乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


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<   2009年 02月 ( 12 )   > この月の画像一覧

タイムテーブル

たまには日記らしく、いちにちの出来事を書いてみる。

遅番なので9時半に起床。
起床と言っても目をあけただけで、布団のなかから外気の冷たさをはかり、
無理だわー、起きられないわー、としばらくくねくねする。
あ、そういえば図書貸出センターに、予約した本が入荷していたのだった、と
思い出し布団から出る。
あっという間に出社さえもぎりぎりの時刻となり、それでも走って駅とは反対の
貸出コーナーまで行く。
借りたのはこれ。

『どこから行っても遠い町』(新潮社/川上弘美著)

川上弘美も買わなくなってしまった。パターンが完全にできあがってしまい、
何を読んでも初期作品のようにうらぎられることがない。
ちょっと特徴のあるかしこい主婦がだれかとセックスしたりしなかったり、
離婚したりしなかったり、という話はもういい。
でも一応は読む。
ふたたび走って駅まで。

木曜日はミーティングばかりで、そのうちのひとつにわたしも出る。
そういえば、浅生ハルミンさんにサイン本を作っていただいたとき、
パソコンに表示されていたスケジュールを見て、
「このOさん(わたし)の名前の前についている○○ってなんですか」と尋ねられ、
えーとそれは朝礼をやったり、シフトの管理をする人の名称で、たいへん面倒なので
いまもっともほっぽりなげたい仕事のうちのひとつです、と説明したのだが、
今日はその会議の日。課題問題難題をひたすらこねくりまわして終わる。

夕方、ドトールで遅い昼休憩。
最近は新しくなったクロックムッシュを食べている。ホットティーをあわせて500円。
もちろん1枚お得なコーヒーチケットを使う。
いま読んでいるのはこれ。

『おじいさんの綴方 河骨 立冬』(講談社学術文庫/木山捷平著)

生活や土地、そこにそのとき流れていた時間、にただ触れる。ただ触れたままじっとして、
撫でることもなければ摘みとることもない。
そこで人が暮している、ということ。
これは物語というよりも小説と呼びたい。物語という言葉がもつ仰々しさは、この本には不要だ。
ひっそりとたしかに入りこんでいく。
人間だなあ、と意味もなく思う。

職場にもどってまたミーティング。
さきほどの会議で話したことが、別の面倒な話にすりかわっている。
すいません、サイボーグではないので、そんなにいっぺんにはできません、と言いたいのを
ぐっとこらえて、聞く。
ベルが鳴ってレジに向かうと、カウンターに本の山がいくつもできている。
ベテランのアルバイトさんが、えらいことになりました、と言う。
全集をふたつお買い上げ、そしてこの山の中からいずれも3万円以下になるように領収証を、
書名入りで切ること。ははあ、この時期よくあることです。お買い上げありがとうございます。
あなたこっち、わたしこっち、あなたレジ、とふりわけてとりかかる。

ちょうどアルバイトの入れ替わりがはげしい時期なので、毎日だれかしら新人がレジにいる。
早くいろんなことを教えてあげたいのだが、まったくそちらに手が廻らない。
今日はごめん、研修できないな、と言うと、新人二人ともにこやかに、いいですよ、こちらこそ
お忙しいのにすみません、と言ってくれた。いい子たちだ。ありがとう。
どのフロアに行っても苦労しないように、ほんとうにきちんと教えてあげなければ、と思う。
ほんとうは、教えることは大の苦手なのだけれど。

そのまま閉店となる。

納品がほとんど終わっていない。22時半まで売場でひたすら配架。
だれもいない売場で、ぴこぴこ言う機械を持ちながら本を入れ替えるのは嫌いではないのだ。
ぼんやりと帰宅して、お風呂に湯をはりながら、これを読む。

『猫座の女の生活と意見』(晶文社/浅生ハルミン著)

ハルミンさんみたいなおともだちが、学生のときにいたらと、「パンツ」の話を読んで思う。

小学校4年生のとき仲がよかったナホコちゃんに、
「スキャンティーすき?」
と尋ねられて、スキャンティーがなんのことだかまったくわからなかったわたしは、
そのひびきからなにか得体の知れないふざけたものを感じて、
「す、すきじゃない」
と答えたところ、ごめん、誕生日プレゼントスキャンティーにしちゃった、と後日告白され、
もらった包みを開けてみると、そこにはピンク色のレースのパンツが入っていた。
そのときはレースのパンツがどうこういうより、知らないくせにきらいと発言して
ナホコちゃんを恐縮させてしまったことで頭がいっぱいだったけど、
今思うと、ナホコちゃんおとなだった。レースのパンツ…

男の子でもないけれど、女の子一直線でもない、そんな猫座の女の子の一人暮らしを
ハルミンさんはどんぴしゃと表現していて、読んでいてゆるゆるとしあわせな気分になる。
自分がうごかなければ何の物音もしないひとりの部屋で、この本があればひとりじゃないわ、
ひとりじゃないってすてきなことね、と勝手に心づよく思う。

いちにちの終わり、同時に電話をかけあうという事件が発生しておののく。
かけようと思って通話ボタンを押したら電話が鳴ったのだった。びっくりした。
先週、手ひどいクレームを受けてからずっと続いていた頭痛がやっと治る。

これは、そんなどこにでもあるようないちにちの出来事である。
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by mayukoism | 2009-02-27 02:15 | 生活

ホカロンとアラスカ

低い雲の下、学芸大学までムトーさんの絵を見に行く。
テーマはトラベラー。ムトーさんの「アラスカ」まで、小さなホカロンひとつで旅に出る。

グループ展なので、いろいろな人のいろいろな旅があり、旅先がある。
絵画としてのイラストレーションについて考える。
イラストレーション〔illustration〕;広告や書物などに使われる、挿絵や説明図。イラスト。
『新明解国語辞典 第四版』(三省堂)より

だとしたら、ムトーさんの「アラスカ」はイラストレーションをどこか逸脱している。
なぜならムトーさんの「アラスカ」は、絵の力だけでそこに立っている。
ムトーさんは絵を描く人だから、絵の力を借りてアラスカに行こうとした。
はじめにムトーさんの絵を見て、他の人の作品をぐるりと見て、それを繰りかえしながら、
そこにタイトルがなかったらどうだろう、と考えて、「フランス」「イギリス」「スペイン」などなどを
頭の中ではずしながら眺めたりする。
もちろんそこに至るまでにはさまざまな手段とプロセスがあったと思うけれども、ムトーさんは
ムトーさんのアラスカに行くために、言葉の力も出来合いのものとしての他者の力も借りなかった。
ただ、絵の力だけでそこに行こうとした。
そこにはげしさや強さはおどろくほどなくて、ただ深さだけがある。
ムトーさんの「アラスカ」は深い深い場所にぽっ、とある。
遠くから近くから眺めながら、わたしも深いその場所へ行こうとする。
行こうとして眺めるとほんの少し、描き手の思考が見える。
ここは紙の白をそのまま使っているけれど、こちらは白に白をかさねている。
この青い線は灰色の上に描いているけれど、いったいどの時点でここの青があらわれたのか。
この針葉樹とおぼしき記号の周りに最後に少し白を足したのはどうしてなのか。
下書きのように見える鉛筆の線にこめているのは何か。
答えがほしいわけではないのです。それにたぶんきっと答えはない。
ただ眺めて考えているうちに、ムトーさんのアラスカがわたしのアラスカになっている。
ふりはじめた白い雨の中、折り畳み傘をさぐる手のなかに「アラスカ」をひとつ持ち帰る。

帰宅して鍋。
起こされたのはおぼえているけれど、服のまま眠っていた。
明け方に一度覚めて、パジャマに着替えようとふくらんだポケットをまさぐると、ほのかな体温の
ホカロンが出てきた。
今日は、休日出勤。
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by mayukoism | 2009-02-26 03:00 | 見たもの
明日の朝もはやいから、はやく寝ようと思っていたのに
お風呂のあとの、濡れ髪のままで、
頭の芯のところをぼんやりさせているのが好きだ。
いまこうやって起きているのは、たまたまYouTubeで
二階堂和美の歌を聴いてしまったことと、
荻原魚雷さんのブログを読んでしまったからで、
二階堂和美というひとのことはよく知らないが、
2008年12月17日の日記に書いている、
文筆家のKさんからいただいたCDにこの人の歌が
入っていたので、なんとなくYouTubeの画像を
見つけて聴いてみたらおそろしくよくて、
思わず急いでとめてしまった。
本もそうで、これはすごい、と思うと閉じてしまう。
呼吸ができない。だれでもいい。つかまえて
この本がすごいと言いたい。走ってつかまえて、
これがどんなにすごいかをあなたに知ってほしいのだと。

言いたい。

が、つまらないことに一応常識的な感覚を持ち合わせて
しまっているので、自分を落ち着かせるために一度閉じる。
そこから離れる。離れて体勢をととのえてからまたひらくのだ。
いま、二階堂和美の歌を聴いてこれはまずいと思った。
いま開店しているCDショップなんてあるわけないし、
あったとしてもこのひとのCDはないだろうし、それよりなにより
いつものことですが明日は6時起きです。
がまんがまんと、また頭の中をぼんやりさせて、
魚雷さんのブログを見たら菅原克己のことが書いてあって、ああ、と思った。

仙台の火星の庭で、ご好意でいただいた「古本の森.文学採集ノート」を
読んだときもそうだったのだが、魚雷さんの文章を読んでいると、
わたしは本当に条件反射で涙が出てしまうのだった。
それは魚雷さんが言葉の力を、文学の力をとても深く知っていて、
しかしだからと言って何かをおしえさとそうとしているわけではなくて、
つねにその言葉にどうしようもなく揺り動かされていて、
その揺り動かされ方が切実で誠実だからだ。
魚雷さんの文章を読んでいると、ここに書かれているこの世界、
この言葉の世界に行きたい。いますぐに行きたい。
そのようにつよく願って、願いながら濡れ髪はゆっくりと冷えていく。
濡れ髪がわたしより先に夜になる。





やや感情のままに突っ走った文章を書きました。ブログ、というものがいまだに
ちょっとおそろしいのでこういう文章はいつもなら削除するか推敲するのですが、
たまにはこのままのせてみます。
最近の自分の文章はややゆるんでいるので、近々ひきしめないとと思っている。
ここからはだれなのかわからないのですが、読みづらかったらごめんなさい。
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by mayukoism | 2009-02-17 01:45 | 言葉

夜をつむぐ

「左のポケットに!」
と、信号待ちの集団のうしろのほうから、
「1000円札が入ってた!」
声があがる。
信号を待つ知らない人たちの群れが、あらよかったねーという空気になった。

今週はまだあと二日、仕事に行かなくてはならない。
イレギュラーなシフトは苦手だ。

夜の路地を歩くと、磨りガラスごしに他人の家のお勝手が見えることがある。
なぜお玉といっしょに如雨露が、とか、逆さにずらりつるされた牛乳パックとか。
生活に圧倒される。生活の景色は言葉よりもまるごと人の思想。
ひとつところに長く暮らせばそんなふうになれるのだろうか。

その路地をぬけてブックオフへ。
購入。
『私の文学漂流』(新潮文庫/吉村昭著)
ひそかに探していたのだが、なぜ探していたのかもうさっぱり思い出せない。
財布をひらくと小銭しかなかったので、Tポイントで買う。
200円でシュークリームを買って帰り、いま財布には34円しか入っておりません。
こうなるとむしろしゃきっとしたりする。

ラジオからは江利チエミの『テネシー・ワルツ』。
当時14歳だという。I remember the night、うるわしてねしーわー。
では江利チエミさんの歌声を聴きながらお別れです。
ごきげんよう。みなさん、ごきげんよう。
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by mayukoism | 2009-02-16 04:01 | 生活

いままでとこれから

長く生きるということが、大切と思える人たちが増えることだといいと思う。
満員電車で目を閉じて、くたびれた体の深さを少しはかる。

駅が改修されるよ、南口(ナンコウ、と呼んでいた)の伝言板も今はないけどね、と
大学時代の友人(もうすぐ虹もとい二児の父)に、「改修工事のお知らせ」写真付きメールを送る。
日にちをおいて返ってきたメールは、なんということもない内容だ。
17日が予定日、生まれたら嫁が実家に帰るからその間に飲もう、というもの。

こういうとき、今までに会った素直に好きだと思える人たちの顔を、
ひとりひとり思いうかべて頭の中で七ならべのように並べるくせがある。
率直に好きだと言えるひとは、比べないけどたぶん少ない。
好きな人同士、会ったことのある人もいればない人もいる。
大切、のモードもさまざまである。

ひとりでいることがいっとう好きだった。
余計な荷物を背負いたくないからとりあえず人当たりをよくしているだけで、
ひとりでいることが本当だと思っていたし、いまも若干思っています。

だから、メールを送ると返ってくるというこの単純な運動が奇跡のように思える。
もう忘れているかもしれない、とぼんやり思いながらメールを送ると、そうやって返ってくるから、
ああ、どうやらまだおぼえてくれているらしいとわかる。
わかるとそのことがほんとうにうれしい。
うれしくて、好きな人の顔をひとつひとつ並べる。ひとりが好きだったのに、いつのまにか
こんなに好きな人が増えている。

なりゆきで知らない人ばかりの飲み会に参加するはめになってしまって、
そういうときはとりあえず飲んで、テンションをその場のそれにゼロから作り上げるのだ。
そうするともう自分がだれなんだかさっぱりわからなくなって、
ほんとうは早く津村記久子の受賞作の感想なんかも考えたいのに、
だってあれはぜったいに書かなくてはいけない、ここから文学のモードが少し変わるかも
知れないから、でもそんなの別にだれにたのまれたわけでもないのに、と思ったそのとき
終電が急停車して、ひとびとがなだれてわずかにできた空間で息を吸うと、
去年のいまごろはまだ生きていた犬のシャンプーの匂いがふとした。
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by mayukoism | 2009-02-14 01:27 | 生活

へっぽこ記念日

長嶋有の『ねるまえに』を少しずつ読みながら、物語上の「場」に対する表現の、
ある種のしつこさみたいなものが保坂和志のそれに似ている、と思いついて、
というのも保坂和志も長嶋有も本当に好きなのだが、
以前のようにすらすらとはどうにも読めず、
この、あえて「場」を停滞させるような物語へのアプローチの仕方を
本当に支持していいのかが個人的によくわからなくなってきていて、
そういえば『カンバセイション・ピース』を読んだときも同じようなことを考えたことを思い出して、
でも保坂和志と長嶋有の作品は明らかに手触りが異なり、
しいて言えば保坂はその場に流れる「思い」をそのまま形にするために
小説という箱を利用しているのに対し、
長嶋はその場に流れる「時間」をそのまま形にしようとして小説、以下同、
などとつらつら考えながら、ああ、そこから先へ進むのにはもう眠くなってきてしまった、と
話しかける人もない2月の深夜3時なのであった。
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by mayukoism | 2009-02-12 03:01 | 本のこと

本屋さんのお仕事

いらっしゃいませと、ありがとうございましたを反復しながら、たくさんの本に触れている。
たくさんの本に触れながらも、そのときこの手は感じる言葉をもたない。
本はこの手を通過していき、言葉はぐんぐん透明になる。
本屋ではたらくということはそのくり返しだ。

それでも日々、ぱたんと目の前に置かれた本のすがたが、なぜかこころからはなれないことは
たしかにあって、そういうときはうわのそらで数字を打ちこみながら、ちょっと失礼この本を
ひらきたいのですがひらきたいのですが、と頭の中でくりかえす。
それができないから、題名をおぼえてあとで棚まで見に行ったり、しらべたりもする。

今日、何冊かお買い上げの詩集のなかにこの本がまじっていて、この表紙を見たときに
レジでなにか風向きがかわったようになってはっとして、これはなんだ、なんなのだっけ、と
思っていた。
思っていたが、あまりにも雑務が次から次へと押し寄せてわすれてしまい、、
さきほど帰宅してパソコンをひらいてあっと思い出した。

古書往来座のブログで紹介されていた本でした。
・『陽気な引越し 菅原克己の小さな詩集』 (西田書店)
往来座のブログに「姉高橋たか子」とあるので、はじめはえっ、あの小説家の高橋たか子?と
おもったのですが、いや、全然生年がちがう。この「高橋たか子」はだれだ、と
インターネットで検索しながら、ふいにあらわれた菅原克己の詩をいくつか読んで、
これは。

これはやられてしまうと思った。
言葉が、さしだされたまっすぐな手のひらのようだ。
なんの交換条件もなく。

本屋さんをやっていると、かなり頻繁にこういうことは起こる。
姉で詩人らしい「高橋たか子」と雑司が谷のかかわりもなんとなくちょっと気になるので、
調べてみたい。
まずは明日、菅原克己の詩集から。
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by mayukoism | 2009-02-07 01:51 | 本のこと

沖縄の夜と東京の朝

明治通りのゆるい坂道からも、アルタ裏のネオン街からも月は見えるし、星も見える。
帰り道とは、いつもひとりひとりであるということ。

夜もふけて、知っている人はじめての人入りまじりの酒宴に参加させていただく。
その名も沖縄会。由来は知らない。沖縄料理屋にて開催されるからなのだろうか。
大きなテーブルに沖縄のにおいの料理が並んだ。

ルートビアなる不思議な飲みものが廻されてやってくる。
口に含んでしばらくするとだれもが小鼻をふくらませ、これは飲みものではない、と言う。
これではまるで「甘い湿布」じゃないか、と言う。
飲んだことのない方は、なんだそりゃ、と思うことだろうが、これがまさに「甘い湿布」なのだ。
まずそうでしょう。アメリカでうまれた飲みものだそうです。なんとなく納得。

宴もおわりに近づいたころ、明日誕生日の方がいることがわかる。
6種類のアイスがテーブルに並ぶ。さあ、どれでも好きなものをお選びください。
クリーム色がバニラ、濃いむらさきが紅いも、うすい緑がゴーヤ、うす茶色がさとうきび、
白とオレンジのミックスがマンゴタンゴ、うすいむらさきがウベ。

ウベ?

ウベ、ウベベべ、なにか頭のなかでなんどもくりかえしたくなる、偏執的なひびきである。
なんだかわからないまま食していたが、紅芋の仲間でベニヤマイモのことを沖縄の言葉で
ウベというらしい。ああウベ。

どのアイスもおいしかったが、ゴーヤのアイスについては、これはゴーヤじゃない!
安いメロン味!とムトーさん(また登場させてしまいすみません)が言いはっていた。
それを受けて、あのーこれゴーヤですよね、と何度も店員さんに確認する
マエダさんがすてきだった。

読了。

・『芥川賞を取らなかった名作たち』(朝日新書/佐伯一麦著)

選からもれた作品に光をあてることで、その小説の、あるいは作家の、あるいは
賞というシステムの「影」が浮かびあがって見えたことがおもしろかった。
限られたページ数ではあるが、佐伯一麦の読み解き方が、細部にわたって丁寧なので、
とりあげられなかった作品でも読みたい、と思わせてくれる。
そしてこの新書を読んでいるあいだ、なぜか無性に文章を書きたいと思っていた。
ここのところ連日、ブログを更新しているのはたぶんそのせいです。

購入。

・『ポトスライムの舟』(講談社/津村記久子著)
まだ読んでいないけれど、このタイトルは今まででいちばんいいと思う。

・『ねたあとに』(朝日新聞出版/長嶋有著)
この装丁…高野文子じゃないだろうか…と思って調べたらやはりそうだった。
『タンノイのエジンバラ』につづいて2作目の高野文子装丁。
長嶋有は大島弓子装丁の本もあるし、なんていうかこの人は物としての本に
付加価値をつけるのがすごくうまい。そこには名久井さんの力もあるのだろうけれど。
そういうバランスのよさが、作品中の固有名詞の選び方に出ている。アイテムの力を
ずるいくらいに上手に借りて物語をすすめていく。
とりあえず長編ということなので楽しみだ。

さっき電話で早く寝るように言われたばかりなのに、またこんな時間になってしまった。
さようなら、沖縄の夜。
おやすみなさい、東京の朝。
今日言葉をかわしたひとたちが明日も元気でありますよう。
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by mayukoism | 2009-02-06 03:10 | 生活

歌いつづけるということ

ヤマダ電機のテレビ売場で、サザンの30周年記念ライブが流れているのだと言う。
これがすばらしいのだと言う。
それはそうだろう、すばらしくないわけがないだろう、ということで連れられて観にゆく。
ヤマダ電機に。

とりあえず怪しくないよう、ときどき違う売場をうろうろとし、と言うけれども、
たぶん充分あやしい。しかし、あやしいあやしくないを考えるまもなく、
AQUOSの巨大な画面に映る桑田佳祐に、たしかにすぐに惹きつけられる。
画面に映し出される観客の多くがレインコートをかぶっている。雨が降っているのだ。

上階のDVD売場でライブのセットリストを確認すると、ここから後半、怒涛の
バラードメドレーであることがわかり、慌ててテレビ売場に戻る。
そこからほぼ二時間、本当に見入ってしまった。足が少しずつむくんでいるのは
感じたけれど、まったく気にならなかった。

ひとはこんなにも代表曲を作れるものなのか。
これだけ完璧な歌があれば、どこかで満足してしまいそうなのに、なぜこのひとは
歌を作りつづけるのだろう。そしてなぜそれを歌いつづけるのだろう。
そして詩の、この世界の切りとり方はまったくなんということだろう。

また、歌う桑田佳祐と演奏するメンバーもさることながら、頻繁にはさまれる
観客の表情がなんとも言えない。今ここに立って、見ていること聴いていること、
すべての五感を信じている顔で、それぞれ笑ったりちょっと涙ぐんだり、踊ったりしている。
子ども連れも多い。

雨が降っている。
嘘みたいな話だけれど、途中で画面に入り込みすぎて自分も雨に濡れていて寒い、ような
錯覚に陥ってしまった。ちがった、ここはヤマダ電機だった。さぞかし迷惑だろうなと
頭では思いながら、離れられない。

とうとう最後まで見てしまい、放心しながらマクドナルドへ入った。

ここ何年か、それなりに恵まれた環境で仕事をしていたので、なんとなく仕事に割く
時間とエネルギーが多かったように思う。それはそれで、大事なところは持ちつづけたいと
思うけれど、どこかでこれは本当じゃない、と思う自分もいて、10代20代でもあるまいし、
なにをいまさらそんな、というのもわかるけれど、でもやっぱり違うんだよなあ、と思ったりする。

働きたくないわけではない。
ただ働くこととは別に、こうしたいと思っていることは実はずっと明確にあって、
でもそこからもなんとなく逃げている。その可能性を否定されるのがたぶんこわいのだ。
でもそれで保守的になるくらいなら、やって砕けるしかないだろうとも思う。
それに砕けてもたぶんやりつづけてしまうと思う。

そんなことをつらつらと考えながら、カラオケで二時間、サザンばかりを歌っていた。
飲みほしそびれたトマトジュースが薄まって、今日は見なかった夕ぐれの色になった。
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by mayukoism | 2009-02-05 02:43 | 見たもの

儺(おにやらい)

ムトーさんが鬼子母神の豆まきに行こうって、と玄関で電話を切った知人が言うので、
とりあえず豆まき前の腹ごしらえに池袋西武の屋上へゆく。
広い空の下のちっぽけな人々を見ながらうどんを食し、とことこと鬼子母神へ。

本堂の前、紅白の横断幕におおわれた高台が見える。高台を囲んでゆるい人垣が
すでにできている。人垣のうしろからムトーさんをさがす。ムトーさんいちばん前に
陣取ってそうだよね、でもいない。さまざまな色合いの後頭部をぼんやり見ながら立っていると、本堂のほうから往来座の瀬戸さんとムトーさんが曇天を背に連れ立って来た。

豆まきはなかなかはじまらない。
豆はまきませんでした、うちは落花生とチョコレートをまいてました、と知人が言う。
なんで、と尋ねるムトーさんに、子どもは豆、そんなに好きじゃないから。
そのやりとりを聞きながらやっぱりぼんやりと、そうかなあ、豆けっこう好きだったけど、と思う。
年の分だけ食べられるなら大人っていいな、と思っていた。

瀬戸さんの姿がいつのまにか見えない。あ、あそこに、と指さす先を見ると、
本堂の前で、なにやら談笑している姿が冬木の間から見える。
瀬戸さんの姿を見ていたら、背の方から人がずずいと割り込んでくる気配。
それを見たうしろの人が、全体的にじりじりと前のほうに寄ってくる。
紅白横断幕のうららかさとはかけ離れた、緊張感と殺気の高まりを肌で感じる。

ふっとふりむいた前のおにいさんが、こつがあるんだよ、と言う。
タオルを首にしっかりと巻き、手には豆入れ用らしきビニール袋を持っている。
毎年10個以上は確実に持って帰ると言う。
みんな敵だと思うことだ、なぎ倒してとる、とにやりと笑う。
どうもこの豆まきはわたしの知っているのどかな豆まきとは違うようだ。
それともこれが本当の節分なのか、鬼か、そうなのか。

やがて高台の上には年男年女、毎年来ているらしい著名人たちが並び、
豆が入っているふくらんだ茶封筒を持っている。豆はぽち袋に入っており、
中には小さな観音様が入っているものがあるのだとムトーさんが言う。
それはいいな、と思う。ぽち袋を開けて豆と一緒に観音様がでてきたら、うれしいだろう。

太鼓の音がひびいて、豆まきがはじまった。
曇り空へのびてゆくたくさんの腕、腕。色とりどりのぽち袋が空から降ってくる。ゆれる背中。
足の間に落ちてゆくぽち袋を指先でさぐりあてた、と思ったらだれかの手がさっと持っていく。
いくつかはショルダーバックの上に落ち、前の人のしゃがみこんだ頭の上に落ち、
それで手にとった。空中でキャッチできたのはたぶん三袋くらいだ。

三たび豆はまかれ、そのたび人々は口々に何かを言い合い福豆にむらがり、歓声をあげた。
知らない人の体温を感じた。肩で息をしながら、これはいいもんだと思った。
くりかえしくりかえされながら、そこで見知らぬひとたちがたえずゆきかい触れ合うことを、
知っているこの町がすきだなと、わたしははじめて言葉で思った。

帰り道、ぽち袋を空に透かして、観音様の姿をさがしたけれど見えなかった。
思いのほかたくさん取れたので、往来座と、夜に会った古書現世の向井さん、
立石書店の岡島さんに、福のおすそわけをした。
どうかほどよくよいことがありますよう。
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by mayukoism | 2009-02-04 00:45 | 生活