乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2008年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

世界のはての環七

歩きながらものを食べるのは行儀がわるいだろう。
歩きながらものを食べるなんて、こどものころは想像したこともなかったろう。
こどものころ想像できなかったことを、大人になってから知ることができて、
さらにそれを試すこともできる。
大人ってときにすばらしい。

「コクテイル」でチキンラーメンを頼んだら、ごめん、もう終わっちゃった、と
言われて、それはまったく仕方のないことなんだけど、なんかもう身体の中に
チキンラーメンのかたちの空地ができあがってしまっていて、
ああラーメン、ああタンパク質。
そういうことってありますよね。

「コクテイル」を出て、なにか主食的なものが食べたい、とつぶやくと、
じゃあ、カップラーメン食べながら歩くか、と言われて、
つくづく食べものによわい、歩きながらカップラーメンを食べるという発想に、
もうこころが沸騰して、食べる食べるととびついたのだった。

シーフードヌードルの銀色のふたを半分開けて、あの銀色のふたがぴりぴり
はがれる感触がけっこう好きだけど、それよりもいまはポットのお湯が出ない、
「ロック解除」を押すのね、なるほど、とわたわたしながらコンビニを出る。
3分歩いて環七通り、こぼさないように口にくわえて箸を割る。
ああ行儀が悪いってすてき。
いただきます。

黙ってすすり歩きながら、シーフードヌードルを開発した人々に思いをはせる。
ヌードル開発チーム。
シーフードベースなんてどうでしょう、カレーはわかるけどもねえ、
癖がでるんじゃないの、わざわざインスタントで魚介ってのもどうなのよ、
いえ、ここはホタテベースで、とか、そういう仕事についたことがないので
適当にオフィスっぽい白い部屋を想像する。
ありがとう想像の白い部屋の開発チーム。
あなたたちのおかげで、今こうして歩き食べしています。


 環七はたえず流れる。
 環七はたえず途上にある。
 時間から「現在」だけをぽこりと抜き出したら、それはきっと環七のかたちだ。
 環七は黙っている。
 環七はどこへも行かない。


スープはちょっと立ちどまって飲み干す。
スープ身体にわるい。身体にわるいものはたいがいおいしい。
ごちそうさまでした。
ごちそうさまでした。
満腹の身体でふわふわとまた歩き出す。わたしは夜の環七にいのる。

どうか明日も健康であるように。
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by mayukoism | 2008-12-23 02:35 | 生活
読解力、があるように音解力というのもあると思うのだよ。
あるひとが選曲したCD-Rを聴いて、

・京都の大学生(くるり)
・あなたと歩くの(二階堂和美)
・そわれ(Metro)

この並びがすばらしく、この3曲のみをプログラムして、くりかえし聴いたりしている。
ここで「この歌がよい」と思う自分のアンテナというのは、詩に拠るところがかなり大きい。
詩が先にあり、付随する音がある。
詩と音はつらなり不可視の立体となり、感性の回路をごつごつと通過する。
そのごつごつがここちよかったり、自分にとってあたらしいと、詩の意味がすりきれるまで
何度でも聴く。
では、詩のない曲や詩の意味のわからない洋楽についてはどのように聴くのかというと、
そこが問題で、聴きかたがよくわからないのである。
たぶんわたしは音楽を「聴く」というよりも音楽を「読んで」いるのだと思う。
音楽を感じられるかどうか、という点において多少のコンプレックスがある。
音楽がなくても、たぶんなに不自由なく生きていけるだろう。
では、詩がなかったら?
どうだろう、どうだろうな、きっともっと長生きしてしまうのではないかな。
それもいいのかもしれないよ。

今日もデートは左京区
大学近くの喫茶店
はよ大人になってくれ
原チャで来はったわ

(くるり『京都の大学生』より)

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by mayukoism | 2008-12-17 01:44 | 言葉

文坂断想

御茶ノ水橋から見る神田川はときどき完璧なのでおどろく。

東京方面へ向かう中央線と、池袋へ向かう丸の内線とが、
川をなでるように動きだして、見あげた空には雨に洗われ
すっきりとした顔の満月。

と、思ったら満月は昨日であった。
ボサノヴァがえんえんとかかりつづけている、深夜のラジオ。

いかにも風邪をひきそうなスケジュールだと思っていたら、
案の定ひいた。今年に入ってからはじめてではないだろうか。
ここのところずっと、身体よりも気のほうがまさっていて、
ひきそうだなと思っても気力でおさえてきた。
ここにきて身体のほうがずずいと前に出てきて、ごまかせなくなった。
そんな今年もあと2週間ほどで終わる。

扉をあけたときお米の炊けるかおりがすることのしあわせは、
そのまま人間にうまれたことのしあわせだと思う。

M字の星と言うのでカシオペヤ座かと思えば、オリオン座だった。
星座を知らなければ星はひとつひとつで孤独。
星座を知っていても星の気持ちは孤独だ、たぶん。

風邪を追い出すためにステーキを食べる。デニーズで。
食べ終わったあと、大学ノートにらくがきをする。
ひとつの景色を描く。それに相手がもうひとつ別の景色をつけたす。
卒業式をさぼって屋上にいる男子高校生ヘッドホン付き、を描いたのに、
ビルから飛び降りようとしている人、と思われた。

いつのまにかボサノヴァが終わって、ヨコハマタソガレがかかっている。
もう明け方か。
これは、おそらくドリンクバーでカフェインを取りすぎたんだな。

終電がなくなってからの神田川はくらいのかしら。
あかるいのかしら。

おそろしさとは
ゐることかしら
ゐないことかしら

(吉原幸子『無題』(ナンセンス)より)


おやすみなさい。(眠れたら)
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by mayukoism | 2008-12-15 03:16 | 生活
朝の列車ははやい。
目をとじて、意識がとぶころ最寄り駅。
もう着いてしまったかあ、と知らないひとの背中を見ながらのろのろ階段を降りる。
棚ーをかたかた鳴らしつつー、きょーうも仕事であることよー(うたう)

帰りの列車はゆっくり。
土日だとすわれる。なるべくなにも考えないようにして、窓を見ている。
つやつやとした闇のうえに、向こう側のネオンとこちら側の蛍光灯が混在する。
棚ーをぱたぱたはたきつつー、あーすも仕事であることよー(くりかえし)

みちくさ市のあとのうちあげで、どさくさにまぎれていつのまにかNさんから借りていた
『茄子』(講談社アフタヌーンKC/黒田硫黄著)、まだ1巻目ですが、これ、
ものすごくおもしろい。タイトルどおり、なぜか茄子をめぐる連作短編。
あらすじを話しても、このよさは伝わらない。
ストーリーによりそうちょっとした動きや、台詞や、景色の絶妙なこまやかさと、
勢いのある太い線とのアンバランスなバランスがにくい。
コマのあいだに流れはなくて、ひとつひとつが絵のように詩のように完結している。
そこからなにかとくべつな呼吸を感じます。これはもうすべて意図的だと思う。
そしてその意図がどれもきいている。
「その8 ランチボックス」なんて、これはひとつの短編として、小説にしたって
完璧だろう。いや、でもこれは漫画だからいいのだけれど。このふたりは
2巻以降また出てきたりするのだろうか。出てくればいいのに。いずれにしても
このあとが愉しみ。
この作者はぜったいに短編の人だと思うのだけど、長編もおもしろいのかなあ。

もうひとつ借りもの。『読むので思う』(幻戯書房/荒川洋治著)。
読み途中。
ひらくとすぐにサインがあるので、読みはじめるたびいつもびくりとなる。
そして読みながら、もういてもたってもいられなくなる。
だいたい仕事の休憩中にドトールで読むのだけれど、その場で制服を脱ぎたくなる。
ああ、仕事なんて(?)してる場合じゃない、はやくはやくここに書かれているこの本を
見つけて読まないと、はたしていまの自分にとってそれ以上に大事なことなどあるだろうか、
(いや、ない)、と、はやるこころで、漢文訳のようにくりかえす。
と、さっき電話で貸主と興奮しながら会話する。電話ってものもいつまで経っても不思議だ。
どうして声がとどくのだ?そしてたぶんこのどうして、は理屈じゃない。電話の声も不思議。
そしてこういう面白い本が手元にあるときにかぎって、大きな仕事がかさなるのです。
くわしい感想は読了してから、後日。

 
 ためらいもなくはりつめる柿の実の簡潔な告白にうたれよ


おやすみなさい。
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by mayukoism | 2008-12-08 01:23 | 本のこと
歩くと、外気にふれる素肌の部分がぼわぼわとしびれてくる。
冬め、その調子だ、と思う。
寒いのも暑いのも得意ではないけれど、冬は冬のようにあってほしい。
おおいなるなにものかの、はるかなサイクルを感じながらわたしは何枚でも着込もう。

昨日、イトヤマさんに会った。イトヤマさん、絲山秋子さんである。
近所でサイン会があったので、なりゆきで参加してみる。
作家本人や作家のお話にはそれなりに興味があるけれど、サインはそれほどでもない。
たまたま手にした本がサイン本であれば、おっ、とは思うけれど、この本が好きだから
この作家のサインがほしい、とはそんなに思わない。
本の言葉に触れていれば十分に深まると思っている。
だからかなり気軽な気持ちで参加したのだが、列がみじかくなるにつれ、やや緊張してくる。
なにか言ってみようか、と思いついたからだ。
『文學界』をたまたま見てからずっと追っている、ことくらい伝えておこうと思ったら、
手が冷たくなってきてしまった。なんだこりゃ。
いよいよ目の前に来る。あろうことか夏に飲みかわした編集者さんがイトヤマさんの
そばにいて、待ちながらかるく挨拶するも、さらに動揺する。
自分の番になった。
椅子にすわった。

もう読んだか、と聞かれた。
読みました、と答える。
つづけて、デビュー作の『文學界』をまだ持っています、と言う。
イトヤマさんがすこし、かまえた、ような気がした。
村上春樹って大きく書いてある、あれ、と言われる。
そうです、正直はじめはそれが目当てだったんですが、と言うと、
地元の本屋にもたくさん積んであって、受賞したのをそんなに宣伝してくれているのかと
びっくりした、と言うのでわらう。
『文學界』からぜんぶ読んでます、と言う。
ありがとう、べつに浮気してもいいんだよ、と言われる。
わらう。
握手する。
ありがとうございました。
以上。

本をかかえて仕事に戻りながら、会話を反芻する。
洋服や姿ははやくもあまり思い出せない。
会話や声は思い出せる。
サインを見る。
イトヤマさんが書いたわたしの名前を見る。
うれしいわけでもない。
かなしいわけでもない。
浮き足だっているわけでもないが、落ち着いているわけでもない。
ただ、創る人の創られた言葉ではなく、生身に触れることで、なにかがずれる。
世界がゆがむ。
昨晩はそれで、ずっとずれていた。ずれるのをどうしたらいいのかわからないまま、
帰宅して、ラジオをぼんやり聴きつづけたりしていた。
まだずれている。鮭フレークの瓶がたおれた。
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by mayukoism | 2008-12-06 22:13 | 本のこと

旅人の愛情

10月21日の日記で絲山秋子 について書いた。
間をおかず新刊が出たので手にとると紀行文であった。『北緯14度』(講談社)。
アフリカ、セネガルへの2ヶ月の旅。書き下ろしである。

絲山秋子はエッセイやノンフィクションのほうがおもしろいのではないか、と
じつは10月21日も書きながら思っていた。
絲山秋子の言葉はおそらく書き手である絲山本人と、本来は近い場所に存在する。
小説の場合、絲山はそれをなるべく遠ざけようとする。そしてその距離感はときに
揺らぐ。たぶん絲山本人にとって思い入れのある場面であったり、集中が途切れたときに、
その揺らぎはほんの少し表面化する。
それはけっして物語のながれを妨げるような致命的なものではないが、全編を省みたとき、
ところどころ輪郭がぼやけていることに気づく。
今後、それがより表面化して欠点となっていくのか、あるいはそれを武器として
利用していくのか、どちらにころがる可能性もひとしくあると思うが、
エッセイやノンフィクションでは絲山と言葉の距離感は一定である。一定して近い。
もちろん、エッセイやノンフィクションで書かれている出来事や、絲山本人であるだろう
語り手のふるまいや感じ方が現実そのものであるとは思わない。
ただ、絲山のエッセイに登場する他者に対して、絲山が常に誠実であろうとしていることは
わかる。愛情をもって見つめていることもわかる。他者に対する絲山の主観は、
その誠実さと愛情の上にあらわれる。その、思いのベクトルの強さがつねに一定しており、
フィクションを書くときのように書き手自身がコントロールしようとしていないので、
文章がぶれない。
だからなんとなく安心しておもしろいのだ。

セネガルという絲山にとっての漠然とした憧れの地が、時間と経験を重ねてどんどん
具体化していく。ただしこれはセネガルのガイドではない。もっと言えばこの本はセネガルに
ついて書いてはいない。セネガルというのは任意の土地で、これがセネガルでなかったと
しても、おそらく同じようなトーンの紀行文を絲山は書くはずだ。
あたらしい希望が必要なのだ。希望にもあたらしさが必要だ。
フィクションのなかで希望はじつは磨耗する。もっともらしい希望を創作の力で
つくりつづけようとするとき、新鮮さはどんどん失われていく。希望が記号化していく。
記号化する希望を、書き手がおそらくいちばんはじめに痛感する。
希望を記号化させないために絲山には異郷が必要だった。なぜセネガルなのか、
理由はこの本でもきちんと語られているけれども、それはまったく重要なところではない。
ただ、読んでいてその経験の切実さを感じる。言葉にすることで書き手がこの「体験」と
その土地の「存在」をどのように自分の中に生かしておこうか、どうにかして生かして
おきたいのだ、という強い意思を感じる。
そこに嘘がない、と思う。だから読み手も、書き手とものすごく近い場所でこれらの
文章を「体験」してしまう。
この愛情の体験の近さを面白がることができるかどうかで、この紀行文を
読みとおせるか、ひいては絲山秋子を読みとおせるかが決まる気がする。
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by mayukoism | 2008-12-05 02:25 | 本のこと
民家のガレージで本を売る。
家主の奥さんがあたたかい珈琲を出してくれた。
そう、朝はまだ冷えていた。アスファルトに灰色の影が広々とはりついていた。
もう少し日が高くなれば、とお隣のドンベーブックスさんと話す。
ドンベーブックスさん、楽しい方であった。自分の仕事とかなり関係の深い職業の方。
まん中にながじさんといずみさん。洋服をたくさん売っている。慣れている感じだ。
このガレージ班は、3店のカラーが少しずつずれていて、バランスがよい。
やがて、市がはじまったらしい雰囲気が通りをゆるゆると漂い、人どおりもみるみるうちに
多くなっていった。
人波のあいまに、ひっきりなしに知った顔が横ぎる。挨拶する。はじまったばかりなのに、
研ぎ猫さんが完売か!完売か!と言う。
ジャケットを脱いだ。日がまぶしくて、暑いくらいになっていた。

前日。
たいしたお手伝いもしていないのにラーメン、ビール、その他たくさん、をごちそうに
なってしまう。じつはまだ用意した本の半分以上の、値づけが終わっていなかった。
帰宅して、ひたすら短冊を書く。途中で短冊が少し足りないことに気がつき、本を厳選する。
知人はとうにベッドで眠っている。
短冊だけでよかったのだ。なのに思いつくとやらずにいられない。こういう仕事になると、
この身体は本当に眠らなくても大丈夫なような気がする。
しおりを作る。
ひさびさに取り出した水彩で看板を描く。
頭の中がすぱーく!すぱーく!と言っている。
そこで、寝ていると思っていた人がとつぜん、もう眠らなきゃだめだよ、と言った。
はっと我にかえって時計を見ると4時だった。

ほとんど寝ていなかった。
寝ていなかったのだけど、目の前の通りがあまりにきらきらとしていて、空が描いたように
はっきりと青くて、ぐんぐんと興奮していた。
昼日中一日、外に出ていることがひさしぶりなのだと気がついた。
絵本を中心に並べた箱がよくうごく。親子連れがのぞいていく。乳母車をうしろに置いて、
おとうさんが井上洋介の本をめくる。
これいいな、これすき?どうこれ、これ、おとうさんほしいなあ、おとうさん買ってもいい?
と、おとうさん、こころが完全に子どもを置いていってしまっている。
ここは図書館だから買っちゃだめだ、とくりかえす男の子もいた。
おかあさんが図書館じゃないよ、どうぞって言ってるんだよ、とくりかえしても、だめ、と言う。
しおりをあげる。笑った。ぜんぶもらってもいい?と言う。ぜんぶはだめ、と言う。
買った本にしおりをはさんで、帰っていった。

出会いと出会いのやりとりをしている、と思う。
同じように本を扱っている普段とは、やりとりのおもさがちがう。
心地よいおもみ。

日がかげって、ガレージはまた濃い灰色の穴になる。
ジャケットをはおる。
そろそろ撤収、の雰囲気が漂いはじめたころ、学ランの高校生が箱の前に立った。
午後になって在庫の減った箱に、知人が自分の箱の本を少し足していって、
その足したほうの本を見ている。庄野潤三。高校生、センスいいなあ。
もう終わりだから安くする、と言うとしずかにこちらを見る。しばらく逡巡してから本を差し出す。
短冊を見ると600円だった。500円でもいい?というとうなずく。
高校生、小銭を長いこと数えているので、だいじょうぶ?と聞くと、眉根を寄せながら笑って、
小声で、あと170円しかない、と言った。
いいから!と言ってもう100円を渡した。それが最後のお客さま。

途中、店番をちょっと代わってもらって、でもはじめから昼食を食べる気なんてなかった、
通りを駆けるように、各店をまわった。
欅の木の下で、瀬戸さんと武藤さんが店番をしていて、おーいと手をふられて、
1冊、目に入った本を買って、ガレージに戻ろう、と早足になったとき風が吹いた。
特別な風ではない。さっきから思い出したようにときおり吹く冷たい風だ。
その風が欅の葉をいっせいに散らした。かわいた欅の葉がくるくるとまわりながら、
青い空をななめに横ぎっていく。つぎからつぎへと。
ここでとまったっていいのだと思った。
ここで時間がとまったら、だれも帰らなくて済むし、だれもいなくならないし、欅は
いつまでも落ちつづける。空はいつまでも青くひらける。みちくさ市はいつまでも
みちくさをつづける。だからここでとまったってかまわないのに。
今日ならくりかえしてもいい、と思いながら、やたらにハイテンションなこの身体を
もてあましつつ、走ってガレージに戻った。

今日、カレンダーをはがす。
壁にはりついた最後の1枚はこころもとない。
みちくさが終わったら、いつのまにか12月がはじまっていた。
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by mayukoism | 2008-12-02 20:24 | 本のこと