乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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<   2008年 06月 ( 10 )   > この月の画像一覧

ここにいる自分がつねに本当なのではない。
酒席の途中で、あ、すいませんちょっと、と入ったトイレの個室の
扉をしめたなり、たとえばふいにそんな感覚におそわれる。
毎日ドトール飽きないですか、とそれほど親しくもない人に尋ねられて、
いや、短い休憩時間を迷うのに使うのがいやでね、などと言いながら、
なんだかうそを言っているような気分になる。
うそではない。うそではないけれど、わたしがドトールに日々
足をのばしてしまうことを、本当はあまりそんなふうに説明したくはない。
だからといって、重大な秘密があるわけでもない。(あるわけがない)
ただ、ドトールにひとりでいる時間というのは、意外とわたしにとって
重要なのかもしれないと最近は思う。

ここにいる自分がつねに本当なのではない。
なにかにつねにあこがれがある。
自分以外のなにかすべてにあこがれる。
自分の好みの人が、なにかにあこがれているのを見たり聞いたりすると
全身でそいつになりかわりたいと思う。
なりかわれないのでこうやって文章を書いたりもする。
そういうこころの、ひとつひとつを言葉にして吐き出すことはあまりない。
いや、全然ない。
なりかわることはできないけれど、あなたにとってきっといいものになるから!と
思う。思いこむ。思いこむことでなりかわりたい気持ちを昇華する。
昇華するために言葉にはしない。

だからここにいる自分がつねに本当なのではない。
本当ってなんだろう。
考える前にうごける力のことか。
泣きそうになったり、会いたくなったり、反射的にうまれるはげしい感情のことか。
それらを自然にかくして淡々と役目をまっとうする割り切った態度のことか。
わからない、どれでもいいな、でもいつも本当の自分、自分の本当でいられることは
たぶんないから、いまだ!というときに本当のところを伝えられるこころの準備は
いつだって真剣にしておきたいと思う。

読了。
『ぼくは落ち着きがない』(光文社/長嶋有)
長嶋有の物語は、読んでいる間に終わりが見えない。
結末がわからない、という意味ではなくて、なんていうか、終わる感じがしない。
生きていて、この世界がいつか終わるかもしれないことをうまく想像できないように、
終わりを思わない。
だからめくるページがなくなるとあれっと思う。あれー、終わっちゃった。
うまく現実に戻れなくて、なにかがどこかが物足りないような、そんな気分で
物語を思いかえす。長嶋有、全部読んでいるけどどれもちがう。とどまらない。
カバーの秘密も含めて、そこをうまく愉しみたいところ。

聴講。
『小林秀雄講演【第一巻】文学の雑感』(新潮社CD)
おそるべき「おじいちゃん」の言葉だ。
はじまりののらりくらりとした、まさに「おじいちゃん」の口調から、
どんどん定まり深まって、「小林秀雄」の言葉になるその声の軌跡。
これは折にふれて聴き返すCDになるだろう。
小林秀雄の語る「歴史」がすごい。正直、「歴史」をこんなに面白そうなものだと
思ったことはいまだかつてなかった。

歴史は岩波文庫の中にあるんじゃない。
歴史はきみたちの心の中にある。
(小林秀雄)
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by mayukoism | 2008-06-28 01:43 | 言葉

愛とはなにかとの再会

学生時代に所属していた映画サークルのひとびとと再会。
後輩とは約7年ぶりだったらしい。
それぞれに外見は少しずつ変わっている。
話し出すと学生時代の感覚と距離感がすぐに戻る。
情熱的で、博識で、器用でないひとたちが集まっていた。
いまのわたしの知識の7割は彼らによって培われた。
ものすごく楽しみにして行ったのに、楽しみにしすぎて
緊張してしまった。
緊張をほぐそうと日本酒を飲んだら、途端に酔いがまわって
あろうことか3次会で眠ってしまった。
不覚。
眠ることはめったにない。酔うこともめったにない。
それなのによりによってこの集まりで寝るなんて。
近況をざっと話したら、一晩中わたしは彼らに変なもちあげ方をされて、
きみにとっての愛とは何か、とか聞かれていた。
こういうことを半ば冗談で、半ば本気で聞くひとたちなのだ。
わたしはだいたい本気で答えてしまう。
本気で答えないと彼らの冗談にも太刀打ちできない。
本気で答えてもだいじょうぶ、受け止めてもらえる。
だからわたしはこないだ少しだけ読んだ福田恒存の話をした。
するとTが学生時代の顔に戻って、福田は愛だね、と言った。
言ってしずかに語りはじめた。
わからない。どうなんだろう。こういうことを話したり聞いたりすることは
恥ずかしいことなのだろうか。でも頭の中ではいつも考えている。
言葉にならない、星雲のようなごちゃごちゃとしたかたまりをほぐすために
ずっと考える。
久々に会って、ああやっぱりわたしはこのひとたちが好きだなと思った。
わたしも含めて、たぶんこれからもぼんやりと苦労しながらすすんで
いくのだと思うけど、どうかできるだけしあわせな気持ちでいてほしい、
いられますように、と隣で眠りながら祈った。
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by mayukoism | 2008-06-23 01:55 | 本のこと

たった一人の彼女の話

彼女はそのむかし、コンビニで働く一青年に恋こがれ、
告白する決意をした。青年は彼女の存在さえ知らず、
そんな段階で告白するのは無謀だとだれもが止めた。
しかし彼女は、このままだと年が越せないから、と言って、
大晦日、件のコンビニに乗り込んだ。

店長バッチの男性、以下店長「いらっしゃいませ」
彼女「Tくんいますか」
店長「Tは遅番だよ、もうすぐ来ると思うけど」
彼女「じゃあ待たせていただいていいですか」
店長「いいよ、事務所で待ってて」
彼女「ありがとうございます」
店長「なに、Tの友達?」
彼女「いえ、ちょっと告白しに」

実話です。
現在彼女は結婚して2年、お相手はもちろんTくんであります。
そんな彼女が昨年出産しました。
彼女はこのようなおそろしく大胆な面と、かなりの心配性の
部分と両面を持ち合わせている、なかなか稀有な人であります。

いざ陣痛がはじまって分娩室に入った彼女が片時も放さなかったもの。
それはお産のマニュアル本。
本に載っている呼吸法を完璧に遵守しつつ、ある段階を終えるとページをめくり、
「今、やっと次のページにいきました!」
力みながら助産師さんに報告。
しかし、彼女はあまりにもマニュアルの呼吸法を守ることに集中しすぎて、
自分本来の呼吸の仕方がわからなくなってしまった。
それこそ息も絶え絶えになりながら、パニック状態の彼女は耐えきれず、
こう訊ねました。
「あの、お産の途中で、肺が、つぶれた、人って、いま、すか」

…無事出産後、様子を見に来る看護士さんにいれかわりたちかわり、
呼吸はできてますか、と聞かれたそうです。



購入。
『ぼくは落ち着きがない』(光文社/長嶋有)
そういえばテス・ギャラガーの新刊が出るらしい。
どこかのブログで見た。
読了。
『戦後短篇小説再発見12 男と女―青春・恋愛』(講談社文芸文庫)
川崎長太郎をはじめて読む。乾いたはげしさに、うたれる。
『抹香町』を見つけたらきっと買おう。
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by mayukoism | 2008-06-20 00:42 | 聞いたこと

新しい電車と古本

何年か前、おそらくまだ学生のころだったかと思うが、
池袋と渋谷をむすぶ新しい地下鉄ができるんだって、という
話を聞いた。

そのころがいちばん洋服に興味があって、雑誌もよく眺めたし、
ショート丈のPコートを1年越しで買いに行ったりした。それで
地元からいちばん近い繁華街である池袋と、渋谷にはよく行っていた。
池袋ではパルコに、渋谷では、うん、ごく普通にドレステリアとか、
マーガレットハウエルとか、SHIPS、BEAMS、ユナイテッドアローズetc.
今と変わらず貧乏だったので購入することはほとんどなかったけれど、
そのころえいやっと買った服はまだ着られる。

地下鉄の話を聞いて、それはすごいね!と興奮したが、現実味は
なかった。遠い国のニュースを聞いている子供みたいな気分で、
新しい線路のことを思った。

そしたらねえ、2008年。本当に開通してしまいましたね、副都心線。
あの話は現実だったのだなあ。どこかで作り話なんではないかと思ってたよ。

日曜。お休みをいただき、雑司が谷へ。鬼子母神古本まつりに行くために。
古本まつりの前にも何回か、歩いた。都心で、高い樹を見つけると安心する。
もともと田舎育ちで、緑がいつもそばにあったので。
鬼子母神の入り口の、あの大きなけやきの樹にさわろうと思っていたのに、
古本まつりで興奮して忘れた。お参りも忘れたし、また今度しずかな
鬼子母神を見に行きたい。

緑があって、たくさんの人がいて、白いシャツが初夏の日差しにときどき反射して、
京都の下鴨の感じを思い出した。屋外で見る古本というのは、どうしてあんなに
魅力的なんだろう。背表紙が生きてるみたいに目に入ってくる。
本来、書物は外にあるものではないのにな。だからなのか?

新しい駅のそばで、みんな笑っていて、楽しそうだった。
新しい路線が開通した、という事実が共通の認識としてあって、
列車が到着するのをいまかいまかとだれもが待っている。
いいな、と思った。
明日は急ぐ人も、今はみんなやさしい気がしたのだ。
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by mayukoism | 2008-06-17 12:18 | 本のこと

向田邦子とさよならたち

ある日突然小さな包みが届いて、ひらいてみたら梅干しが
入っていたのでした。
差出人は1年まえに異動になった同僚。
何かしらメッセージがあるのだろうと、袋をひっくりかえして
ぱたぱたやってみたけれど、梅干ししか入ってない。

梅干し、あの、うれしいんですけど、なんで?
とメールを送ると、
近々手紙を書きます、本当は同封するはずだったんですが。
との返事。

今日その答えがわかった。

あまり人を尊敬したり、あこがれたりする、というよりそういうことを
声高に言うことをしないようにしているのですが、しいて言えばひとり。
向田邦子。
あの顔立ちと、あの人間くささと、うつくしい骨組みだけで
できているような小説と、ドラマのユーモア。そのうしろの暗闇。
あこがれ、というと少しずれる。
そんなに遠いものではなくて、ただあの人の意識をなぞっていたい。

彼女と向田邦子の話をなんどもした。
『家族熱』を朝の4時まで読んでいたことや、書かれた人も書いた人も
死者になってしまったときに読んだ『触れもせで』の不思議な淡さ、
口に甘栗をほうりこんでもらうこと、そのエロティシズム、マゾヒズムまで。

彼女の住む町で向田邦子展が開催された。
そこに「向田邦子の『う』の引きだしから」のコーナーがあり、「ハムとか
おまんじゅうとか」いろいろある中から、全部は買えないのでお財布と
相談して、梅干しを、「どうしてもプレゼントしたい気持ちがとまらず」
わたしに送ってくれたのだった。

手紙を書く
きみに宛てて書く
だが
ぼくが書く時
手紙を読む明日のきみは
まだ存在しないし
きみが読む時
手紙を書いた今日のぼくは
すでに存在しない
まだ存在しない者と
すでに存在しない者
とのあいだの手紙
それは存在するのか

〈『現代詩手帖1999年6月号 特集手紙』(思潮社)所収 「手紙」(高橋睦郎)より一部〉


この「手紙」という詩が好きで、ほとんどこれしか読み返さないのだが、
古い現代詩手帖を手放せずにいる。
全部抜粋したいのですが、長いので一部。
たぶんもう何かの詩集に入っているのじゃないかとも思うけど。

向田邦子をなぞりながら、彼女がわたしのことを思い出す。
思い出されているわたしは、思い出されていることなどつゆほども
知らずにあくびのひとつやふたつする。
わたしを思い出した彼女は、そのことを手紙と梅干し(!)にたくす。
彼女が封じた言葉がさまざまな時間を経てわたしに届く。
わたしは彼女が、わたしの知らないところでわたしを思い出して
くれたことを知る。
わたしがそれをありありと知るとき、でももうそこにわたしを思い出す
彼女はいない。
さよなら。
わたしたちはいつのまにか見えないさよならをくりかえす。
さよなら。
今はもう存在しないペン先へ意識を飛ばしながら。
さよなら。
そこからこぼれ落ちた言葉に意識をあわせながら。

やたらと大きい封筒の中には、向田邦子展のちらしも同封されていた。
まだ若いころの向田邦子のすました笑顔だ。
眺めながらスーパーで半額になっていた餃子をあたためて食べた。
さよなら餃子。
さよなら今日の日。
さよならあなた。
また明日。
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by mayukoism | 2008-06-15 01:06 | 言葉

二十歳に陶酔しない

緑雨の夜静かに腐蝕する二十歳(鈴木みのり)

短詩形とは瞬間最大風速だ。
このたよりない、なにかの切りこみみたいな些細な一行を通過することによって、
どこまで遠くにいけるか。
どこまで遠くに連れていけるか。
ある日の朝刊に紹介されていたこの俳句を切りとって見せてみたのは
風が吹いたからだ。
朝が早いので、出がけに新聞を読む時間はないが、朝刊一面の
俳句だけは見て行く。

女の人の句だ、と言った。男はこういうのはつくらない。

なるほどなと思う。

自分の中の女性の部分、というのがあまり好きでない。
気がつくとそれを排除するほう、排除するほうへ向かっている。
けれども気まぐれにこうやって日記?なぞというものを書いていると、
書きながらこいつ女だなと思う。
言葉を書く、生むのは間違いなく女性のほうの「わたし」だ。
同じように、言葉に触れるときも否応なく自分の女性の部分というのが
現れてくる。
それを思考したことがなかった。それでなるほどな、と思った。

そのため、自己愛の強い人がエッセイを書くと、それはどうしようもなく鼻持ちならないものになってしまう。小説ならいくら自己陶酔してもかまわないが、エッセイでこれをやられると、読者は「ケッ!」ということになる。
したがって、自己愛型、自己陶酔型の人はエッセイには向いていないことになる。
ではどういう人がエッセイに向いているのか?
最低限、自己を客観視できる人である。もっとわかりやすく言うと「ドーダ、まいったか、オレサマはこんなにすごいんだ」と叫ばないでも、心おだやかでいられる人である。

〈『WALK56号 特集エッセイ』(水戸芸術館)所収 「ドーダとしてのエッセイ」(鹿島茂)より〉


エッセイ、とかコラム、とかいうものを本当に最近になって読みはじめて、
これが小説で別の世界へ飛ぶのに慣れているわたしにとってはむずかしい。
エッセイを読んでいる自分、というのをどこに置いたらいいのかわからず、
なんとなく気疲れしてしまったりする。
そもそもエッセイってなんなんだ、と考えていたわたしに上の文章が
ある一つの答えらしきものをくれた。これが面白かった。

ここで言われている自己愛型、自己陶酔型、というのが、前出の女性性と
わたしにとってはほぼ同義なのだ。それでなんとなく、こうした日記とか
ブログを書くのにもためらいがあった。ためらいがある。
こんなのおもしろいのかなあと思いながら、不安になりながら実は書いている。
いや、おもしろいよ、と言ってくれる人がいるのでなんとなく書いてみている。
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by mayukoism | 2008-06-14 01:43 | 本のこと
今日、これは特技かもしれない、と思ったこと。
いつものドトールで階段をあがりながら、3階の混み具合がもうだいたい
空気でわかること。
ちなみに3階まであがるのは、禁煙だからです。

学生のころ、男友達に「きみは煙草くらい吸ったほうがいい」と
説教された。
何回か試しに吸わせてもらったことはあるけど、結局吸うことには
ならなかった。
ただ単に煙草にお金を使うことが面倒だった。それだけ。
そういえばこないだ日本橋のあたりを歩いていたら、
ネクタイをしめた女の人が備え付けの灰皿のそばで煙草を吸っていた。
あの人の職業が今も気になる。

周りの喫煙者たちはさまざまな理由で一人、また一人と煙草を
やめていき、このあいだ行ったジョナサンではついに禁煙席に
座ることに。
みんな年とったんだ、と言ったら、あんたもだよ、と怒られた。
一人はお腹に赤ん坊がいて、次に会うときは出てきてるんだね、と
話した。

ほどなくして先日、早朝の車内でうとうとしていると携帯電話がふるえた。
昨日の夕方生まれた、という彼女からのメールだった。
とにかく手放しで、おめでとうおめでとう、よかったよかった、と
メールを送った。

彼女が赤ん坊をぽいっとこの世界に出したその瞬間、
わたしは何をしてたんだろうな、と思った。
彼女はもう煙草を吸わないのだろうか。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

これを英訳すると下記のようになるそうです。

striking a match
momentarily
I see the foggy ocean-
is there a motherland
I can dedicate myself to?

『万華鏡 対訳寺山修司短歌集』(北星堂書店)より。
ふむ。しっくりこない。
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by mayukoism | 2008-06-10 01:35 | 聞いたこと
来年定年になるという、以前の職場の取引先のMさんと湯島で会う。
Mさんは新しいブの袋を自慢げにかかえて待っていた。
中には小川国夫の『夕波帖』や芝木好子の『湯葉』、李恢成や戸板康二など、
全部均一の単行本。夕波帖は今度もらう約束をする。

前に連れて行ってもらった飲み屋が今日は混んでいるから、と言って
少し歩く。歩きながら生き死にの話をする。
わたしは、こないだ実家の犬が死んだ話をした。
まだ会えると思っていたから、看取ってあげられなかった。
夢にも出てきてくれない。

お酒が少し深まったところで、おれが最近たのしかったのはさあ、とMさんが
にやにやしながら話しだした。
Mさんはときどき早口で、うるさい飲み屋だと言っていることがよく聞きとれない。
なんですか、よいしょと耳を近づけた。



おれが最近たのしかったのはさ、先週末、妹に会いに行ったんだ。
東京の西のはずれにね、親父が別の女の人との間に生ませた、
妹がひとりで住んでる。
娘さんがふたりいて、ふたりとももう結婚して家を出てるって。
今年のはじめにおれのおふくろが亡くなったから、まあ、いろいろ
分けるもんがあって、それでね。

T駅のスタバで待ち合わせして、おう久しぶり、なんてあいさつして、
とんかつでも食うかっつって駅ビルの上のとんかつ屋に行ったんだ。
あのさあ、おれ、ちょっと飲んでいいかな、って言ったらいいよって言われて、
おれだけビール頼んで、で、渡すものわたして、このあとコーヒーでも
飲むかって聞いたら、あたしコーヒーだめなの、だからここで、って
別れた。

妹はさ、腎臓がいっこしかないんだよ、若いころ手術して、だから週に一度
人工透析に行ってる。
おれ、前に韓国のおねえちゃんがいる店に行ったときね、聞いたの。
なんか腎臓に効く漢方とかないのーって。そしたらさ、あれ?なんだっけ、
あれ、海辺の土産物屋とかでさ、小瓶に入ってる、えっと。
あ、そうそう、タツノオトシゴ。
タツノオトシゴを乾燥させて、煎じて飲むといいって聞いてさ、だから
買ってやったのよ、タツノオトシゴ。
こーんなおっきいタツノオトシゴ。
で、あげた。あれ、飲んだのかな、飲んだかどうかしらないけどさ。

おれ末っ子で、兄貴と姉ちゃんがいるんだけど、ふたりはいい顔しないんだ。
妹に会いにいくの。
でもさ、いいじゃん、なあ。
まっすぐな、まっとうな家族もそりゃあいいけどさ、ちょっとくらいぐちゃぐちゃしてても、
面白いんじゃないかね、家族って。



Mさんは小松政夫みたいなおじさんで、だいたいいつもふざけている。
おれはー♪万年ー♪ヒラ社員ー♪と変な節で歌う。
でもさ、ヒラでいつづけるのも大変なんだぜえ、となぜかここで急に真顔に
なったりする。
この話も口をとがらせて、肩をくねくねさせながら気持ちよさそうに話していた。
わたしは、聞きながら、なにかが、どこかから、あふれそうになってしまい、
それ、すごくいい話じゃないですか、とだけ言った。
あ、今低い声になった、ととおくで思った。



他、その日絶好調だったMさんの台詞。
ただ、わたしが忘れないためだけにここに書いておく。

・おれはジェラシーのひとだから。末っ子ってそうなのよ。

・おふくろは苦労してるし、好きだよ、でもなんか言われたこと覚えてるのって
親父のほうなんだよなあ。
おまえは勉強もしないし、だめなやつだけど、自分にわからないことをしたり、
自分にうそをついたりするようなことはしないほうがいいだろうなって、新宿で
ばったり会ったときに言われた。



駅までの道すがら、
Mさん、定年までにもう1回くらいは会いましょうよね、と言うと、
ばっかだなあ、おまえ、あと3回は会うよ、とMさんはやはりにやにや笑った。
で、手をふって別れたあと、飛び乗った電車の中で受け取ったメール。

・上野発、発車。気をつけておかえり。また。
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by mayukoism | 2008-06-09 00:49 | 聞いたこと

生活のつづきの場所

ビニール傘ごしに見る町はいつも冬みたいだ。

退館時刻ぎりぎりまで仕事をし、雨の夜、自転車を飛ばして帰宅。
玄関で、傘をとじないままメールを打つ。
冷えた腿がぬるまったので、ぬれた服を勢いよく脱いでみる。
あー、部屋にひとりっていい。

『働きながら書く人の文章教室』(小関智弘/岩波新書)をいただいて、
読んでいる。
これは文学だと思う。
文学になりたかったことを思い出している。

無職で小説を書くことは考えていなかった。
かと言って仕事に力を注ぐつもりもなかった。
アルバイトしていた書店で、請われてそのまま社員になった。
本に触れていればたのしかった。
郊外の、中規模の書店だったので、それほどしばりもなくて楽だったが、
結局、その書店にいる間に書いた小説はひとつもない。
書店は、社員になってから5年経って倒産した。
それからも小説は書いていない。

漠然と書きたい気持ちが短歌に会った。
ひとつの歌に小説ひとつ分くらいの熱をこめた。
熱だけで詠んでいた。



ぼくたちの遠さを言葉で語らないために今すぐ虹、直立せよ(2004)



短歌をやめて、生活に向き合うようになった。
想像の国を旅するのもいいけれど、現実の町もわるくないのだと
思えるようになっていた。
人と会うことを覚えた。
知らない人とふたりで会うなどして、自分のことをいかに話すかを覚えた。
小説を書いていなくても、歌を詠んでいなくても、たいていの人はわたしの
話に耳をかたむけてくれた。
これにはおどろいた。
現実の町とはかくもやさしいものか。

やさしかったのでうれしくて、文学になりたかったことを
少し忘れていた。
というより忘れよう、と思って少しだけ忘れた。
小説だとか短歌だとか一行詩だとか俳句だとか、
かたちを模索しているうちにわからなくなっていたのだが、
いただいた『働きながら書く人の文章教室』を読んでいて、
題名から想像していた内容とまったくちがい、読み始めてすぐ
夢中になってページを繰るうちに、目の前をぱちん、ぱちんと
はたかれている感じがした。
ああ、文学になりたいなと思った。

呪文をとなえて別人になる魔法でもなく、
高みから見下ろして旗を立てるようなものでもなく、
熱だけでいためつけるのでもなく、
たとえばビニール傘の内側で、残高の少なさを不安に思いながら、
そういえばドトールをド、と略したのがまるでブ、みたいで
おかしかったと少し笑う、そういう生活のつづきの場所で、
ふかく文学になりたいと思う。

まだ途中までしか読んでいないけれど、この本には生活の一場面として、
「文学」が切実に存在する。
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by mayukoism | 2008-06-03 02:04 | 本のこと
雨降りドトール。
座ろうとしたテーブルがぬれていたので、カウンターにあったふきんで拭く。
そのあと、ふと頬づえをついたら、指が水くさくなっていた。
水くさいなあ、と思いながら何度も嗅いでしまった。

ひきつづき、『相聞 文学者たちの愛の軌跡』(近藤富枝/中公文庫)。
ここのところ、本を読むスピードがおそくなったなと感じる。

今日読んだのは大谷藤子と矢田津世子の物語。
矢田津世子は打算的。
文壇で名をなすために、利用できるものは何でも利用したろう。
ただ、津世子自身はそれを打算とも利用ともおそらく考えていない。
文学に対する情熱とそれ以外、彼女の中にはふたつの価値観しかなかったはずだ。
その、あやうい純粋さが彼女をより、蠱惑に見せたのではないかしら。

しかし、大谷藤子の名が現代にまったく残っていないことが気になる。
文学的な才能は、もともと津世子よりはるかにまさっていたらしいというのに、
津世子は残り、大谷藤子は消えた。
なぜこんなことになったのか、作品を読んでみたくなった。

それにしても、同性同士の「相聞」はあまり得意でないと再認識。
もちろん、BLにもやおいにもどうにも走れない。
昭和24年組のマンガか、吉田秋生までです。

マンガといえば、『現代マンガの冒険者たち』(南信長/NTT出版)を
購入してしまった。
なにしろ現在の少女マンガに目配りがきいているのがうれしい、と思ったら
著者はコーラス(集英社)などで活躍中のマンガ家、松田奈緒子の
旦那さまでした。へえ!
328ページの〈少女マンガの進化〉系譜図は必見。こういうの欲しかったんです。
コピーして壁に貼っておきたい。
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by mayukoism | 2008-06-01 00:23 | 本のこと