乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2009年 05月 ( 12 )   > この月の画像一覧

未読から既読になる前に

池袋の雨はあかるい。
つやつやと波うつアスファルトを見ながら、眼球の内側ってこんな感じじゃないかと思う。

購入。
『1Q84』(1)(2)(村上春樹著/新潮社)

知らない番号から着信があるなあ、と思っていたら、わめぞで知り合ったKさんだった。
5月26日のこのブログを見て、『1Q84』が本当に水曜日に発売されるのか、たしかめたかったとのこと。
電話口でしばし、村上春樹について語り合う。
たぶん、ひとつにはタイミングなのだ。
だれもが村上春樹を読むわけではない。
村上春樹が読めない、という人は、村上春樹を「読む人」が想像するより意外と多い。
親しい人に「読めない人」が多いので、村上春樹を読むとき、わたしは「読めない人たち」のことを
想像しながら読む。そういう人たちに届く言葉とはなんだろうかと思いながら、読む。

まだひらいていない。
その前に、今日発売した『コーラス』を読んでいたら、『Office You』の告知で、なんとあの
『月の夜星の朝』(本田恵子)の、「35ansシリーズ」新連載がはじまった、と出ている。
ええっとのけぞってしまった。
見たいような、見たくないような。
りおと遼太郎ですよ。森村先輩ですよ。にこちゃん、ですよ。北風のうしろの国ですよ
あの十字架のペンダントが全プレで出たときは小学生のわたしもどきどきしました。送らなかったけど。
小説は忘れるけど、少女漫画の内容はなんとなくおぼえているのが不思議。
そういえば、『月の夜星の朝』をはじめて読んだころが、ちょうど1984年だ。

さていつから『1Q84』を読もうか。
未読から既読になる前の、一度しかないこのしずかな時間。
この厚みの中にいつだって知らない世界が、もう破裂しそうなくらい、ぱんぱんにふくらんでいる。





余談ですが、「『1Q84』ってぜったい『IQ84』と間違えてる人がいるよね」と知人が言っていて、
たしかに!と笑っていたら、今日職場の書誌検索機がまさにその間違いをおかしていて、
目の前が暗くなった。
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by mayukoism | 2009-05-29 01:45 | 本のこと
夜中にするトイレ掃除というのはどうして人をしずかな気持ちにさせるのだろう。
深く、吸い込まれていく水の中に、もう思い出せない言葉のいくつかがまじっている。

今日はひとつもまともな仕事をしなかった。
仕事をしているふりだけした。
仕事をしているふり検定があったら、たぶん上級者になれる。
そんな日もある。

ある人より、ある宗教の信仰をやめる、という話をおうかがいし、なんだかとても重大な局面に
立ち会ってしまったという気持ちになっている。
個人的にわたしはその宗教とまったく関係がないのだが、仕事の延長線上で知り合った方なので、
やむを得ず、といった淡いつながりがあった。
じつはある時期から疑問を感じはじめていて、今回いよいよもうついていけない、ということになって、
とりあえず仕事をやめることにしました、とその人が言ったとき、まさに呆然としてしまい、なんと
言っていいのかわからなかった。
ひさしぶりにおそろしく濃密な話を聞いてしまった。

購入。
・『ポケットの中のレワニワ(上)・(下)』(伊井直行著/講談社)
・『なぎの葉考/少女』(野口冨士男著/講談社文芸文庫)
・『音のない記憶』(黒岩比佐子著/角川文庫)

伊井直行、実はどれもこれもけっこういいのだけど、この作家のよさを説明するのがなんだかむずかしい。
そしてこの作家のよさを語りあえる人を、自分の周囲にまったく知らない。
一昨年、荻窪に住んでいたころ、杉並区図書館にある伊井直行の著作をかたっぱしから借りて読んだ。
ひさしぶりに「はまる」作家を発見できたことがうれしかった。
ちょっとこの新刊を読んで、もういちど語りなおしてみよう。まずはひとりで。

読み途中。
・『歳月の鉛』(四方田犬彦著/工作舎)

詩は悲惨ゆえに、悲惨を契機として、悲惨を克服するために執筆されるのではない。もちろん悲惨を表現するために執筆されるものでもない。詩を書くという行為そのものが悲惨なのであって、世界のあらゆる飢えや苦痛や屈辱に対応している。
であるとすれば、詩を書こうとしてそれが書けないでいることはどうなのか。
私は、私が書いたそのものになりたいのだ。

第3章 ノオト 1972-1974 33 より


「詩」以外の「書く」という行為をともなう表現活動に対しても同じように言うことができるだろうか、と
考えてみる。ここでこう述べている語り手にとってはやはり「詩」以外のなにものでもないのだろうな、と
思うけれど、わたしはここで数々の「詩」ではないものを思い浮かべた。
私が書いたそのものになりたい、と思いたくてなにかを書いている、と思う。

再読。
・『猛スピードで母は』所収「サイドカーに犬」(長嶋有著/文春文庫)

知人の本棚から拝借し、読む。
どうも自分に必要なのは再読であるような気がしてきた。
物語の内容をまったく忘れていた。ただ、初読時に、「表題作よりもサイドカーのほうが好きだ」と
思ったことはありありと思い出した。
どうもなにかの分岐点を経て、それ以前に読んだものなのか、その前後に読んだものなのか、
おそらくそれは大学を卒業してからなのだが、そのあたりに読んだもののことを、じつは
すっかり忘れているような気がしている。
やっぱり長嶋有はおもしろい。
と、いま、キーを打とうとしてなぜか「おもしえろい」と打っていた。
直したけど、しみじみ眺めて「おもしえろい」ってなんだか長嶋有っぽいな、と思った。

というか明後日、あ、もう明日だ、には、村上春樹の新刊が出るのですよ。
大手の書店には水曜の午後あたりに並ぶはずです。こちらは協定品ではないそうです。
村上春樹の新刊というのは、好き嫌いにかかわらず、やっぱり大きなニュースである。
学生のころ、周囲は次々と村上春樹を読むのを止めていった。
わたしは迷って、でも読みつづけることを選んだ。
村上春樹がいまどこにいて、何を見て、何を言おうとしているのか、それをとにかく知っていなければ
いけない、と思った。
だからわたしは村上春樹を読みます。これからも。

ああ、そのまえに読み終えなければいけない本が多すぎる。
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by mayukoism | 2009-05-26 02:08 | 本のこと

5月22日

実家で飼っていた犬が亡くなってちょうど一年になる、ことをさっきまで忘れていた。
知人に言われて、思い出した。

犬なんて飼う予定はなかった。
ただ、そのころ臥せっていた家族を元気づけるために、父が買ってきたものだった。
犬の記憶と、病の記憶がともにある。
犬は、家の雰囲気というものを、ほんとうによく感じとる。
お世辞にも頭がいいとはいえなかったけれど、大変なときはおとなしかったし、
がんばらなきゃいけないときはいつもとちがう吠え方で吠えた。
その後、わたしは実家を出たので、家族の中ではいちばん会う回数が少なかった。
だからなのか帰ると、手持ちの荷物も巻いたマフラーも、ぐしゃぐしゃのべろんべろんにされて、
あそべあそべとあまえてきた。
大きい犬だったので、後ろ足で立つと同じくらいの背の高さになった。
それは、いままでにうけたどんな抱擁よりはげしかった。
散歩中に走ると、加減を知らないから全力疾走になった。
猫に出会うと背中のところがわかりやすくびくっとしていた。大きいのに気は小さかった。
年をとって、弱ってからがとてもとてもはやかった。
最期にそばにいることができなかった。

命日である、ことをすっかり忘れて、さきほどさがしものをしていたとき、
犬の、しっぽのところの毛が出てきた。
亡くなったときにお守りがわり、と言って持たされたものだった。
正直、そのことにすこし違和感はあったのだが、つきかえすこともないと思って、
もらっておいた。
机の中からでてきたそれを見て、たしかになにかがよぎったような気はしたのだ。
でもそれはあの違和感のことなのかと思っていた。
実際そうなのかもしれなかった。
わからないけれど、やっぱり今日は命日なのだった。

冷凍のカレーを何度も解凍して食べる。
暗くなった往来座の店先に、瀬戸さんが動いているのが見えた。
ストリングチーズをストリングしないで食べる。
余ったレモンティーをパックのままで飲みほす。
5月だというのになにかが終わっていくみたいに暑い。
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by mayukoism | 2009-05-22 01:41 | 生活

ハプニングみたい

本日。正午。
神保町は田村書店の均一に、現代詩文庫が大量に出ていたので買い占めてしまう。
詩集をかかえて職場にもどり、そ知らぬ顔で研修をうける。
レポートを書いて、発表したりする。
終わったあと、レポートの言葉を頭のなかで、意味がなくなるまで解体してやる。

昨日。休日。
ひさびさに行ったことのない場所へ出かける計画。
月島に行くことにする。理由はない。
銀座まで地下鉄で行く。銀座からは缶ビールを飲みながら歩く。
缶ビールは晴れた空に似合うが、銀座の路上で缶ビールを飲んでいる人はいない。
川や海が近いのはすぐわかる。風や匂いだけではなく。
そう言うと、空がなににも遮られてないからね、という返事がかえってきて、
漠然と思っていたことを言葉でいわれ、景色がすとんと腑におちた。

もんじゃストリートにさしかかり、恍惚とした気持ちになる。
「もんじゃストリート」と呼ばれている通りが、「もんじゃ屋」ばかりであるという当たり前のことが、
なにか奇跡的なことのように思える。
「もんじゃストリート」にあって、蕎麦屋やラーメン屋の暖簾をかかげている店の、
その選択にいたる経緯などを思ったりする。
ストリートもおもしろいが、横にはいった路地がなおいい。
古いポストやちょうちん、鉢のあふれる各々の勝手口には、生活の視線を感じる。
まあ、せっかくだからともんじゃとお好み焼きを食べる。
もんじゃは焼いてもらい、お好み焼きは自分で焼く。
こういうときうまくふるまって、上手に焼けるひとが、わたしの思うおとなだ。
いったいいつおとなになれるんだ。

もんじゃ屋を出てふらふらと、そういえばあの「月島の版元」が近くにあるのではないかと思いつく。
「月島の版元」には昨年からたいへんお世話になっている。
本があることや本を手にとること、本を買うことや本を売ること、そういった「本にかかわること」の、
いちばんはじめにあった楽しさを思い出させてくれるのが、この「月島の版元」である。
そして「月島の版元」のみなさんが、本当に面白い、すてきな人たちなのだ。
先日のイベントや、その打ち上げのことを思い出していたら、いつのまにかお土産のお煎餅などを買い、
にやにやとエレベーターのボタンを押していた。あれれ。
こんにちは。



「月島の版元」は倉庫の中にある。
ウォーターフロントと呼ばれる土地で、もともとあった倉庫群がなくなり、その跡地に高層マンションが
つぎつぎと建てられるなかに残された、ここはもっとも古い倉庫であり、建築史的にも貴重な建物らしい、と、
Iさんが言う。
階下にはかつて高橋幸宏や山本耀司が関わっていたレーベルのスタジオがあったそうだ。
仕事のはかどりそうな職場だ。
板張りの床に高い天井。斜めについた窓。白い壁。船の中にいるみたい。
版元なんて来ることがないから(というかなんで来ちゃったんだっけ?)、ついきょろきょろと見てしまう。
ここからあの土星のひらめきがうまれているのだ。
そういえばここは海をゆく船というより、宇宙船のようだ。

Iさんはリサイクル紙の裏に、「月島古書店マップ」を書いてくれた。
壁いっぱいの本棚と本棚いっぱいの本。
なにか尋ねるたびにIさんが走って部屋を出て行き、貴重な資料を持ってきてくださるのが申し訳なく、
またおかしかった。
Mさんが「ぜったいに彼は持って帰れない自分の本の置き場にしている」と呟く。
とつぜんお訪ねしてしまったというのに、おふたりともにこにこと競うように、興味深いお話を
たくさんしてくださった。

「月島の版元」さんと、一緒に仕事をするのは楽しい。
大変なことだってたくさんあるけれど、終わってみれば先日も本当に楽しかった。
また、いつか一緒にフェアやイベントをやりたいと、本当はたぶんそれを伝えたかったのだった。
それを伝えたかったのに伝えることもなく、お茶まで出してもらって、よくわからない闖入者のまま、
宇宙船をあとにした。
でも、楽しかった。
こういった自分でも予想がつかないような、ほとんどハプニングみたいな行動が実は大好きだ。
しかし、訪ねられたほうはご迷惑だったことだろう。
Mさん、Iさん、ありがとうございました、と届くかわからないけれど地球からお礼を言ってみる。

Iさん手書きの「月島古書店マップ」を見ながらたどりついた、掘り出し物があるという
門前仲町のブックオフでは、いい絵本が良心的な値段で売っていたので大量に購入。
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by mayukoism | 2009-05-20 01:08 | 見たもの
仕事をしていると、いろんな人の思惑が見えて、その思惑にいちいち答えようとすると、
どうしてもだれかがなにかが、影になる。
そこで自分をどう納得させるかだ。
これは、だれかとなにかの問題ではなく自分の問題だ。
なにをえらびとって、なにを満たすのか。
それを決めなければならない場面というのが、決めなければならない立場というのが
想像するより、意外ときつかったり。
たのしいだけでも、いっそいいのにね、と無責任に思ったり。

そうした日常のなかで、ちいさな場面をくりかえしまきもどしたりする。
部屋の窓をつたう何者かがいるような音がして、しぼりぞうきんのような気持ちで
ブラインドをあけたら、雨で育ったキンモクセイの枝が、2階のわが窓のふもとまで
のびていたのを見た夜のこととか、
今日の「古本酒場コクテイル 店長日記」(関東へ旅行)が、すばらしかったこととか、
自転車で坂道を猛スピードでおりて、ガードレールの手前であとから来る人を待とうと思ったら、
ちょうど左折してきたダスキンのワゴン車に、笑顔で「どうぞわたって」と言われちゃって、
わたらざるをえなかったこととか、

どうでもいいことばかり。
ぜんぶ過ぎていく。

過ぎていくものを、過ぎていくからいいんだなんて、知ってるみたいに言ったりしないで、
これ、どうにかのこせないのかなあ。
できたら言葉でのこせないのかなあ。
言葉ってそういうもののためにあるんじゃないのかなあ。
と、ふらふら渡る、五月晴れのお茶の水橋。
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by mayukoism | 2009-05-16 00:57 | 言葉

高峰秀子の太腿

ドトールで、以前勤務していた支店の同僚に目撃されたらしく、あなたは阿呆ではないか、
という類のメールを数人からいただく。

以前の勤務先のちかくには、いわゆる「ランチ」を出すような高級なお店しかなく、
そこでもわたしはもっぱら、ガード下のドトールにかよいつめていた。
高架を山手線がとおると、店内は騒音につつまれて、人々の動きがとまる。
喫煙しないのだけど、たいてい煙草くさい制服で勤務にもどるので、
「実はヘビースモーカー説」が一部に流れた。
異動するころ、ようやく分煙された。
お別れのとき、お世話になった同僚たちへのお礼として、品物といっしょに
ドトールのコーヒーチケットを一枚ずつつけた。
高架下のドトールのカウンターでいろんな本を読んで、いろんな人とすれ違って、
そのころたくさんの短歌を詠んだ。

一時間ぽっちしかない休憩で、ほんとうにみんなそんなに食事する店を選ぶのだろうか。
選ぶひまがあったら、はやく読みかけの本の世界へ行きたい。
そして、先立つものもないから長居のできるドトールへ行く。それだけなんだけど、
たしかにいい加減クロックムッシュにも飽きたな。
どうしようもないです。

休日。
成瀬巳喜男の『浮雲』をDVDにて鑑賞。
ああ、なんてだめなんだろう。男と女って。
富岡のずるさは途中で思わず笑ってしまうほどだったけれど、ゆき子の堕ち方はややいたかった。
ただ目の前の人を信じちゃっただけなのにねえ、と思いながらしみじみと観た。
でもきっと、この映画は笑いとばしちゃうのがいちばん正しいような気がする。
まちがいなく富岡は島でも、てごろな相手を見つけることだろう。
『浮雲』が成瀬の頂点というような評価をされている、といくつかネットの記事を見たけれど、
自分が観た数すくない成瀬作品のなかではそれほど「頂点」という感じはしなかった。
なんていうとほんとうの映画好きの人々に、ものすごくつっこまれそうでおそろしいけれど、
たとえば、いっさいゆるみのない構図と、その画に過不足なくよりそううつくしい女たちの
物語を描いた『流れる』のほうに、わたしはどちらかというと凄みを感じた。
ただ『浮雲』がものすごく印象にのこったことはまちがいないです。
成瀬巳喜男、もっと観てみたい。

そのあと知人が流した木下恵介『カルメン故郷に帰る』では、「ゆき子」が「カルメン」となって、
頭に羽根をつけ、山の中で踊りまくっていた。
ほどよく肉のついた太腿がすてきだった。
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by mayukoism | 2009-05-15 02:11 | 見たもの

5年後

駅前に、タクシーの「空車」の赤がつながっているのを見るといつも、心臓みたいだと思う。右胸。

古書現世の向井さん、東京堂の畠中さんと飲みに行く。
「5年後」について話す。
向井さんのようにやわらかく、ものごとの本質を見抜く目をもちたいなと思う。
畠中さんのようにやわらかく、好奇心と行動力をむすびつけられたらなと思う。
ふたりに共通しているのは、ふたりとも「現場」の方であるということで、
目で見て手で触れることのできる経験が、ふたりの中身をかたちづくっている。
それは「現場」のためにつみかさねられたもので、たとえばそれを何かの武器のように
ふりかざしたりはしない。
わたしはまだ経験を武器のようにおもっている。
だからうまく「現場」を、もしくは「現場」の自分をかたちづくることができない。

5年後、というからには5年前のことも思い出してみる。
5年前の自分がこうありたいと思う5年後に、自分はいまいるのかしら。
当然、いるとも言えるし、いないとも言える。
バイトであったのが縁あって社員になったり、向井さんや畠中さんとこんなふうにお話することもできたり、
現実的にはそのときのぞんだ場所に、それなりにいると思う。
でもやっぱり中身がともなっていないんだよなあ。
自分のできるせいいっぱいでだれかに対峙しようとしたときに、さしだせるものがない。
その感覚は5年以上前からかわらない。

あたらしい仕事の話からわらえる暴露話まで、いろいろ話しているうちに午前3時になった。
畠中さんが鼻血を出し、向井さんのまぶたの動きがゆっくりになってきたころ、店を出た。
畠中さんはタクシーに乗って、明治通りを手をふりながら走りぬけていった。
向井さんと往来座の前をとおったとき、往来座が閉まっているとなんかすごくさみしい気持ちになる、と言って、
わたしも日々そう思っていたので、でもそれをどう伝えれば「本当にそう思っている」ことのすべてが
伝わるのかわからなくて、あわあわとした。

翌日、遅刻してきたバイトさんに理由を聞いたら「神田祭の山車の馬が大暴れしていて」と
言ったのがおかしくて、注意しなければいけないのに笑ってしまった。
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by mayukoism | 2009-05-12 16:58 | 生活

Trust  me

ハル・ハートリー監督『トラスト・ミー』(1991年)をVHSにて鑑賞。

大学の友人がこの映画をふくむ「ハル・ハートリー三部作」について語っていたのを思い出し、手にとる。
友人が語っていた内容は、はっきり言ってすべて記憶からぬけおちている。
ただ、学生生活4年間をとおして、喜怒哀楽を表現することに長けているとは言いがたかった彼が、
「調布の映画館でひとりでこれを観て泣いた」というそれだけのことを強烈におぼえていた。
どうしてこれを観たいのか、問われてなんと説明したらいいのかわからなかったし、そもそも
どんな映画だったのかもまったく思い出せなかったが、観たいと思った。

16歳のマリアは妊娠していることを家族に告げる。
激怒する父親に平手打ちをくらわせて家を出て行ったことから、この少女の物語は小さな町の中で
大きくうねりはじめる。
エイドリアン・シェリー演じるマリアという少女の存在感、カラフルに塗りたくってよれてしまった小さな
画用紙のような、細い身体から目をはなせない。
マーティン・ドノバン演じるマシューはテレビ修理の仕事が嫌でたまらない。どこを見ているのかよく
わからないうつろな目がマリアを見るとき、恋人のような、親のような、先生のような、さまざまな
表情がいりまじったどうとも表しがたい情愛の視線になるのを、とても色っぽいと思って観ていた。

印象としてはジム・ジャームッシュから洒落っ気を排したような、スマートだけどごつごつした感じ。
そのごつごつと枠をはみ出す感じが非常によかった。
悲劇的な感じはなく、ほどほどに軽いユーモアが全編にあるのもいい。
マリアもマシューも、ここに出てくる登場人物はみななにかをはみ出している。はみ出したことですれちがう。
はみ出した場所からマリアがあっさりと言う。
「Trust me.」
わたしを信じて。
なんということもなく過ぎていくけれど、この場面がこの映画のひとつの頂点だ。

彼はいったいどこで泣いたのだろうか。



太陽の味のする人参をごちそうになる。
土の味のする人参はなんども食べたけれど、太陽の味のする人参ははじめてだ。
ていねいに細切りされた人参は、さきさきと、噛めばかむほどあまくなる。
ごちそうさまでした。



『颱風見舞』(井上靖)
『光る道』(檀一雄)
『空白の青春』(有馬頼義)
『赤猪子物語』(有吉佐和子)
『夫のしない』(川端康成)

以上の短篇を休憩中に一気に読む。
『空白の青春』で、「ソワサン・ヌーフ」という単語をはじめて知った。フランス語。
これをSと略して日記に書くのですよ。
この小説に付いている色川武大の解説がまたいい。
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by mayukoism | 2009-05-08 02:02 | 生活
昼にちかい朝、茶色いシャツをはおった月光仮面に起こされる。はやてのように去っていった。

書肆紅屋さんがご来店。一箱古本市の売上で本をお買い上げ。ありがとうございました。

売り子というのはつねになにかが起こるのを、だれかが来るのを、つねに「待ち」の精神状態でいる、と
いうことであって、それは愉快でも不快でもなく、気がついたら15年(!)もやっているのでそんなことには
もう慣れたけれども、仕事場以外の場所で知りあえた人と、仕事場でお会いできるということは、
個人的にはうれしいものです。たぶん、それまでは仕事モードだった顔が、わかりやすくゆるんでいる。
じっさいはなにもできないのだけど、なにかおもてなしを、とどなたが来てもあたふたする。
紅屋さんが棚のことにふれてくださり、ひさしぶりにすこしほっとした。がんばってみよう。

また退館がいちばん最後になる。
いつも最後ですねー、おつかれさまです、と警備室のおにいさんに言われる。
すいません無能なんです。
滞留している常備商品の入れ替えと、フェアの入れ替えを、閉店後にいっぺんにやろうとすることが
まず間違いなんです。
レジ前のフェア台をまるごと担当しているので、4つのフェアを順繰りに入れ替えなければならず、
気がついたら、一年中フェアのネタをひとりで考えている。
入れ替えながら、もう次のフェアのことに思いをはせている。
背表紙のとめどないおしゃべりを聞きながら、館内の電気をひとつずつ消す。みんなおやすみ。

くたびれて、近所のインドカレー屋に入り、キーマカレーと、こないだいただいた無料券で
つめたいチャイを頼んだ。
インドの(と、おもわれる)店員さんがしずかに笑って無料券を返してきた。
あれ、伝わってないかな、と思って、テーブルの端のところに券を置いた。
チャイを持ってきてくれた店員さんが、テーブルの上の券をさして首をふりながら、
マタ、ツカッテクダサイ、と言った。

松本清張『湖畔の人』(これはすばらしい短篇であった)を読みながら、やさしい国のチャイを味わった。

これが、今日のみっつのいい事でした。
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by mayukoism | 2009-05-05 04:11 | 生活

33冊のゆくえ

忌野清志郎が死んだって、花畑牧場の生キャラメルに行列はできるし、独りごとはくりかえされる。
直線でくぎられた空を見る。
この呼吸もいつかとまる。
なんだかなーと思いながら、日曜の朝、出勤する。

この一週間で買った本を数えたら33冊もあった。
神保町は田村書店の均一が先週は、文芸文庫にはじまり詩集に終わる、といったふうで、
このみの本がたくさん出ていたのだ。
ほかにも池袋西口古本まつり、小宮山書店ガレージセール、ブックオフ、往来座、に
ひょこひょこ足をのばしているうち、いつのまにかこんなことになっていた。

ほんとうは、本はあまり集めないほうです。
読むのもあまりはやくないので、鞄のなかに、つづきが待ちどおしくてしかたない本が1冊、
つねにあればそれでいいです。
ものとしての本、にもたぶんさほど思い入れはないほうなので、ブックオフの値札シールだって、
あなたほんとうにはがさないよね、とこないだ言われたばかりです。

本が好きイコール小説が好き、からはじまっているので、頁をひらいてどれだけとおくにいけるか
それだけでいい、はずなのに33冊、なにゆえに。

途方にくれて33冊を、たまにはみがいてみることにする。
値札シールもはがしてみる。ダイソーの「オイルライター専用オイル」はまったく優秀だ。
もうこれ以上がまんできなくなっちゃった女の子みたいにぺろんとはがれる。
こわれかけのPCでRCサクセションを流すと、夜のしずけさが輪郭をもつ。

33冊のなかでうれしかったのは、出帆新社版『愛のパンセ』(谷川俊太郎著/串田孫一装丁)と、
『ピューリファイ、ピューリファイ』(藤井貞和著/書肆山田刊)、それから、コクテイルで落札した
例の『文庫で読めない昭和名作短篇小説』で、はじめて読んだ長谷川四郎に唸っていたら、
講談社文芸文庫の『鶴』を300円でタイミングよく買えたのが、とびきりしあわせだった。

本棚に入るわけもなく、本棚の前に小山がいくつもできていく。
濡れ髪にタオルを巻いて作業していたら、前髪がはねてしまった。
音のわるいPCから、とまらずにまだ忌野清志郎の声が聴こえる。

いい事ばかりは ありゃしない
きのうは 白バイにつかまった
月光仮面が来ないのと
あの娘が 電話をかけてきた
金が欲しくて働いて 眠るだけ

『いい事ばかりは ありゃしない』より


「あの娘」が月光仮面と会えていたらいいなあ。
そろそろ眠ります。
明日も明後日もみっつくらいはいい事がありますように。
おやすみなさい。
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by mayukoism | 2009-05-04 03:28 | 本のこと