乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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カテゴリ:生活( 88 )

いのるようにつくる

雨の休日。
ハナキササゲの大きな葉が、たぶん百年前と変わらずゆっくりと落ちていくのを見ている。
木の時間で過ごせたらいいのにと思う。

休日が終わるのをひきとめたくて、いつもよりすこしていねいに料理をつくる。
かぼちゃはまずレンジであたためる。
生のかぼちゃを切ろうとして、包丁がぬけなくなったことがあります。
これはそのときの教訓。
それから、小さめの玉ねぎをたっぷりとみじん切り。
涙があふれ、鼻水がしたたる。手を洗ってから、ちんとかむ。
しょうがとにんにくもみじん切り、「切れてるバター」を一片、鍋にすべらせて、まずにんにくを、
そのつぎに玉ねぎとしょうがを、短い休日をおしむようにじっくりと炒める。
さらにひき肉を加えてぱらぱらになるまで炒め、小麦粉をふって香ばしくなるまでまた炒める。

いまあたしすごく炒めてる、と、特典でもらった木べらの「美味しんぼ」の焼印を見ながら思う。

カレー粉を加える。そうです、今日はルーを使わないカレーを作るのだ。
水を加えると、鍋の中が急に食べものから遠ざかって実験になる。
ブイヨンを落とし、手でくずしたホールトマトをええいとぶちこんで、
映画で見た魔女のように、おおきく木べらをまわす。
なぞの液体がカレーらしい色になってきたら、角切りにしたかぼちゃと、大豆の水煮を加える。
かぼちゃがやわらかくなったら、ソースと醤油で味を調えてできあがり、のはずだったのだが、
なんだか甘辛いだけで、舌の上に味がのこらない。
ブイヨンをもうひとつ落として、なんとなくケチャップをぐるぐると入れてみる。
こんなもんかなあというところで、知人が来る。
テレビのニュースをつける。明日の天気予報がずっと気になっている。
昨日はついていた雨マークがとれていた。
晴ーりー、お願い。もうひとふんばりがんばってくれ。
向井さんのように自分は、なにかを背負って、正面から本屋と向きあっているのだろうか、
と雨空をあおぐ。


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"読書の秋"はワセダから・・・

第24回 早稲田青空古本祭

毎年恒例の穴八幡宮境内・早稲田青空古本祭が今年も開催です。

今年は正面参道が工事中ということもあり、本殿、立石書店側からの

入場口のみとなります。使用スペースも少なくなるので、今年は

ワゴンセールとして開催します。ワゴン約90台を並べます。



テント使用できず、雨天中止です。(ただし止んだ場合の再開有)。

14軒参加(台は15軒分)です。どうぞよろしくお願いいたします。



【日時】2009年10月1日(木)~6(火)

     10時~19時(最終日17時まで)

    ※雨天中止(再開あり)

【会場】穴八幡宮境内(早稲田大学文学部前)

    *東京メトロ東西線 早稲田駅 徒歩1分

    *JR高田馬場駅 徒歩20分

    *高田馬場から学バス「早稲田大学正門前」行き乗車、

        「馬場下町」下車会場前。

【主催】 早稲田古書店街連合会

    最新情報は、古書現世のブログでチェックしてください!

    http://d.hatena.ne.jp/sedoro/
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by mayukoism | 2009-10-01 03:32 | 生活

秋のアジサイ

おとなりのアジサイの木に、枯れ花がもうずっと、
ついたままになっている。
落ちるのではないかと思ってさわってみたら、
意外と弾力があった。
枯れ花は、秋のまえに剪定をする、そうしないと翌年の花がつかないかも、
と図鑑に書いてあった。
人さまの玄関先に植わっているアジサイなので、
勝手に剪定するわけにもいかない。
しかし、アジサイというのは女っぽい花じゃないか。
ころころと色をかえ移り気なふりを見せながら、
地中ではちゃっかり根を横にひろげて、
枯れ姿をさらして弱みを見せて、ねえ、あんたがあたしを手入れしてくれないと、
あたし次の花咲かせることなんてできない、とあまえているようだ。
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by mayukoism | 2009-09-27 02:19 | 生活

トレイのある生活

うたたねをしていた。
そしてまた、真夜中がきた。

ひさしぶりにパスタをゆでてみようという気分になり、閉店間際のスーパーで買物をして帰宅。
むかしはよくつくっていた「エリンギと豚肉の黒ごまパスタ」にしよう、と
パスタをゆでたところまではまあまあよかったのだが、
炒めるのはバターだったか、ごま油だったか、はたまたオリーブオイルだったか、
味つけは醤油だけでほんとうによかったのだったか、こまかいところが思い出せない。
さらに、よくばって多めにゆでてしまったパスタを、テフロンのほとんどはげた
フライパンでいためると、どうしても下のほうがくっついてしまって、
なんだか焼きそばのような、大衆的庶民的鉄板的黒ごまパスタができあがったのであった。
パスタをぱさぱさにせず、ふっくらつやつやのまま、いためるのにはどうすればいいのだろう。

改装前の池袋西武の無印良品で、売りつくしセールを長いことやっていたのだけれど、
そのセールで半額になっていたトレイを2枚、購入した。
四角くて、縁の角ばったトレイをほしいと長いこと思っていて、購入した「おつまみトレイ」は
2番目に欲しいと思っていたトレイだった。安く買えたことがうれしくて、ひとりの食事でもいそいそと使う。
1番目に欲しいトレイは、吉祥寺の「お茶とお菓子 横尾」で食事をお願いすると出てくるトレイで、
なんということもない普通の木のトレイなのだが、ちょっと小ぶりでかわいらしく、
ずっと前に、このトレイはどこで売っているのでしょう、とたずねたら、わからない…と言われてしまった。
それ以来似たトレイをずっとさがしているのだけれど、あの、ほどよく小さなサイズのトレイが意外となくて、
いまだに見つけられていない。

トレイを使って食べるごはんは、きちんと暮らしに属している感じがする。
載っているのは、皿からあふれんばかりの、焼きそばのようなパスタであっても。

まとめて焼いてもらったCDのなかから、Randy Newman『SAIL AWAY』をくりかえしかけている。
音楽について語ることばをもっているひとは勤勉なひとであると思う。
耳についた音楽を、好きかそうでもないかで判断して、好きだと思ったものをただくりかえし聞くだけなので、
背景もアーティストのことも、いまのところなんにも知らない。
そういうことをきちんと調べたり、自分なりに学んだひとだけが、音楽のことばをもっていると思う。
このアルバムはすごくいい。とくに5曲目が好きなのだけど、曲名を控えてこなかったので、
タイトルがわからない。
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by mayukoism | 2009-09-26 03:37 | 生活

夜のクッキング

冷蔵庫にのこってしまったざるうどんを、あたたかくして食べることにする。
夏のものを食べきるのは、いつだって季節がすぎるよりすこし遅い。
ひとりぶんの料理だから、だしをとることもなく、粉末のほんだしを沸騰した雪平鍋にさっと溶かす。
ぶつぶつとつぶやいていたお湯が、瞬間的にふくらむ。
大さじも小さじもない。
あるのは大きいスプーンと小さいスプーンで、スプーンで適当に、
醤油や、のこった日本酒やらをすくう。
凍ったままの豚こまをえいっと入れて、長葱なんていつだって余るのだから、
日持ちのする玉ねぎをスライスして、ぱらぱら落とす。

夜のシンクは、どこにいてもだれといてもひとりだ。

ざるうどんは大きめの鍋で、べつにゆでる。
いちおう柳宗理の鍋だったとおもうのだけど、使いはじめのころから、意外と焦げつく。
一口コンロの上に、この大鍋とフライパンと、内祝でもらった大皿と、雪平鍋をかさねて置いている。
収納できる場所がないのだ。
調理するときは使わない道具を、台所のすぐ脇にある洗濯機の上に載せておく。
調理中の鍋がふたつになると、すごく困る。
しかたないから鍋敷きがわりのコースターをテーブルに置いて、その上につゆの鍋を置く。
ゆであがったうどんをざるにあげて水にさらし、つゆを大鍋にうつして弱火であたためる。
つゆがふたたびつぶやきはじめたら、うどんをざるからそうっとすべらす。

子どものころ、うどんを食べるのは、風邪をひいたときか、お腹をこわしているときの、
たいていどちらかだったな、と思う。
いまの自分はどちらでもないけれど、ひとりでうどんを食べようとしている。

そうだった、うどんのどんぶりがないのだった。
食べるときは買ってこようといつも思って、いつも忘れる。
だいたいしまう場所がないからなあ、とぐずぐずしている。
しかたないから、たしかこれはアフタヌーンティーで、ずっと前に購入したとおもわれる
深めのシチュー皿に、うどんをまず箸で入れる。
上からおたまでつゆをひたひたにかける。
ややかたまり状の豚こまと、すきとおった玉ねぎを真ん中に山にする。
ひとりぶんのうどんに、ひとりぶんの白い湯気がたつ。
湯気がたつと、すこし、部屋がにぎやかになる気がする。
いただきます、は幾多の「いただきます」の記憶のなかで言う。

買い替えたり、買い足したり、模様替えしてみたりと、身のまわりを暮らしやすくしようとすることに
あまり情熱をかたむけないのは、今にはじまったことではなくて、
でも、もとからそうではなかったような気がする、なぜなんだろう、と考えるうちに、
わたしは、いつでもどこまででも行けるようにしているのだと気がついた。
それはたぶん、20代に影響をうけた人がひとりでどこまでも行ってしまうひとだったからで、
ついていくわけではなく、その人と向き合える自分でいるために、わたしも身軽でありたかったのだった。
その人はもう、家をもって仕事をもって、前のようにどこにでも行くことはなくなった。
それなのに、身軽であろうとするわたしだけが、ここにのこった。
いったいどこへ行こうというのかねえ、とおばあちゃんのようなセリフを思いうかべながら、
あたたかいかけうどんをすする。

空のシンクに水をながしながら、明日も6時起きだなと思う。
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by mayukoism | 2009-09-25 02:42 | 生活

秋のはじめの出来事

ごぶさたしています。
短い夏休みを終えて、みちくさ市の告知もできず、みちくさ市はひそやかに出店していましたが、
じっくりと本をながめて購入してくださる方が多くて、売り上げもなかなかの数字で、
秋のはじめの日差しを全身に浴びながら、わたしはいまここにいることを全肯定しますと
見えない神さまに報告しました。
ご来場くださったみなさまありがとうございました。

いま書いている文章がなんだか変なのは、わめぞblogの「雑司が谷白想」の第二回原稿に
あまりに根をつめすぎたからで、ここ数日打ち上げやらなんやらでたくさん食べたのに、
この数時間で3キロくらい減ったような気がする。
どうして仕事はあれほど手をぬくのに、文章を書くのにほどほどに力をぬくことができないのか。
とりあえずまだ推敲が必要で、これが終わったらもう少しまともにこちらのブログも
更新しようと思っています。

よくわからないけどお風呂に入ってきます。
おやすみなさい。
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by mayukoism | 2009-09-23 02:56 | 生活

東の町からはじまる9月

9月2日水曜日、降りそうで降らないくもり。

朝食のような昼食は、卵と鮭の炒飯。
仕事にむかうひとを見おくったのち、昼寝。
夜はいつまでも起きていて、昼はいつまでも眠ることができる。
はたらかなくても暮らせるだけの財産をいつか手に入れたら、ずっと眠っているかもしれない。
かたわらの本をときおり手にとって、腕がつかれたら目をとじて。
たぶんそんな日はこない。
そのまま夜になりたかったが、今日やらなくてはいけないことが山積していたのでしかたなく起きる。
子供がちょっかいを出すので、となりの犬がずっと吠えている。
あたらしいパソコンのインターネット接続。

接続をなんとなく終えて、クリーニング屋へ。
夏のはじめにあずけた毛布と、制服のブラウス(長袖)を、近いからだいじょうぶ、と受け取る。
帰りしなにコンビニでアイス、森永「MOW」のクリーミーミルク。
ここのところ、毎日1個は食べている。
「ハーゲンダッツ」のリッチミルクほどおもくなく、126円の手ごろなお値段もうれしい。
パソコンをいじっていると、部屋に夜がきている。
宵闇をふらふらとかきわけて、ひさびさの日の出会へ。
研ぎ猫さんは、あいかわらず研ぎ猫さんであった。
あいかわらず、であってほしい人というのがいる。
研ぎ猫さんは、「あいかわらずであってほしい人」極私的ランキングのトップクラス。

あとから来たせとさんが「晴ーりー」のDVDを持っていたので、研ぎ猫家ポータブルディスクで、
みんなで眺める。
晴ーりー、とぽろぽろ呼ぶと、「火星の庭」健一さんの声が、ちいさいね、もういちどー、と言うので、
晴ーりー!としっかり呼んだら、晴ーりーのあちこちがうごいて、しゃべりだした。
「晴ーりー」は、古書往来座せとさんがこの世に生みおとした、「晴天祈願ロボ」であるわけですが、
祈願は祈願として、晴ーりーは雨の日のほうが好きそうだ。
夜の雨みたいな色の目をした、みんなの晴ーりー。

ムトーさんが「HB」はしもとさんにあだなをつけようとしている。
あだなをつける必要はあるんですか、とはしもとさんがもっともなことを言う。
わめぞであだながあるひとは。
ぱろぱろ(向井さん)。
でも、それってほぼムトーさんしか呼んでない。
研ぎ猫さん、u-senくん。
でも、研ぎ猫さんやu-senさんは、はじめから「研ぎ猫」さんで、「u-sen」さんだった。
そのような名まえであらわれて、そのような名まえでそこにいる。
まるでもうずっと、そうやっているみたいに。

あの人ってまだ生きてるんだっけいやとっくに死んでる、逆もまたしかり。
そう思われがちな著名人、という話で、いいよなあ、そういう人になりたいなあ、と
こないだのラジオで伊集院光が言っていた。
細部をすくいあげて、ひたらずにおもしろくしていく、伊集院光のこういう話が好きで、
月曜の深夜を意外とたのしみに待っている。

そんなふうにして9月になっている。
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by mayukoism | 2009-09-03 04:05 | 生活

夏のおわりのある一日

たまには今日のできごとを。

8月29日、土曜日。晴れ。
横断歩道でくしゃりと音がするものを踏んで、はっとした。
踏んだものを見てはいけない、ととっさにおもった。
この季節の変わり目にうつむくと、ちぎれた羽根や、ひっくりかえった足先などを見ることがある。
あれのような気がする。

毎週恒例の朝礼当番。
ずらりと並んだ従業員の前で、面倒なことや、どっちでもいいようなことを告げる。
面倒であればあるほど、声が少し高くなるらしい。だって、面倒なんだよ。
先生っぽいよね、と言われる。
学生のときにも、先生になればいいのに、と言われたことがあるが、
だれかの人生をまるごと背負うような、あんなおおきな仕事はできないと思った。

休憩中に売場から電話が入る。すわ事件か。
お客様注文の商品が棚にないと言う。それはこれこれこういういきさつで、このようになっています、
というのを1ヶ月ほど前に伝えたはずなんだけどなああ、と思いながら指示を出す。
帰りしなに田村の均一と、コミガレをのぞいたが、どちらも風がさらっていったあとのよう。
ひしゃげた三角コーンがころがっている。

ぽぽんっ、と肩をたたかれて見ると、豆さんだった。
仕事中は閉めているこころの窓がぱーんとひらく。
森有正の日記をご案内する。森有正の本は、ふたたび売れはじめている印象がある。
とおくからちかくから、豆さんの黄色いTシャツを、浜辺の旗のように確認しながら、売場をおよぐ。
こういうとき、もっとゆっくりとした時間を提供できたらいいと思うのだけど、むずかしいな。

土曜日にしては平穏ないちにち。
夏休みの終わりで、もうみんな出かけないのだろうか。
『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』(黒岩比佐子著/角川ソフィア文庫)を読み終えたくて、
ヒナタ屋に寄る。ごあいさつ。
本を読むことをわかっていて、あらかじめランプを持ってきてくれる。

人物のことを語るとき、風船のようにその内にあるものをふくらませるやり方と、
石膏のように外側からかためて、中の型をとっていくやり方とがあると思うが、この本は後者だと思う。
それは対象の人物が「聾唖者」であるということと、多分に関連があると思うけれども、
作品や証言からすこしずつ浮き彫りにされる井上孝治という人と、それを丁寧に追いかけた黒岩さんの
情熱の「型」、そのうつくしさにうたれた。

発話能力があらかじめ失われているわけだから、井上孝治本人の発言は、この本の中にほとんどない。
あるとすれば筆談によるやりとりや発表された文章だが、その数も多くはない。
言葉で人を理解しようとするのは、時として頭でっかちになる。
まず写真、そしてエピソード、周囲の人々が語る井上孝治という人の行動や表情、
そういった景色がすこしずつ集まり、いつのまにかまるごと人間のかたちをして、自分のそばにいる。

それは体温をもっていて、あたたかい。
会ったことがないのに、まるで会ったことのあるだれかのように、読んでいるとずっとそこにいる。
感知できるその不思議なあたたかさと、真正面から見つめあうような
黒岩さんの真摯な文章がひびきあうと、ふいにページがめくれないほど胸がいっぱいになっている。
そんな体験を何度もあじわった。

読み終えて、ヒナタ屋を出る。
夜の御茶の水橋で、聖橋方面を撮影している夫婦とおぼしき外国人がいる。
すれちがいざま、金太郎のような格好をした女性がいた。
金太郎のあの四角い前かけはなんというのだっけ。あれだけ付けました、というような格好で、
露出がもうぎりぎり。
あれはいったいどういった場所で、需要があるのだろうか。
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by mayukoism | 2009-08-30 04:21 | 生活

記憶する身体

背もひくく、瞬発力があるわけもなく、なにより中学時代は美術部だった自分が、
なぜ高校でバレーボール部に入ったかというと、学校案内にあったはずの
文芸部が見あたらなかった。
小学校からバレーをやっているというクラスメイトが、その魅力をとつとつと語るので、
いったいぜんたいなにがそんなにおもしろいものなのか、と仮入部したら、
意外と楽そうだったので入部した。初心者もいいところだ。

(よくもわるくもわたしにはそういった、他人にとって意外、というより、
自分にとって意外なことを、穴に落ちるみたいにぽろっとはじめたがるところがある。
他人を、ではなくて、自分をどれだけおどろかせられるか、という。
他人はそれをたぶん無謀とよぶ。)

ところが、しばらくして顧問がかわり、バレーボール経験のある先生だったので、
練習はガラリときびしくなった。くる日もくる日も、汗くさいサポーターを右ひざにつけて、
とうぜんバレーボールのうまくない、身体的にも向いているとはいいがたい自分は、
サーブとレシーブを中心に練習する。
コートにひとり入り、何分間か、あちこちにほうられるボールをひたすらひろいつづけ、
コートの周りをとりかこんだほかの部員が、がやがやとかける声がかたまって聞こえる。

ひろっているうちに息がくるしくなって、足が帆をはったように動かなくなるのに、
あるところから急にボールがひろえるようになる。
さっきは届かなかったぽとりと前に落ちるボールに、スライディングでゆびさきが触れる。
からだがなにかを記憶して、なにかをこえていく、目に見えるこの単純な変化は、
本の世界では体験することのない感覚で、それはそれでおもしろかった。

試合はずっと控えで、ピンチサーバーやレシーバーとしてときどき出た。
チームメイトに迷惑をかけるのがこわくて、どんな練習試合だってすこぶる緊張した。
全国大会の地区予選で、一度だけ連続でサーブポイントをきめたことがある。
ほんとうにうれしかった。
他校の体育館の高い天井と、ネットのむこうに扉がひらいていて、
外の植えこみが白っぽく見えたことを、おぼえている。

バレーボールのワールドグランプリを、ひやむぎを食べながら、見るともなく見ていた。
ルールも変わったし、解説できるほどの知識ももともとないから、ただ試合のゆくえを
目でおうだけなのだけれど、つよいスパイクがくる直前や、ブロックのあいだを
ボールがすりぬけた瞬間なんかに、いっとき息をとめて、からだ全体で
ボールの力をコントロールしようとする、あの集中の感じをふと思い出して、
けれど吸い込まれるように、もう消えている。
この感触は、ほかのスポーツを見ているときにはうまれない。

いわゆる「体育会的要素」は、皆無にひとしいほど自分のなかになく、むかしもいまも
やっぱりどちらかというと文科系だとおもうので、高校時代をバレー部で過ごした、
というのが自分でもちょっと可笑しいのだけど、あんなことはもう二度とないわけだから、
まあ、やっておいてよかったのかな、とはおもっている。
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by mayukoism | 2009-08-24 01:07 | 生活

浴室随想

ひとり暮らしとは、自分のシャンプーのにおいを忘れるということ。
たまに他人がシャンプーをつかうと、浴室のとびらを開けたとたん、においの風が部屋にあふれて、
あ、こういうにおいだったんだ、とおもいだす。
おもいだしてすぐに忘れる。
シャワーの温度を2度上げてみる。


お盆なので、仕事帰りに今日は、おばあちゃんの本屋に立ち寄った。
地下鉄で目黒線に乗り入れる。目黒を過ぎたあたりで、落ち着かなくなる。
目黒線になってずいぶん経つけれど、目蒲線の記憶が消えない。
「目」黒駅から「蒲」田駅までの列車だから、目蒲線というのだとおそわったこと。
終点であり始発である目黒駅の行き止まったホーム。
ビリジアン色の列車のいちばん前で、足元にすいこまれる線路をずっと見ていたこと。
流れていく景色が、子どもの目の高さで、頭の中にあまりにつよくのこっているので、
つるりとした画一的な駅がつづくいまの目黒線の、密封された感じにぜんぜんなじめない。

目蒲線がうごいてる。
何回もうごかした。

おじいちゃんの仏壇に手をあわせる、のを忘れてあやうく帰るところであった。
帳場が居間、というつくりの本屋なので、お盆のお供えやらもとくにしていない。
行きがてらに買った小さなサブレは、生きてるひとのほうが大事、と
おばあちゃんの明日の朝食になった。
付録についていたらしい豹柄の定期入れを、つかう?とにこにこ手渡されて、
どうすればいいのかちょっと迷った。
来てくれてうれしかった、と左手をふったおばあちゃんのしわの薬指に銀色の指輪が見える。
おばあちゃんちのシャンプーはメリットだった。メリットは髪がきしきしいう。
いまはどうだろう。


シャンプーをすすぐ。
うつむくと、泡だった湯が足の指のかたちに流れていく。
親指のふもとにひょろりと細い毛が一本生えている。
この毛の成長するちからを、身体のほかの部分に使うことはできなかったのだろうか。
そよそよと毛はながれた。
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by mayukoism | 2009-08-16 01:06 | 生活

夜中のカナカナ

明治通りからすこしはなれたアパートに住みはじめて、1年が経った。

このあたりは案外と木が多い。
少し歩けば鬼子母神もあって、色と音の洪水の池袋駅からは、想像できないようなしずけさ。
休日は、鬼子母神の「ふくろうベンチ」に、ときどきよいしょと腰かける。
なににもさえぎられず吹きぬけていく風の、行く先に心の目をこらしてみる。

アパートには金木犀の木が植わっていて、定食に添えられた割り箸、ほどのせまい庭には
槿の花が咲いている。
花が咲く家というのは、いいもの。

夕方すぎに、上司がとつぜん職場にあらわれて、往来座に行ってきたよ、と言われた。
まるで約束していたみたいな口ぶりだったので、なんのことかと混乱した。
ええっと?と尋ねると、せとさんと旧知の仲で(そういえばせとさんもそんなふうに言っていたっけ)、
所用があり往来座に寄ったのだとのこと。

あなたの話もしたよー、と言われた。
おお、自分の職場と往来座がこんなふうにつながるとは思っていなかったので、
勤務中にはあまり思うことのない、いろんな景色が自分の中になだれこんできて、高揚した。
人と人とが、場所と場所とがつながるのって、ちょっとこわいけど、無性におもしろい。

せとさんはほんとうにいい人だよねー、と上司が言ったので、うんうんとうなずいた。
往来座はほんとうにいい店、いつ行ってもだれかがなにかお話してる。
レジが混みだしたので少ししか話せなかったけれど、じゃあまた、と言って上司は早足で去っていった。

もうすぐ日付がかわる時間。
いま、たぶん近くの銀杏の木のあたり、眠らないアブラゼミが鳴いている。
ときどきはミンミンゼミも鳴く。たまにカナカナも鳴いている。
カナカナの声は、ピアノの鍵盤の、めったに触れない、いちばん高いシの音。
カナカナが鳴くのを、ひさしぶりに聞いた。

往来座と、鬼子母神と、夜中にカナカナの鳴きだす木のあるこの土地を、わたしは好きです。

帰ったら、ここのところ夢中で読んでいる林芙美子の、見たことのない傑作集が
机のうえに置いてあった。
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by mayukoism | 2009-08-14 00:01 | 生活