢんだ。
知人が、今日観なくてはいけないと言う『ローマの休日』を鑑賞し(前に観たときよりずっとよかった)、
ボイルドハムを横目にしながら、ドレスにつつまれた華奢なつま先を、夢のような気持ちで見た。

夏なら夏の日差しをあびて、冬には冬の日差しをあびて、ぶさいくになるならしかたないか、と
つま先は思った。
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by mayukoism | 2009-07-17 02:33 | 生活

世界の果ての洗濯機

海鳴りをきいたことがない。
きいたら、あれが海鳴りだと、わかるのだろうか。
隣室でまわしている洗濯機は、きいたことのない海鳴りのようだ。
こちらも、洗濯機をまわす。

あらゆる家事のなかで洗濯がいちばんにがてだ。

黒いくつした、無印のバスタオル、紺の下着、制服の黄色いブラウス、
抵抗してもむだだ、と言わんばかりにいっしょくたにほうりこむのはきらいでないのだが、
ぴーぴーと鳴いた洗濯機から、こんがらがった布地の群れをひとつひとつはがし、
ぱんぱんとしながらハンガーをとおし、というその過程の多さに、気がおもくなる。
すぐに着られるわけもなく、どこへもたどりつかない、感も少しある。
乾いたとおもったら、なんとまだ、たたんで仕舞う、という作業がその先に待っており、
みちのりは長い。

じつはいまもまだ、干している。

洗濯は4時間ほど前に終わった。
終わってからなぜかかくんと眠ってしまい、はっと目覚めて「すすぎ」だけもういちどした。
それからも2枚干してはふー、とレモンティーを飲み、くつしたをつまんではネットをし、
と逃避しながら干しているうちに、こんな時間になってしまった。

いつか死ぬ、ということを、なぜだかこどものころから毎日わすれられない。

洗濯というプロセスを、ゆっくりいやいやとこなしているとき、いつもつよく死をかんがえる。
人間は洗濯をくりかえし、くりかえしして、くりかえしのうちに死ぬんだなあ、とおもう。
洗濯のさきに食事があり、労働があり、たのしみがあり、かなしみがある。
遅刻を注意されたあのひとも、無理難題をおしつけてきたあのひとも、
はっはと笑って焼酎ソーダ割りをかきまわしていたあのひとも、洗濯からのがれられない。
世界に背を向けて、小さな渦の中にあらわれては消えるこっけいな物語を、
いつかひそかにながめる。

まだ、干し終わらない。

ラジオ深夜便のこの時間の選曲はまったくすばらしく、
ロス・インディオス&シルヴィア『別れても好きな人』→村木賢吉『おやじの海』
→ジューシィ・フルーツ『彼女はゴキゲンななめ』→ばんばひろふみ『SACHIKO』とつづく、
このとりとめのなさこそがもう愛だとおもう。

電話口で、知人が読む菅原克己の初期の詩を聞いた。
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by mayukoism | 2009-07-12 03:37 | 生活
黄色いダッフルコートの冬の日、ひまつぶしに立ち寄った江古田の「小竹図書館」で、
ふと手にとった『誘惑者』(高橋たか子著/講談社文芸文庫刊)にうたれ、
そのおそらく翌年に、「神田古本まつり」でおとずれた「小宮山書店」で、
『高橋たか子自選小説集(全四巻)』(講談社刊)を1万7千円くらいで購入したと思う。
そのころはまだ学生だったから、これはかなり思いきった買物で、3回くらい
「小宮山書店」を出たりはいったりしたのを覚えている。

いまでは読みかえすこともほとんどなくなって、なにぶん少々くせのある作家なので、
おおっぴらに他人にすすめることもないのだが、ある日の「往来座通信」に
詩人菅原克己の姉が「高橋たか子」だと書かれてあって、ええっとなった。
高橋たか子についてはなんとなく知っているつもりでいたのだけれど、そのような逸話に
ふれたことがなかったからだ。

これはのちに同姓同名の別人ということで訂正されるのだが、ちょうどその直前に
まこちゃん」のタイトルで紹介されていた「雑司が谷墓地の小さい墓」という詩にひかれて、
菅原克己という人を調べてみて、「なんの交換条件もなくさしだされた手のひら」のような
言葉に圧倒された。このひとの詩をもっと読んでみようと思った。
そして、「姉高橋たか子」さんと雑司が谷についてのかかわりも同時にわかれば、と
ぼんやり思っていた。

その後も、菅原克己と縁がある方々とお会いして、「姉高橋たか子」さんの詩のよさを聞いたり、
往来座ののむみちさんと「小説家高橋たか子」の話になって、『誘惑者』を貸し出ししたりなど、
ややこしくゆるやかに「高橋たか子」めぐりはつづいていた。

ちょうど仙台へ旅立つ6月19日金曜日の正午すぎ、夕方まで勤務だったわたしは
昼の休憩をとっていて、「田村書店」と「小宮山書店ガレージセール」を眺めていた。

社内の異動が発表になるころで、すれちがいざまに上司から情報を聞いたり、
背表紙をたどるとメールが届いたりして、なにより脳内は完全に仙台へと羽ばたいており、
こころもからだも神保町にあらず、といった感じだったのだけれど、
「コミガレ」で、白い背表紙の著者の名前にふと指がとまった。


『詩と散文 草木の窓』(高橋たか子著/栄光出版社)


散文の最後に『草木の窓に添えて』と題する「菅原克己」の文章があり、
「姉、高橋たか子について書くのは、どうにも具合がわるい」と書き出されているのを見て、
ああまちがいないな、と確信した。
他の書籍とあわせて迷わず購入して、そのまま仙台へ持っていって、せとさんにもお見せした。
にぎやかな酒宴のあいまのせとさんが、本を繰るときだけ「店主」の顔になったので、
わたしが持っているより、せとさんが持っていたほうがずっといい気がして、それでもとりあえず、
貸しましょうか、と言ってみたのだが、いやあ、いいですよ、読んだら教えてください、と
せとさんは笑った。

先日、あずけていた荷物を受け取りに往来座に立ち寄った際、せとさんに
「高橋たか子さんの本はもう読みましたか」と尋ねられた。
多忙にかまけてそのままになってしまっていたので、すみませんまだです、とお答えすると、
「もし高橋たか子さんと雑司が谷の関係がわかるような文章があったら教えてください」と言われ、
なんだか使命をあたえられたヒーローみたいな気分になり、うれしくて、さっそく鞄に本を入れ、
今日、出勤前に読みはじめた。

ありました。雑司が谷。

菅原克己詩集『日の底』に、「練馬南町一丁目」という詩がある。
全文をひきたいのですが、すでにここまででかなり長くなっているので、別にひくとして、
この詩のひとつめのパラグラフの終わり、

僕はここで育った、
十五の年から十二年間。


この詞と、『詩と散文 草木の窓』の記述をかさねると、「練馬南町一丁目」に菅原家が越したのが、
大正十五年(1926年)であり、この直前に住んでいたのが「雑司が谷の古い借家」だと
いうことがわかる。
具体的にどのあたりだとか、どのくらいの期間住んでいたのかまではわからなかったのですが、
「大正十二年(1923年)頃」に、師である白鳥省吾氏のお宅訪問を、たか子さんが
「雑司が谷訪問」という題名で書いていることから、訪問後~1926年の間のことかもしれない、と思う。

ふたりの「高橋たか子」をめぐって、江古田と、池袋と、雑司ヶ谷と、仙台と、小宮山書店が、
わたしのなかで、不思議な円をなした。
さきほど、これも偶然にすれちがった自転車のせとさんを呼びとめて、おもわず興奮して
話し出してしまった。夏の夜道のせとさんは、目をくるくるとさせて聞いてくれた。

散文に記されている年代がばらばらなので、後日(せとさんごめんなさい)整理することにして、
とりあえず、「姉高橋たか子」さんが雑司が谷から練馬の家に越したころのうつくしい文章を一部、
少々長いですが、そんなに読めるものでもないと思うので、ぬきだしておきます。

 私たちは、雑司ヶ谷の古い借家から嬉々として、新築の家に引越した。
早大に行っていた夫、小学校の教師の私、豊島師範生の克己、
小学生のまさ、竜三、みどり、それに孫の三歳児の光郎の大家族を引き連れ、
母は、ゆったりと太り、気品に満ちているように私には見えた。
一年後に、私のすぐ下の妹のきよが、宮城県塩釜小学校から転任して、
東京高田第二小学校の教師となって加わったので、家はいよいよ賑やかになった
(長兄の千里はその頃はまだ東京市内で独立して働いていた)。
 学校の仕事でおそくなり、夜になって江古田駅に降り、一本道の入口に立てば、
我が家の部屋部屋に燈がともり、またたき、輝き、何やら賑やかに立ち居する人の
影まで見える。私は飛ぶように一本道を急ぐ。「楽しき我が家」が実感として胸に溢れた。
 練馬の家、その家は、実に我が母そのものであり、私達きょうだいに、
また、私の子供らに此の上もなく美しい幼時の思い出として鮮烈に残ったのである。

『詩と散文 草木の窓』所収「普請好き(一)」より

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by mayukoism | 2009-07-10 02:20 | 本のこと

夜のフラフープ

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見えるところから順繰りに、暗闇をまわして、広げていく。
夜更かしとは、終わらないフラフープみたいなものだ。
知っているあの人も知らないあの人も、いまごろ家にたどりついて、
眠りの淵からそっと身を投げていく。
淵でフラフープをまわしながら自分は、とおくで深夜バスが走り出すのを聞いている。
停留所っていつも無口だな。

それでもたまにフラフープを、だれかとまわせるすてきな夜もある。
たとえばこないだの日曜日は、外市のうちあげでカラオケに
行ったのだ。

本職であるPippoさんは音のひびきを大事そうにうたっていた。
一つひとつの音を、Pippoさんのやさしい声が、ていねいに包む。

u-senさんの低い歌声は、場の女子をどよめかせ、しびれさせていた
(はず。でも本当にうまい)。

NEGIさんの声は存在感がある。どこで聞いてもきっとわかる。
どこまでも場をまっすぐつらぬく、つよい歌。

オグラさんも歌う人ですが、こないだは、人の歌に心霊現象みたいな
コーラスばっかり入れているのがものすごく面白かった。

なつきさんは、すらっとした姿勢、長い髪、理知的な横顔に似合う
凛とした歌。歌は人だなあ、となつきさんを見ていて思った。

まこちさんは、歌声があまりに自然で、風みたいだと思った。
まこちさんだけ草原にいるみたいだった。

のむみちさんは、すばらしく酔っており、ずっと笑っている。
なのにひとたびマイクを持つと、うつくしく、かつちから強くとおる歌声。

向井さんの歌にはひたすら笑う。ネタはいろいろあるのだが、
最高だったのはジッタリン・ジン『プレゼント』の「岡島さんバージョン」。
どんなにおかしな歌でも、向井さんは誠実に歌うのだ。
たぶん、愛みたいなものをこめて。

最後に、向井さんといっしょに『さよならCOLOR』を歌わせてもらう。

歌は、言葉を知らなくてもとどくから、歌える人をすこしだけうらやましいと思う。
意味からとおざかって、どこまでもとおざかって、言葉が光のはやさになったら歌になるといい。
夜行バスでつかのま眠る人の夢の内側で、歌になるといい。

七夕の笹を流しにいく午前3時のみなさんとお別れし、鬼子母神脇をとおりすぎる。
歩道の白線は歩くはやさでのびて、白線を踏みながら、今日はフラフープをまわさなくても
眠るだろうと思う。
境内にはたくさんの屋台が組み立てられていて、明日から夏市なのだと、
外市でだれかが言っていたことを思い出した。

写真は7月6日午前3時7分の、鬼子母神脇掲示板。
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by mayukoism | 2009-07-08 03:03 | 聞いたこと
仙台で、なにがあったというわけでもないのだ。

今回は自分の箱を出していたので、観光のことはまったく考えていなくて、
自由時間をいただいて、こまったくらいのものだ。

そんな感じだから、こころゆくまで愉しんだかと言われると、そうでもないような気もするし、
残念ながら両日とも天候にめぐまれなかったので、右の靴ばかりがつねに湿っていたし、
だれがなにを求めているかを先に量ってしまう傾向があるので、大勢の人のなかで、
自分がどのようにふるまいたいのかが、どうにもよくわからなくなったりだとか、
帰京して、休んだ間の仕事の滞り具合にうんざりして、Tシャツをぬぐみたいに、
自分のまわりの景色をそっくりうらがえしてやりたい、とこころの底から願ったりだとか、

こうしてふりかえってみると、仙台の2日間は断片的で、ふいにきらめいたと思ったら
次の瞬間にはうつむいて考えこんでしまうような、じつはどうにも表現しがたい記憶ばかりなのだ。

からだはとっくに日常に慣れている。
それなのにまだ、息つぎをするように仙台の2日間を思いこがれてしまうのは、
ある特定の出来事や景色のことではなく、2日間の総体、あのときだれがどのように動いて、
どのように発言をして、どのように自分がそこにかかわったか、そういった動きの総体に、
自分の、理想的な労働の一面をかいま見てしまったからだ。

それは総体であって、じゃあ何がしたいのか、とか、これからどうしたいのか、とかいう
具体的な目標みたいなものはまったくなく、ただ、この自分のやっていることが
確実にだれかに届く感じ、しいていえばそういう目には見えない、つながり(単なるつながり、
そこにセンチメンタリズムはない)、みたいなもののこと。

かたちにはのこらないかもしれない、でも絶対的に信じられる、そういうやりとりがしたい、
ただそれだけなのだけど、それを芸術ではなく、労働につねにもとめることはできないものだろうか?
それとも、それはやっぱり、ある程度の規模の組織の中にいてはできないような、

そういうものなのかなあ。
そういうことなのかなあ。
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by mayukoism | 2009-07-01 23:34 | 生活