乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2009年 06月 ( 5 )   > この月の画像一覧

帰京・車内にて

夜の東北道は、くらい。
助手席ごしにまっすぐな道の行く先を見ると、なにかのしるしのように、点在するテールランプが、
同じくらいの速度でうごいていく。

助手席には王子がすわり、となりでは藤井書店のリボーさんがハンドルをにぎり、ふたりとも
音楽にあわせて肩をゆらしている。
王子の白いシャツがほの暗く透けている。
豆さんとしゃべっていたはずなのに、いつのまにか眠ってしまっていた。夢は見なかった。
目が覚めると、那須高原のサービスエリアだった。

入口の「那須高原」のネオンサインがところどころ切れて、象形文字のようになっているのを見て、
笑いながら自動ドアをくぐる。
車の速さに慣れない身体をたしかめるように、食券機に向かう。
よーし、ここはおれがはらうぜ、とリボーさんが素敵なことを言う。
仙台では贅沢品ばかりいただいたので、庶民の味のするものが食べたい。
カレーをごちそうになった。
車帰京組5人でひとつのテーブルをかこみ、おそい夕食をとる。

今回の仙台でわめぞのみんなのことがちょっとわかった気がする、とリボーさんが言い、
リボーさんから見た「わめぞ」の人々について話してくれる。
リボーさんのかぶっているキャップの、そのななめ具合が、つねにあまりに絶妙なので、
あそこには魔法の力がはたらいているのだ、と思う。
天井に固定された大きなテレビは、恋するイルカの歌をうたう「さかなクン」の映像を流している。

車に戻り、席を替える。
豆さんが助手席に、王子がいちばんうしろの一人席になった。
王子がいつも発している、世界に対する熱みたいなものが、背後でひとつ、またひとつ部品を
はずすようにおりたたまれていく、そんな気配がする。眠っているのかもしれない。
豆さんが、リボーさんと話している。
話はとぎれない。どんどんもりあがる。
音楽の話から、映画の話から、野獣の話から、ふたりの話はどこまでも高く親和する。

10月に結婚するお姉さんから、式でラップを披露するようたのまれているのだ、とリボーさんが言い、
豆さんが、聞きたい!と言ったので、わたしも聞きたい聞きたい、と言った。
しばらく練習してないからなー、つまったらごめんなさい、とハンドルからはずした左手で、
リボーさんがプレイヤーを操作する。
音楽が変わった。
きっちり2分半の、ラップがはじまった。

ことばを、はじける星のようだと思った。
リボーさんが左手でリズムをきざむと、暗闇の東北道が、シャッターを切るように、
ぱしゃっ、ぱしゃっ、と明るくひらけていく。
リボーさんのやさしいことばが、キャップのななめの角度で、つぎつぎと空間にかさなっていく。
かさなったことばのすきまから、想像の姉弟の姿を見ている。想像の結婚式の風景を見ている。

ラップというものがなんなのか少しも知らない。
けれど、ことばに感知できるあたたかさというものがあるとしたら、それはリボーさんのラップだと思う。
リボーさんのことばがどれだけやさしいかは、こちらのコメント欄を見ていただければ、すぐにわかる。

豆さんがipodで流してくれたThe Ska Flames『Yo'll Be Mine』も素敵だった。
家族の誕生日にはおくりものをかならず用意する豆さんが、ある年のお母さんの誕生日、
あまりの金欠に悩んだ末、お母さんの好きなラジオ番組に、メッセージメールをだめもとで送った。
それが採用され、読まれたのだけど、リクエストを自分の好きな曲にしてしまい、
パーソナリティに「お母さんはスカが好きなんですねー」と言われて、
あっ、お母さんの好きな曲をリクエストしなきゃいけなかったんだー、という話。
そこで流れたのがこの歌。豆さんが首をやわらかくゆらす。

高速道路をおりるころになって、リボーさんがSUPER BUTTER DOG『サヨナラcolor』を流した。
むかし仲間と、また旅に出ようと言ってこれを流して、でも結婚したり子どもが生まれたりして、
結局あれから行ってないんだよなー、と缶コーヒーを飲んだ。
わめぞいいな、とリボーさんが言った。
またおいでよ、と豆さんが言った。
窓いっぱいにはりついている色とりどりのネオンを見ながら、『サヨナラcolor』を
みんなに聴こえすぎないよう歌った。
日付が変わる。

やがて、車は明治通りに入った。
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by mayukoism | 2009-06-24 04:00 | 言葉

向き合う、ということ

仙台出品本の集荷から帰ってきた立石書店の岡島さんに連れられ、
イタリア料理のお店にはいる。
昼間に歩きながら食べたチョコモナカと、アメリカンドッグしか入っていない、
下流社会的胃袋がびっくりしている。それほどに美味。
うすい生地のシンプルなピザを、知人と3人でほおばるように食しながら、
冬におとずれた仙台で、「火星の庭」の前野さんにおしえていただいた
「ナプレ」のピザにも思いをはせる。

岡島さんの話を聞きながら、「わめぞ」のみなさんというのは、
つくづく商人でありながら芸術家であるな、と思う。

作り手を名のる武藤さんやpippoさんはもちろんのこと、
名のらない向井さんも、瀬戸さんも、「おれ、文章書くのだいっきらいだもん」とわらう岡島さんも、
わたしには作り手に見える。
それぞれのひとが、それぞれのひとにしかできない「なにか」を持っていて、
それは、世界で一つだけの…なんてなまっちょろいものではなく、
とぎすまされた集中力で「なにか」に向かった結果、ほんとうに特別な、
ものすごい「なにか」が、ぽろっとできあがっているのである。

奇妙なつながりで、「わめぞ」の周辺をうろうろとすることになったわたしは、
「わめぞ」のみなさんのなかで自由な身体をゆるめながら、こころはつねに高めている。
こころを高めていないと見えないものが、ここにはたくさんある。
そういう意味では、つねに緊張している。
自分の内側にある何者かと、つねにたたかっている気がする。

ちらり、とこのトークの話もでる。
Take off Book! Book!Sendai
いつものことながら書肆紅屋さんの的確なレポート。
当日聞けなかったわたしにはたいへんありがたかった。
つむがれていく歴史の中で、はたして自分になにができるだろう、と考える。
歴史は過去で、過去はかたちになって見えるから、かたちを提示されると、
もうなにもできることはない、という気分にもなる。

ここで働いていることに、なにか意味があるのだろうか?

仕事のときは、苦しいときも楽しいときも、そう漠然と思いながら、日々自分の棚と向き合っている。
本棚は自分の思想がまるごと反映されるから、向き合うだけでもきびしい。
きびしくて、見たくなくなることもたびたびある。

岡島さんと話していると、そういう「きびしさ」のことも素直に口にしてしまう。
岡島さんは、話せば話すほど、広く、ふかく、やわらかくなるので、わたしはうっかりと
どこまでも安心してしまう。
安心して、ごちそうになってしまった。
ふわふわしながら帰宅。
ふわふわしながら、仙台のために小さなかざりものをせっせと作る。

古本縁日 in 仙台。ほんとうにもうすぐ。
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by mayukoism | 2009-06-18 04:21 | 言葉
あじさいは好きですか?という質問に対する返信。


あじさいは好きです。

あじさいほどくもり空の似合う青を、ほかに知りません。

あじさいの色のちがいは、その土の質によるのだと聞いたことがあります。

土が酸性ならえんじの、アルカリなら青のグラデーションになる。

つまり、あじさいはリトマス試験紙のようなものだと。

しかし最近になってどうも、それは嘘であるような気がしてきました。

嘘でも、嘘でなくても、どちらにしても根拠はありません。

調べてみればすぐにわかるのでしょうが、ただ、わたしはその

「あじさい=リトマス試験紙説」が好きなので、

なんとなく信じてみることにしています。

ではまた。


週末のわめぞ仙台行きに向けて、出品する本をダンボールにつめていると、
なつかしい人からメールが届いた。
彼女を紹介してくれた人と疎遠になってしまったので、もう連絡をとりあうこともないと
勝手に思っていたのだが、なにかのきっかけで思い出してくれたようだ。
メールというのは、ときに便利すぎるほど便利なのだ、と思う。
通信は、時空をためらいもなくひょいとこえていく。
伝えられる近況をかんたんにメールしてから、往来座に本を届けるため、部屋を出る。
往来座に行くまでに4ヶ所、あじさいが咲いていた。
はじめのあじさいは青、次は赤っぽい紫、次は青、次は白。
白?
不安定な台車をごろごろところがしながら、酸性でもアルカリ性でもない、
未知の惑星の土壌について考える。


yah、こちら地球雑司が谷、応答せよ。

あなたの星に咲くあじさいは何色ですか。

yah、応答せよ。

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by mayukoism | 2009-06-17 18:40 | 生活

他人の部屋

長い文章を読むのに読点が必要であるように、生活にも読点、のようなものが必要なときがある。
目覚めたときの身体の、あまりの重さをもてあまして、何年かぶりに仕事を休む。

休んだ日の部屋は、潔癖なまでに白い。
休んでしまっていいの、ほんとうは行けたのではないの、という正しい心の声を映しているみたいに、白い。
そしてカーテンのむこうにひろがる曇天は、部屋のつづきのように明るい。

出かけてゆく人を見送る。
前の晩から具合がわるくなり、そのまま他人の部屋で休むことになってしまった。
ゼリーなら食べられる、と言ったばかりに、何種類ものゼリーが冷蔵庫の中にある。
ぶどうのゼリーを、とりだして食べる。
スプーンをさしこんだときに、銀色を透かしたゼラチンが暗くひかるのを、はじめに見るのが好きだ。

他人の部屋は、にぎやかだ。
テレビも、さっきまでつけていたラジオも消した。
もうすこししたら音楽をかけようかと思うけれど、今はかけていない。
二重ガラスごしに、環七を走るトラックの音がぼんやり聞こえる。
でもにぎやかなのは環七のせいじゃない。
自分ではない人の部屋には、自分ではない人の生活が、当たり前だけれどあふれている。
生活が、目に見えない音になって、空気中にたえずひびいている。

学生のころ、2年近く、他人と生活したことがある。
線路沿いのアパートで、深夜でも早朝でも、列車が通過するたび揺れた。
そのとき他人と暮らすことに、外的な必然性ははっきり言ってなかった。
早朝のコンビニで、夏休みの保養所で、国語を教えるため知り合いの家で、そののち社員になり
倒産することになる書店でアルバイトをかさねて、食事をつくって洗濯をして、長めの小説をふたつ書いた。
そうやって「生活ができる」ことを、生活の理由にした。
意味はあとからつけくわえた。つけくわえた意味は、自分のなかでなんとなくまだ息をしている。

他人の部屋でその景色のとおさのことを思って、読みかけの本をひらいた。
体勢をかえながらずっと本を読んで、途中で歌詞のない音楽を聴きたいと思って、他人の本棚から
Duke Ellington『Money Jungle』をひっぱりだして、かけた。
「Very Special」の、イントロの行ったり来たりする感じがおもしろかった。
そのうち、読んでいる本に「デューク・エリントン」が登場してびっくりしたけれど、
このアルバムとは別のアルバムのようだった。
『Money Jungle』をくりかえしかけているうちに、昼間出かけていった人が帰ってきた。

夕ぐれどき、ベランダにあるエアコンの室外機の上に、ばさばさとつばさをゆらして鳩がとまった。
ときどきカーテンを開けて鳩を見た。シルエットの鳩は首を羽根の中にうずめてじっと動かなかった。
いつまでも動かなくて、知人が帰ってきてからも動かずそこにいた。
鳩がいるよ、と言うと、だからエアコンはつけないようにしてる、と言ったけど、ほんとかうそか、
よくわからない。寝る前にもまだいた。

翌朝、昨夜とかわらず胃はむかむかとしたけれどあまり考えないようにして、まだ眠っている知人に
お礼を言って部屋を出た。
エレベーターで降りながら、あ、鳩を見てこなかったな、と思ったけれど、降りだしそうな空を見て
そのまま忘れてしまった。

線路沿いのアパートは卒業してすぐに壊されて、そのあとにはきれいな公共住宅が建ったけれど、
あそこも間違いなく揺れるだろうと、電車で通過するたび思った。いまはもうめったに通らない。
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by mayukoism | 2009-06-06 01:37 | 生活

6月は杜の都へ

ここひとつきほど3時より前に寝た夜がないような気がする。
夜の自転車のサドルというのはどうしてあんなになにかを待っているのだろう。

仕事の都合でなかなかお手伝いできない池袋往来座の外市は、たいていうちあげに(図々しく)
まぜていただくのだけど、会話がはげしく渦巻くなかで、ときおり自分の意識がいつのまにかふっ、と
頭上にあるときがあって、それは大勢の人のなかにいるときに、自分にとってはよくあることなのだけれど、
その場を意識で見おろしながら、

自分はこのひとたちのことをまったく知らないのにどうしてここにいるんだっけ、

と数秒、かんがえていることがあるのだった。

こどものころ、大勢の人のなかにいると、はやくひとりになりたくて、だだをこねても
なにかが長引くだけだからなるべくおとなしくするか、まどろっこしくなって勢いでいろんなことを
ひきうけて余計な荷物をせおいこむか、とにかく大勢の人の中にあって平穏な気持ちである自分、というのを
コントロールできずにいたので、大勢の人を相手にしゃべったり、笑ったりしている自分を、
不思議な気持ちで見ているわたし、というのがいる。
その不思議な気持ちが、一瞬、見知った人たちを知らない人のように見せて、そのことをただ
こわさでもさみしさでもおどろきでもなく、ぼんやりと考えたりしている。

そして、かじかんだ手が徐々に感覚をとりもどすみたいに、「ここ」にいる人たちのことを、ああ大丈夫、
知っている人たちだった、と思い出すとき、その人たちのことを瞬間大爆発的にすごく好きになっている。
好きだ!どうしよう!押し倒したい!はさすがに嘘ですが、発情した中学生のように思っている。
中学生ではないので、そこは落ち着かせるためにビールをぐっと飲む。

というのも、翌昼、眠い目をこすりつつ仕事をしながら、ある大雑把な企画のことを思って、実現させるために
どうすればいいかと、つらつら考えていて、結局「だれか」のためにできる仕事、というのが結果的には
いい仕事なのではないかと思った。
ほんとうに自分が夢中になれる仕事をしているときは、それを喜んでくれるある特定の「だれか」の顔が
くっきりと浮かんでいる。その人を喜ばせたいと思う。その人を悲しませてはいけないと思う。
それ以外の人のことは、はっきりいってあまり考えていない。
もちろん、商売である以上、一人よがりではいけないから、出発点はまちがえてはいけないと思うけど、
それさえまちがえなければ、あとは「だれか」のために仕事をしたっていいんじゃないか。
その「だれか」がよかったよ、と言ってくれる仕事をいつだってしたいものだ。

6月になりました。
仙台の月です。
年末に仙台に行って出会った、こころにのこった物々を記し、仙台へ照準を合わせていこうと思います。
ひとつめは、

むすび丸

こんなのです。わーかわいい。(やや棒読み)
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by mayukoism | 2009-06-02 04:13 | 生活