乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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カテゴリ:生活( 88 )

孤独の輪郭

わたしの思う孤独にはかたちがなくて、輪郭だけがある。

湯をはったユニットバスで膝をかかえた夜のほそい輪郭や、
手をふったあとに歩きだしたホームへかさなるあわい輪郭。

孤独の輪郭を、ひと筆の絵のようにシンプルに描きたいと思うけれど、
いつもそううまくはいかない。

ひと筆で描いたようなうつくしい孤独、というのはじつはその人物が
ほんとうの意味の孤独でないから、生まれるものではないかと思う。

帰る場所があり、うつべき相槌があり、書くべき手紙のある人が、
日常のすきまにうつくしい孤独の輪郭を描きだす。

うつくしい輪郭はなかなか描くことができないけれど、
そういう意味で、たしかにわたしは孤独ではない。

それでも一日三回の食事のように、夜になれば注ぐアルコールのように、
孤独がなければ生きてゆけないなあ、と思う。

孤独の権利、というものが確固としてあると思う。
個人の孤独の権利はまもられなくてはならない。
そして、自分の孤独は自分のやり方で獲得するのだ。

遅く起きた休日。
夜の約束までの時間を孤独のためにつかう、と決める。
強い風におおきくしなる、鬼子母神の欅を見あげながら歩く。

「キアズマ珈琲」の扉をあけると、聴き覚えのある旋律が耳に届いた。

いつもはこんにちは、とあいさつをしてカウンターに座るのだけど、
邦楽めずらしいですね、と思わず口にしていた。キリンジがかかっていた。

はじめは「スウィートソウル」、そのあともランダムに
「アルカディア」、「双子座グラフィティ」、「Drifter」が流れて、
雨がつよくなり、雨やどりの幾人かが店内を満たしたころに、
ふと強く吐いた息みたいに、「雨は毛布のように」が流れ出した。

雨宿りのおしゃべりはつづいた。
だから気がついたのはわたしだけだったかもしれない。
あれはマスターがわざと流したのか。それとも奇跡のようなタイミングか。

物語のつづきに目をおとし、あたまの中で想像の絵筆を持つ。
音楽と雨が、わたしの孤独をいつもよりていねいに描きだす。
さあ、できるだけシンプルに。



たとえ鬱が夜更けに目覚めて
獣のように襲いかかろうとも
祈りをカラスが引き裂いて
流れ弾の雨が降り注ごうとも
この街の空の下
あなたがいるかぎり僕は逃げない

キリンジ「Drifter」より

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by mayukoism | 2010-07-30 03:14 | 生活

空の木

休日にスカイツリーを見に行く。
携帯電話で撮影したスカイツリーを待受画面に設定しているのだけど、
画面のスカイツリーが、電話をひらくたびに少しずつ伸びているような気がする。
ホイップしたような雲が、タワーのうしろを少しずつうごいているような気がする。
飽きないなあ、と眺めることにしている。

スカイツリーのふもとにある業平橋駅のそばに古本屋(※)があった。
すこし目をはなした隙に知人が本をかかえている。
なにも言っていないのに「これは仕入れだから」と言い訳めいたことを言う。
しかも二度言った。二度目はもうあいづちもうたず聞きながす。
わたしは目についた棚の本をめくる。

なにげなく手に取った青木玉『こぼれ種』(新潮文庫)をひらいて、あっと思った。
ここのところの散歩コースになっている雑司が谷霊園で、どうしても名前のわからない
花の咲く木があった。ほそながい花弁が放射状にひらいた白い花で、羽虫がむらがっていた。
こういうときに花から調べられる手ごろな図鑑がほしいと思っていたのだけれど、
あの花によく似た写真がそこにあった。キャプションに「クサギ」とあった。

『こぼれ種』には知人の故郷のアオソ畑も載っている。
思いをはせる故郷が自分にないので、他人の故郷にやたら反応してしまう。
けれども『こぼれ種』は買わなかった。
青木玉にも幸田文にも、言葉の底につねに「正しさ」が流れていて、「正しさ」には
正しく対峙しなくてはいけない、という気がしてしまう。
その強さがいまはないと思った。

そして「クサギ」をインターネットで調べてみて、「臭木」と書くことを知り、愕然とした。
葉をちぎるとカメムシのような、ピーナッツ(!)のようなくさいにおいがするので
そのように命名されたらしいのだが、あんまりではないか。
また、花は8月に咲くとあって、ううむ、と考えこんでいる。『こぼれ種』の写真は
まるでそっくりだったのだけれど、もしかしたら違うのかもしれない。

やっぱり買っておけばよかったかなあ。


※業平駅前書店
http://www.narihiraekimaeshoten.com/

※2009年4月に「古本屋ツアー・イン・ジャパン」さんがご来店されたときの記事
http://blogs.dion.ne.jp/tokusan/archives/8295319.html 





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by mayukoism | 2010-06-06 04:12 | 生活

パンのある食卓

パンを焼くときだけ、トースターがこの部屋にないことをすこし後悔する。

いまのオーブンレンジにはたいてい「トースト」のボタンがついていて、
自動的にきつね色のトーストが焼きあがるようになっているけれど、
厚みによってパンの耳がかたくなったり、うまく水分がぬけずに重くなったりするので、
やっぱりトースターで焼いたトーストのほうがおいしい。

ときどき、パンをむしょうに噛みしめたくなることがある。
コンビニエンスストアで売っているような色とりどりの菓子パンではなく、
早起きのパン屋が大きなオーブンで焼きあげた堅い小麦のパンのかすかな塩味を、
頬っぺたいっぱいにわしわしと、できるだけ長い時間味わっていたい。

薄切りの食パンをかりかりに焼くのもいい。
小動物のように歯先でさくさくとかじりつきながら、脳内はバターの香りに満ちていく。
半分食べたらポタージュにすこしひたして、ふんにゃりともうあられもない姿になる前に、
そっと舌先でスープごとうけとめてあげる。

パンが食べたいとおもうときは、パンをこころゆくまで味わいつくしたいということであって、
パンをもとめるあまりに、食卓にパンしかない、ということがままある。
今夜もそうだった。
旅猫雑貨店のおむかいにある赤丸ベーカリーで、休日に購入した「上食パン」を、
ただかりかりとかじりたくて、1枚、もう1枚、と焼いてじゃがいものポタージュと
いっしょに食べたら、それだけで満腹になってしまった。

主食はたいてい白米で、外食でもライスのセットしか注文したことがない。
なのにときおりおとずれる、この「パン熱」はいったいなんなのだろう。
ひとつ、パンを食べていると頭のなかをよぎるイメージがある。

「何か召し上がらなくちゃいけませんよ」とパン屋は言った。「よかったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べて下さい。ちゃんと食べて、頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、ものを食べることです。それはささやかなことですが、助けになります」と彼は言った。

『ささやかだけれど、役にたつこと』(レイモンド・カーヴァー著/村上春樹訳)


なぜ、と問うても理由の見つからないわるい知らせや、何もかもかみ合わずに
ただ疲弊していく時間が、こころの準備もないままにおとずれることがある。
そのくりかえしのために感受の土壌は痩せて、知らぬ間になにかを打ちのめし、
打ちのめしたことに自分が打ちのめされている。
そんな日はときどきくる。
わかっていても、わかっていなくてもときどきくる。

すこし、弱くなるとパンを食べたくなるのかもしれないな、と思う。
手のひらから手のひらへわたされる体温。
『ささやかだけれど、役に立つこと』はけっして愉しい物語ではないけれど、
そこにはたぶん物語でしか受けわたすことのできない希望のかたちがあって、
その希望のあまりのかすかさに、読みながらいつも立ちつくす。ただ立ちつくす。
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by mayukoism | 2010-02-13 03:42 | 生活

二次元のパン屋

近所に「かいじゅう屋」というちいさなパン屋がある。
住宅街の裏道ぞいにひっそりとひらいている。
目をこらしてやっとわかる、まちがいさがしのまちがいのよう。
その裏道をなんどもとおっていたのに、気がつかなかったなあ、と思っていたら、
それもそのはずで、水・金・土曜日の16時から19時までしかひらいていない。
そりゃあ知らなかったはずだよなあ、と思いながら、
日暮れのはやくなったいつもの路地で、
前に並んだふたり連れが、パンを決めるのを待っている。

そういえばさっきみどりちゃんが来たんだけど、とふたり連れの男の人のほうが言う。
初老の夫婦、にも見えるがどこかにあまい距離がある。恋人どうしと言ったほうがちかい。
女の人はどちらかというとパンをえらぶほうに夢中で、背中であいづちをうっている。
きみちゃんが来るっていってたからさ、よかったよ、ひどい格好じゃなくて、と男性がゆかいそうにわらう。
まだ、まともだったわけね、と女の人がウィンドウの中のパンをじっと見ながら言う。
うん、と男性がうなずく。




初秋に、鎌倉に行った。
ひさびさに休みの合った知人と、とくに目的はなく列車に乗った。
かまくら、と指でなぞれば、なぞったそばから海になった。
鎌倉はどこから歩いても、いつのまにか海になった。
海までの道すがら、窓越しに見たパンがおいしそうで、知人を送りこんだ。
缶ビールをまだ飲みきっていなかったので、わたしは白い店の入口でビールを飲みながら待った。
知人がチョイスしたパンを、どれどれと歩きながら食べた。
噛めば噛むほど小麦の味のする固めのパンで、ぎゅっ、ぎゅっと何度もたしかめるように咀嚼した。
もういちどひきかえして、もっと食べたいとおもったが、そうすることはなかった。




待ちながら、そのことをおもいだしていた。
そのあとたどりついた海では、知人がとんびの落としものにおそわれたり、
橋をわたった江の島では生しらすを食べながらラジオに耳をすましたり、
スマートボールで「20」の穴にボールが吸いこまれると、20個ボールがばららーと流れてきたり、
ガチャガチャで「江の島」の切符とロゴのピンバッチが出てきたり、
記憶はあっという間に、かんたんに二次元になる。
「かいじゅう屋」のパンをながめているうちに、ひきだしの記憶がとつぜん三次元になって、
はじめてこの記憶が二次元になっていたと気づく。

「かいじゅう屋」の丸パンは今朝あたためて食べた。
知人には丸パンと、木の実のパンをあげた。
丸パンさいこーだ、と知人は言った。
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by mayukoism | 2009-12-11 01:31 | 生活

名前のない時間

パソコンのほの白い画面を眺めていると、こんなにも人と人とが、言葉と言葉とが、
かんたんにつながることができるようになってしまって、いったいわたしたちはいつか、
この世界にさよならを言って、きちんと死ぬことができるのだろうか、ほんとうに?
と、ときどき思ってしまう。
薄手厚手の服を何枚もかさねて、かたくなな冬の風と会話できる姿勢をとる。

昼食をオーダーしたあと鞄をあけると、いくらまさぐっても財布がない。
お詫びしてオーダーをキャンセルしてから、昨晩から今までの自分の行動を振りかえると、
なくなるはずはないとも思えるし、いくらでもなくなる隙はあるという気もする。
つまり、鞄以外のどこにあるのか、見当もつかない。

来た道を徒歩で、列車で戻りながら、財布がなくなったあとの世界を想像してみる。
煩雑な手続きの数々はめんどうだけれど、なぜか少しだけわくわくしている。
財布がないということはなんと不安で、なんと軽やかなことだろう。
全世界を部屋にして、このドアを開け放つことがわたしにもできるかもしれない。

財布はあった。
毛布の下になぜだか隠れていた。
見つかれば見つかったで、ほっとしてふたたび部屋を出ると、はじめに部屋を出たときに見えた
朝の直線的な光は消えて、もう、一日を閉じていくような午後の円い日だまりが
いくつもエントランスに落ちていた。

目にうつる景色のアイテムは変わらないのに、自動販売機の前で休憩をとっていたつなぎの作業員は、
もくもくと材木を肩にのせる仕事にうつり、さっきはいなかった不動産屋の主人らしき男性は
入口の鉢植えを見ながら、こんなものを植えたおぼえはないんだけど、胞子がきっと
風に吹かれてここにきたんだね、いつのまにか生えていて、という話をおばあさんにしていた。
おばあさんは後ろ手に大きくうなずいていた。
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by mayukoism | 2009-12-02 15:39 | 生活

楽な服を着よう

楽な服を着よう、とおもった。

夜明け前の町をどこまでも歩いてもくたびれない靴を、
犬と同じ目の高さになるために地面に寝そべることのできるシャツを、
本がなだれたらかきわけてとびこえて、ひっぱりあげることのできるパンツを、

身につけよう。そうしよう。

そう思ったのは、ムトーさんが以前通りすがりに、ご飯がうまいよ、と言っていた
定食屋を出てからだった。

めくったら冬、と言いたいような冷たい雨の駅前通りで、トレンチコートのベルトを
しめ忘れたのだ。
こじんまりとした定食屋で、大きなショルダーバッグとコートのベルトをはずすのに
いちいち動きが大げさになっている気がした。
つややかな白米をほくほくいただいて、ごちそうさまでした、とお店を出たとき、
しめ忘れたトレンチコートのベルトが、水たまりに少しつかったのだった。
あっ、と思ったとき、広がったのはダメージではなく、はじけるような景色だった。

高いヒールのブーツも、細工のきれいなブラウスも、ステッチのうつくしいパンツも、
きらいではない、少しも。
身につければ低い背もぐーんとのびる。
けれどもいま、自分がしたいことはそこからだいぶ遠ざかっていて、わたしはたぶん動きたい。
はねたりとんだり、今日のような日はいっそずぶぬれになって、冬の雨のかたくなさを知りたい。

もう洋服で武装しなくてもいいのだと思った。
特定のだれかが気に入るような服を、顔色をうかがいながら着なくてもだいじょうぶな場所に、
もう来ているんじゃないかと、ふと思った。

楽な服を着る、ということは気をゆるめるということではなく、身ひとつでいつでも
走りだせる準備をするということ。

それでわたしはリュックを背負って、スニーカーをはいて、
雑司が谷のキク薬局ガレージにいるムトーさんとテクニシャン助手・王子と、
ガレージ扉に描かれているだろう未知の色彩を見るために、また雨のつよくなった
夕方の町へ飛びでたのだった。
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by mayukoism | 2009-11-18 04:30 | 生活

今日という日

図書館で借りたトートバッグいっぱいの本と、トイレットペーパーをかかえて、帰路をゆく。
気がつけば、部屋へとつづく階段のふもとの金木犀は、そしらぬ顔で緑にもどっている。
今年の花はみじかかった。
金木犀がおわれば、夜の風から鋭角になる。冬が準備運動をはじめる。  

昼間、ラジオ(TBSのキラキラ)を聴いていたら、今週はいちねんでいちばん穏やかな気候の
一週間になるでしょう、と気象予報士のササキさんが言っていた。
その前の道路交通情報では、アナミさんが、車の数は少なくなっています、現在渋滞はありません、
いずれの高速道路も順調に流れています。―高速、―高速、いずれも渋滞はありません、
―号線、―号線、いずれも順調です、と、言っていた。

このあと日の出会があるというので、昼間に研いだ新米を炊いてから出かけようと思う。
窓辺に干した知人のパーカーはまだ乾いていない。
ひょっとして明日はこれを着るのではないかしら、と、暑くもないのにエアコンをつける。
早く乾くのではないかと思って。

夕方のざわつきがまだ残る部屋に、炊飯器のぷす、ぷす、という音がときどきひびく。
ひとりでいると、お米を炊いているのをわすれて、なにか物音がする、と身構えてしまうことがある。
冷蔵庫をあける。きっと研ぎ猫さんが、またたくさんメインメニューを用意してくれているから、
なにも食べずに行こうと思うけど、とりあえずビールは飲みながらあるこう。冷蔵庫をしめる。

ばちん、と音がして白米が炊けた。蒸気口から米色の蒸気がもくもくと吹きだしている。
冷凍する分は小分けにしてラップに包み、ひょっとしたら明日の昼に食べるかもしれない分は、
お茶碗に入れたままラップをかける。
日の出会から帰ってくるころには、冷蔵庫に入れられるくらいに冷めているだろう。

ああ、これがどうしようもなくわたしの暮らし、と思う。

あまりにも寒いのでエアコンはやっぱりとめる。パーカーが明日までに乾くといいけど。
今晩はオリオン座流星群のピークだと言う。オリオン座とふたご座のあいだの空に、
明け方の4時ごろが見ごろだというから、きっと見られない。
眠ろうと眠るまいと、星はながれる。それだけのこと。それだけのことが終わらなければそれでいい。
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by mayukoism | 2009-10-21 19:38 | 生活

SLOW SEWING

どんなに世の中が便利になっても、
とれないボタンというのはないものだな、と
制服のボタンをつけながらかんがえる。

針と糸はすきだけど、ミシンはにがて。
はやすぎるから。
針をうごかしていると、
気まぐれにあちらこちらを向きたがるアンテナが、
針のひとさし、ふたさしにすーっと小さく落ちていく。

ボタンをつけながら、図書館で借りてきた
通崎睦美『届くことのない12通の手紙』を聴く。
マリンバの音はやわらかく、夜をじゃましないのでなんどでも聴く。
通崎さんの本はよく見かけるが、読んだことはなく、
読んだらそれはそれでおもしろいのかもしれないけれど、
なんとなくこのマリンバの音は、音として記憶しておきたいとおもった。
本を読んだら、ビジュアルが別に立ちあがってしまいそうな気がする。
夜をじゃましない音楽というのは意外とない。

たまどめをきれいにできる人間になりたい。
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by mayukoism | 2009-10-05 04:21 | 生活

わたしの傘

階段をあがってすぐのところにわたしの部屋があって、
雨のあとは昨日の傘が、
扉のノブにかけたままになっているのだけれど、
いちにちはたらいて帰ってきて、玄関の傘を見つけるといつも
不思議な感覚におそわれる。

雨の昨日は手の中であんなにもしたしかった傘が、
使わなかった今日ながめると奇妙によそよそしく、
傘だけが、昨日のつづきの中にまだ存在していて、
かたくなに今日を拒んでいて、

はたらいて帰ってきたわたしと、
ドアノブにいちにち置き去りにされていた傘に流れる
時間のちがいが、
階段をあがって見えてしまった傘をまるで
侵入者のように見せる。

いつのまにか遠くなる昨日と、その遠ざかる速度について、
ふだんのわたしがどれだけ不感であるかを、
ほんのりしめった傘に触れて思う。
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by mayukoism | 2009-10-04 04:45 | 生活

雨と木々

雨だからやめておこう、とおそらく多くの人が判断するであろう行為を、
雨の日にあえてするのが好きだ。

往来座とブックオフに、紙袋いっぱいの本を売りに行ったり、
鬼子母神をぴちゃぴちゃあるいたり、
買うか買うまいか迷っていた座椅子を買ってかかえてきたり、
小石川植物園に行って遭難しかけたり。

雨の日はきらいではない。
世界がうすぐらいので、自分の内側がよく見える。

けれど今日は、ほんとうは穴八幡に行こうと思っていたのだ。
早起きして。
目覚めのぼんやりした頭にすぐ、雨の音が聞こえた。
うどんをゆがいたり、お風呂の掃除をしながら、ときどき玄関の扉を開けてみたけれど、
雨は計算だかい女みたいに、つよくよわく降りつづいた。
古書現世のブログとツイッターで状況をたしかめた。
行きたかったな穴八幡、という気持ちをハンカチにそっとくるんで外に出る。

冒頭にもどる。

植物園は、広かった。
閉園1時間半前の15時に入園し、ちょうどいい頃合いでまわれるかしらと思ったら、
とんでもなかった。

温室のような施設を想像していたのだが、温室は園内のごく一部で、しかも15時で閉められており、
あとは森だったり林だったり巨木だったり茂みだったり丘だったり池だったりがあちこちに広がって、
と思うと、とつぜん日本庭園が目の前にひらけたりして、とにかくどこまでも果てしがないようにみえた。
雨がつよくなってきたころ、丘からぬけようと石段を降りていて、途中までは降りられるのに、
あとはぬかるんだ急な坂があるだけで、どうしても下界に出ることができず、
まちがった物語に迷いこんでしまったような気がした。

ふいに目の前にあらわれた杉の大木のうねった枝や、太い幹に圧倒され、その場から
はなれられなくなった。
畏怖、という言葉のことを思った。
雨が降っていたせいで、枝は黒々と曇天をさえぎり、根のはう地上には夜とはちがう暗闇があった。
のみこまれてしまうかもしれない、のみこまれるのはこわい、でもいっそのみこまれたい。
いまも、あの杉の木を思い出すとすこしこわい。

苔や川や、なにかしら自然にこだわりを持っている人というのがいて、
こだわりというほどのものではないけれど、自分にとってそれは木なのかもしれない。
街路樹の名は呼びながら歩くし、知らない木の名は気になる。
木のことをもう少し知りたくて、往来座の買取でいただいたお金をにぎりしめ、
ジュンク堂の、ふだんは行かない「自然科学」のコーナーで木の図鑑をながめた。

葉でわかる木の図鑑、というのがあって、葉の先が尖っているかまるいか、
葉脈がしっかりと浮き出ているかいないか、などで木の種類を見分けることができる。
爪の先などで跡をつけると、しばらくして茶色く跡が浮かび上がってくる葉というのがあって、
文字を書けばまさしく「葉書」になるのだった。
そんな葉と木の紹介が写真入りでたっぷり載っている。
もっとはやく買えばよかった。
これを持って、つぎは晴れた日に小石川へ行ってみよう、と思っている。

余談ですが、小石川植物園には入ってすぐ左手に「精子発見のソテツ」がこんもりと鎮座し、
ところどころ設置してある案内図には、すべてのある個所に「イチョウ(精子発見)」と示されている。
イチョウは時間がなくて見つけられなかった。
植物の精子発見についても、もうすこし知っておきたいところ。
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by mayukoism | 2009-10-03 03:05 | 生活