乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2008年 09月 ( 8 )   > この月の画像一覧

休日。
歩いている。

『池袋モンパルナス 大正デモクラシーの画家たち』(集英社文庫/宇佐美承著)は、
寝る前などにちょこりちょこりと読んでいる。
読み終わったよ、というひとと連れ立って、モンパルナスの景色を探しに出た。
アイスティーだとだまされて、朝一番に飲んだアイスティー割のウィスキーが、
アスファルトを光らせている。

いきあたりばったりのふらり旅なので、事前にコースを調べるようなことはしない。
ここらへんか、という場所で、『小熊秀雄と池袋モンパルナス』(オクターブ/
池袋モンパルナスの会責任編集/玉井五一編)などをひらいて、
現住所を確かめながら歩く。歩く。
立教通りをくだり、霜田橋にさしかかる。このあたりは暗渠になっているはず、と言うので
そばにあった谷端川緑道の案内図を見るとたしかにそうだ。

流れる水を足の裏に感じようとすることは、自分の内臓を感じようとすることに似ている。
見えないけれど(たぶん)そこで動くもの。
当時、このあたりに出ていた屋台に酔っぱらった芸術家たちがたむろしていた、との
説明を読み、ビールとチューハイをあける。
すこんとぬけた秋の青空。

霜田橋を過ぎて地蔵堂商店街へ。
このあたりに小熊秀雄が住んでいた東荘があったようで、番地をたよりに路地を
うろうろとするが特定できない。
とそこに、軒先でおいしそうに煙草を吸っている老人の姿。白い髭をのばしてまるで
仙人のような風貌。彼はすたすたと近づいて、件の老人に東荘の写真を見せた。
はて。
首をかしげる仙人。
このあたりはそう長く住んでないものでねえ…すいませんね。
お礼を言って辞す。
外見だけはすごーく古くからの住人ぽかったのになあ…と呟きつつ、さらにまわってみたが
結局東荘跡へはたどりつけなかった。

このあたりは散歩コースだったんだ、というひとについて歩く。
目的地があると迷うけど、目的地がなければ、ただ歩けばいい。
歩いて、目の前の景色をただ全身で受けとめればいい。
「カーサセドロ」という名のアパートや、坂の中腹が階段になった路地、大きな欅の木の下を
抜けて、気になりつつ訪れたことのなかった「熊谷守一美術館」へ。

油絵では「たまご」、墨絵では「唯我独尊」と「とかげ」がすばらしくよかった。
絵を見ていて、その絵に描かれている世界の「重さ」を感じる。
テーマとか、背景とかそんなんじゃない。もちろん紙の重さでもない。
その、もとは白かったろうと思われるものの上にのせられたものは
あるたしかな「世界」であり、その世界が目の前に「ある」ということを、目ではなく
身体の内側からふつふつと感受するような。
言葉じゃない。
うまく言えない。
熊谷守一は油絵の印象が強かったが、墨絵もいいんだな。
『へたも絵のうち』、もう一度読もう。

そのあと、やや疲労した貧乏な散歩者たちは、目当ての定食やがことごとく
閉まっているというトラップにかけられ、結局、夕方近くに江古田の「洋包丁」へ
ほうほうの体で入り、メンチカツ定食に予想以上に満腹にさせられて、
わっしょいわっしょいと家路を急いだのであった。

…というのは実は先週の出来事である。
夏休みが終わり、働いている店で流血さわぎがあったり、新卒者向けの座談会を
やらされたり、研修のレポートでなぜか書評を書かされたりして、予想どおりあわただしい
一週間だったため日記を更新できなかったのです。
そのあいだずっと、散歩の同行者から日記を書け書けと言われていたので今日ようやく
書きました。
おわり。
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by mayukoism | 2008-09-30 21:17 | 見たもの

久方ぶりのお誕生日会

ふらり、ふらりとひとびとが開放された部屋に集まり、
思い思いの話をする。
はい、とさしだされたほかほかの肉野菜炒めを食しながら、
ふと部屋を見回すと、こないだまで知らなかったひとたちで、
いっぱいだ。

こないだまで知らなかったひとたちがわたしの名前を呼ぶ。
こないだまで知らなかったひとたちの名前をわたしは呼ぶ。

開けっ放しの扉から夜がかろやかに流れ込んできて、
知らない時代の知らない団欒を、まるで生きなおしているみたいだ。
こないだまで知らなかったひとの誕生日をお祝いした。
誕生日おめでとう。
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by mayukoism | 2008-09-19 01:51 | 生活

徒歩で行く新宿

夏休み最終日。
昼すぎより動き出す。

目的地は新宿。紀伊國屋書店新宿本店。
「〈熱き時代〉の新宿、新宿の〈いま〉」フェア開催中の5階まで、徒歩でめざす。
日差しは明るいけれども、その柔らかさが季節の移ろいを肌に教えている。
目を細めていると、あっという間に高田馬場の大きいブックオフに着いた。
1冊購入。

『文藝 2008年夏号 特集・作家ファイル1998~2008』(河出書房新社)
550円。

早稲田のほうは通らないの、と知人に聞くと、反対方向だよ!と言われる。
どうも最近、目的地に対してまったく別方向を向いていることが多く、
ひょっとしたら自分はかなりの方向音痴なのかもしれないと思いはじめている。
そんな疑念をもちつつ訪れた、もう一軒のブックオフとバーバー書店では何も買わず。

新大久保の駅前通りを抜ける。多国籍の匂い。
ガード下の、間口の小さな不動産屋で丸刈りの男性二人が接客?をしていて
いろいろな悪いことを想像してしまう。
ぐるぐると住宅地を抜けると小滝橋通りへ出た。
またブックオフ。ここでも何も買えず。昼間から人がたくさんいる。
小腹が空いたので「東京麺通団」へ。「ひやかけ」と大きな野菜かき揚を食す。

目的地。紀伊國屋書店新宿本店へ。
5年ほど前ここで働いていた。ここの「匂い」をかぐと、当時のことがリアルによみがえる。
苦しい時期にあっても愉しみは見出せるものだと体感した場所。
5階へ。
新聞に赤と黒のスプレーを塗ったディスプレイがいい演出だ。
ありそうでない選書と、新刊に混じって「わめぞ」による古本販売。
無料配布の「新宿、紀伊國屋書店60s 70s」は、唐十郎、森山大道、菊池成孔など、
執筆陣が無料とは思えない豪華さ。

紀伊國屋書店、ジュンク堂は情報発信がほんとうに上手いと思う。
たとえば自分の勤務する書店でも、それなりに同じような試みをすることはできるだろう。
けれど、情報の届き方が上記2店に比べて圧倒的に弱いのだ。
そのアピール力の背後に顧客の、棚に対する信頼がある。
積み重ねたものは簡単には崩れない。
思いつきで実行したことがいくら目立っても、そのレベルを店として、フロアとして
維持あるいは発展させることができなければ意味がない。
店としての魅力は生まれない。
そして、そういった仕事の一端を自分が担わなくてはならないような気が
ずっとしているのだが、正直、もっと適任者がいるだろうとも思っている。
補佐や参謀としてはある程度できる自信があるが、実行力にはまったく自信がない。
ああ、夏休みが終わるとそうやって、考えなければいけないことがたくさんあるなあ。

やや焦燥しつつ紀伊國屋を出る。
隣の「ビックカメラ」でノートパソコンやipodなどを見る。
いつのまにか自分のパソコンがとんでもなく古い型になっていることにようやく気がついた。
ipodを買ってもこのパソコンでは何もできないらしい。
パソコンも携帯電話も、新しい型が次から次へと出てきて、なんだか大事に使えば
使うほど損をするような気がする、これはいかがなものか、と一人で憤る。
いやー、でもあれは年季入っているよね、と言われてしょぼんとなる。
来年買い替えをめざそうか。

ちょっと一休みしよう、と言って、さっきうどん食べたからお腹は空いてないよね、
どこか安いところ、マックでも行くか、と話していたのに、急に方向転換。
尋ねると、あそこの回転寿司屋が前に行ったところか確かめたい、と指さす。
目の前まで来て、ひょっとしたら食べちゃうかもああ、なんか食べたくなってきた、と
呟き、ふらふらと自動ドアの前に立つ人。
さっきまでお腹空いてない、って言ってたのに!まったく別の展開に。
おいしかったけど、あの、お腹まわりが。

帰りは副都心線に乗る。
モロゾフで大きなカスタードプリンと栗のプリンをお土産に帰宅。
カスタードは昔ながらの卵の味がしておいしかった。
一口いただいた栗のプリンは、ドライアイスで下がシャーベット状になっており
不思議な食感であったがこれもおいしかった。
プリンが目の前にいつもあれば、争いは起こらないんじゃないだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら、夏休み最後の夜は更けていく。

さあ、明日からまた書店員としての日常がまわる。
ほどほどに気持ちをこめよう。
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by mayukoism | 2008-09-18 03:11 | 見たもの

山のめぐみ、それは

夏休み3日目。
髪を切る。

切り終えて、美容師のひとこと。
「うーん、きのこですね!」
あなたに切られたんですけど。
きのこって言われた、と報告すると、
「思ったんだけど言えなかった」
…よほどきのこなんですね。
「えーと、ほら、山のめぐみですよ」
めぐみね。まあ秋だからいいか(いいのか?)

帰り道、少し遠回り。
近くに洋書絵本のお店と、いぐさの工芸品店を見つけた。
いぐさのランチョンマットがよかったので、もう少し懐があたたかいときに買おう。
いぐさのコースターを2枚買う。200円。

夕飯は土鍋をひっぱりだしてきて、鮭と白菜の蒸し物。
保存用に作った肉みそを少しじゃがいもに和える。
まちがえて解凍してしまった豚モモ肉を卵といっしょに適当炒め。
栗ご飯。
蒸し物は下のほうを焦がしてしまった。白菜をあとから追加したのが原因です。

『海も暮れきる』(講談社文庫/吉村昭著)をいただいて読んでいる。
尾崎放哉の生涯を書いた小説。
つらすぎる。なんてだめなんだろう、放哉。
肺を病み、酒に溺れ、酒に誤り、職をうしない、妻をうしなう。

之でもう外に動かないでも死なれる 放哉

自由律ががぜん重みをもって胸にせまる。身体の奥をしぼられるようだ。
つらすぎてなかなかすすまないが読む。
明日、夏休み最終日。
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by mayukoism | 2008-09-17 03:41 | 生活

供養というビジネス

夏休み2日目。
たいして遠くもない実家に帰る。

わたしがまだ行ってないから、と5月末に亡くなった犬の墓参り。
東京の西にある動物霊園。
「○○家愛犬の墓」と彫られた立派な墓石の間を抜ける。
ちょっとした庭園のように整備された区画の奥に、四角い建物がある。
アパートみたいに並んだ部屋にはそれぞれ番号と日付がついている。
扉を開けると壁一面に動物たちの写真とお供え物。その後ろに骨壷。
これが合同納骨堂。お鈴をたたく。ちーん。

ううむ、まったくしっくりこない。
ここにうちの犬はいないな、と思う。
こういうビジネスが成り立つのはわかる気がする。
実家の玄関を開けると、まだ犬の匂いがする。
わたしが帰るとかならず飛びついてきた。
足が弱くなってからも、最期に会った一度以外、わたしにはかならず飛びついた。
いまでも玄関の前で、まだ身構える。
身構えてから、あ、もういなかったと思う。
かつてはいた。たしかにここに寝そべっていた。
でもいまはいない。
玄関でそのことを思う。それだけ。

天気図上で台風がものすごいカーブをえがいていた。
そのせいなのか夜になって雨。
雨の中帰宅。
くんくん、さっきまで人がいた気配。
電話するとやっぱりすれ違いだった。
そんな日もある。

昨日買った本。
ブックオフにて。
『カトリーヌとパパ』(講談社/P・モディアノ著/J・J・サンペ絵)
『帰りたくない!神楽坂下書店員フーテン日記』(光文社知恵の森文庫/茶木則雄著)
『顔のない裸体たち』(新潮文庫/平野啓一郎著)
『SWITCH 2005vol.23 特集・大切な人に宛てた手紙』
上から105円、105円、200円、300円。
K書房にて。
『詩のふるさと』(新潮文庫/伊藤信吉著)※サイン入り
『ひと恋しくて』(中公文庫/久世光彦著)
『読ませる話』(文春文庫/文藝春秋編)
『彷書月刊 2003年9月号 特集・絵葉書蒐集家』
上から200円、250円、100円、250円。
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by mayukoism | 2008-09-15 23:51 | 生活
遅い夏休み。
はなばなしい予定はなし。

人の洗濯に付き合う。マンションの下にある住人専用のコインランドリー。
乾燥機に毛布を入れるとふかふかに。
そりゃ日光がいちばんに決まっているけれど、ベランダのない部屋に住んでいる身としては、
なにはともあれふかふか所望。乾燥機ほしい。夢のまた夢。

夕ぐれ時になってようやく動き出す。
少しはなれた沿線の駅まで歩く。
ブックオフの近くで競うように早足になる。数冊購入。
朝から菓子しか食べておらず(なんて自堕落な)、とにかく肉、肉が食べたい。
駅前の「四文屋」へ。
いやはや、空腹をあらゆる角度から満たす欲望的メニュー「煮込ライス」を堪能し、
めったに食べることのない肉の刺身に感嘆する。
しかも安い。お酒もつけてふたりで3500円ほど。貧乏人にやさしいお店が大好きだ。
ありがとう。
隣のテーブルの体育会系大学生が酔っぱらって、「ぱいれーるおぶけれびあん
(パイレーツオブカリビアン)」となぜかくりかえし呟いていた。

四文屋を出て出身大学前の古本屋へ。手にとる本が安く、また数冊購入。
知人は帳場で店主と、吉田豪や辛酸なめ子の話でもりあがっていた。
古本屋をでて缶チューハイを飲みながら部屋まで歩く。
瞬間、爆発的に、得体のしれない感動をおぼえる。
このなんでもない夜の景色。
目的地まではちょっとあって、話す相手がいて、空腹はうまいものでほどほどに満たされた、
いまのこの。
いつまでも夜ならいい。
夜に、眠らない身体をもっていられたらもっといい。

しばらくして大通りに出ると、「福しん」の店頭に「餃子100円」の貼紙。
無視できない。できるわけがない。少しならお腹もあいている。うなずいて入る。
餃子はいつでも食べたい。死ぬ間際でも餃子なら食べるかも、と調子にのって餃子愛を語る。
餃子2枚をたいらげ、満足して「福しん」を出るとさっぱりしたものが食べたくなって、
コンビニでアイスを買い、歩きながら食べた。

ああ、たくさんの人の、同じ突っ込みが聞こえてくるようだ。
あんた、食べすぎだ。
そんなみじかい夏休みのはじまりであることよ。
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by mayukoism | 2008-09-15 02:36 | 生活

おはよう、虹の父

夕方すぎに受けた、ちょっと変な人のかなり変なクレームを、
下手に正面から受けとめてしまい、あとでじわじわときいてくる。
帰宅してなんのやる気も起こらなかったので、とりあえず眠った。

で、いま目が覚めた。
湯船に湯をはって、『大島弓子選集第6巻』(朝日ソノラマ)所収の
「さようなら女達」を読む。大島弓子の極私的五指作品のひとつ。
小説は再読しないのに、漫画は何度でも読める。
そして同じところで涙が出る。
たまに違うところでも涙が出る。
この作品は、何かを創ろうとしているすべての人のバイブルだ。
いわゆる「大人」としてはおおいにまちがっていると思うし、
「少女」を語るほど図々しくもなれないけど、そんなことはどうだっていい、
ただ、いつでも大島弓子に戻っていける自分でありたい。

大学時代の友人からメール。
彼は、互いに定点観測(半年に一回くらいのペースで会って、
現在の自分の立ち位置を確認しあう)のできる数少ない友人のひとりだが、
来年二児の父親になると言う。
返信メールで「にじのちち」と入力したら「虹の父」と変換されたので、
注釈をつけてそのまま送った。
こないだ、別の友人のこどもとさんざん遊んできたのだけど、
つくづく人間が、生きものが増えるってすごいことだと思う。
ほんの1年前には存在しなかったものがそこにいるということが、
いつまでも不思議。
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by mayukoism | 2008-09-13 05:00 | 生活
むかしなら原稿用紙、今ならパソコンの画面を前にするまで、
自分が何を書き出し、どこにたどり着くのかまったくわからないし、
決めていないと述べる小説家は多い。
作家が一体、どれくらい詳細なプロットを立てて書くのかが気になって、
いくつかのそういう随筆や評論を拾い読んでいた時期があった。
そして大概、「どこに行くのかわからない」小説のほうがおもしろい。

『再会・女ともだち』(新潮社/山田稔著)はどちらかというと
プロットのある小説だと思う。短篇小説としてはっきり言って
「完璧」だと思う。
物語の前半に出てくる印象深いエピソードやちょっとしたアイテムが、
物語の後半になって活きてくる。出来事に無駄がなく文章は感情に流れず、
最後の一文によってきれいに環がなされる。

こういう「完璧」な短篇は、個人的な好みからは正直外れているのだけれど、
この短篇集はなぜだかたいへんにおもしろく読んでいる。
それは、ひとつの短篇に物語の軸が複数あり、いくつかの軸を
同時に追うので飽きないことと、いずれの短篇にも共通して
「忘却」というテーマがあること、このふたつが大きい。
とくに後者については、忘却「される」側と、忘却「してしまう」側と
どちらの立場からも描かれていて、そのシチュエーションは様々だが、
いずれも身につまされる。時代も、語り手の年齢も違うのにどうしようもなく
ぐっとくる。

「忘却」する、あるいはされることの内にはかならず時間の経過がある。
時間の経過の中には変化があり、「忘却」も変化のひとつである。
経過も変化もとめられない。『再会・女ともだち』のいずれの短篇も
語り手は変化に多少はとまどいながら、最後は受けとめる。
受けとめて、ただ見ている。
物語のはじまりとおわりを、しずかな森のような視線がまっすぐに
つらぬく。

そのしずけさに、ただ進みつづけるしかない人の歩みの
やるせなさを思う。ほんとうはここでとどまっていたいのに、
秒針に押し出されるようにして人は老いを、死を、あらゆる変化を
感受しつづけなければいけない。それをかなしいとか切ないとか
言葉で感じる前の、生のままの出来事がこの短篇集では
緻密に描かれている。



本日の夕飯は近くのうどん屋で文筆家のKさんと。
ビール、梅酒、本当のトマト、たこの頭の刺身、万願寺とうがらし、
厚揚げ、アスパラのおひたし。おいしゅうございました。
雑貨関連のレセプションでおしゃれ男子&女子をたくさん見た。
目の保養になった。しかし人生においてどこでなにをどう選択すれば、
あのようなおしゃれ人になれるのだろうなあ。不思議だ。
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by mayukoism | 2008-09-03 23:18 | 本のこと