乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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カテゴリ:言葉( 44 )

ことばのつえ

東京と仙台の明日の、日の出の時刻は同じ。
名古屋の日の出は、東京の10分後。
ラジオがそのように告げる、さむい夜であります。

衣更着信について尋ねられ、詩人の、と答える。作品は読んだことがない。
ただ、この名前を見ると、全く関係ないのにどうしても『F式蘭丸』(大島弓子)の
「更衣の君」を思って、ややときめく。
だからなのか、そのあとさらに藤井貞和のある詩が収録されている本、について
尋ねられたときに、その題名は聞いたことがあるぞ!と思って、おもわず
「仕事」の枠をぽーん、と越えて、親身になってしらべてしまった。
おかげで詩集は判明し、あ、それはすごくうれしい、と言っていただく。
わたしもうれしいです。こういう接客はたまにしかできない。
そしてまたばたばたと「仕事」に戻りながら、今日は身体のどこかでずっと
詩のことを思っていた。
言葉の内圧の高さに、ひかれているのだたぶん。

久しぶりに退館がいちばん最後になる。
フェアの入れ替えとフェアの選定と、イベントの企画の打診と配架、それらに
営業中はまったく手をつけられず、閉店後、おにのように働いてみる。
なぜか、「NHKみんなのうた」で流れている『PoPo Loouise』 (演奏・うた:
栗コーダーカルテット&UA)という歌のサビの部分が頭からはなれない。
こないだいちど聴いただけなのだが。

サボテンの花が咲く季節に また逢えるまた逢おう
E Le Vu Sha Ki La Ku Pa Di Ma To Ka Lei
PoPo Loouise PoPo Loouise

歌いながら、台車を押してみる。
すぐやめる。

今凝っているもの。
ミニストップで売っている(他のコンビニ、スーパーでも売っているのか?知りたい)
「チーズクリーム大福」95円。
敷島製パン販売。餅生地がやわららららーかくて、クリームがほどよくチーズ。
あると必ず買う。そして売り切れる。そしてなかなか再入荷しない。

真夜中。
「狭山抹茶のシュークリーム」をお土産にもらった。おいしかった。
しゃべるだけしゃべって、酔っぱらいは寝た。

ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。(穂村弘)

おやすみなさい。
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by mayukoism | 2008-11-11 03:33 | 言葉

空へと放りあげる言葉

考えなければいけないことがたくさんある。
休日や、退勤後の予定がことごとくうまっている。
締切のある仕事がつぎつぎ舞いこんでくる。
そのどれもが気乗りがしないもので、かつ多くの人を巻きこんで
(わたしは、ほんとうは、一人でできる仕事が好きだ)
やらざるをえないようなとき。

やはりどうしても小説を読みたがる。
それが一昨日、日曜の気分。

それで、休日の今日は雨の中、近くも遠くもない道のりを歩いて、
図書館へ向かった。
あ行の棚からゆっくり流して、すうっと入ってきた本を手にとっていく。
ぱらぱらとめくりながら、なぜ小説なのかを考えていた。

随筆の言葉はその向こうに書き手の姿を見てしまう。
言葉といっしょに作者の生活や嗜好や思想がくっついて見える。
そこに書かれている言葉は、どうしてもその書き手の所有物に見える。
読んでいる「わたし」の言葉にはとうていなりえない。

小説の言葉はもう少し書き手から遠い。
言葉は作者と読んでいる「わたし」の間で宙に浮いている。
わたしはそれを、その物語の言葉として読む。
そのとき、言葉はだれのものでもない。物語のためにある。

わたしは、たぶん言葉を、その言葉の意味だけで読みたいのだ。
言葉が意味する、感情なり状態なり景色なりだけを、純粋に抽出することで、
物語のイメージをなるたけ仔細に描く。
そのイメージの風景のことを、わがままに、わたしだけの言葉で思いたいのだ。
そうすることでわたしは物語を全身で経験する。
それはわたしをこの現実からはてしなく遠ざける。
その、遠ざかる作業こそがわたしにとっての「読むこと」だったのだ。
これまでずっと。
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by mayukoism | 2008-10-15 01:30 | 言葉
ここにいる自分がつねに本当なのではない。
酒席の途中で、あ、すいませんちょっと、と入ったトイレの個室の
扉をしめたなり、たとえばふいにそんな感覚におそわれる。
毎日ドトール飽きないですか、とそれほど親しくもない人に尋ねられて、
いや、短い休憩時間を迷うのに使うのがいやでね、などと言いながら、
なんだかうそを言っているような気分になる。
うそではない。うそではないけれど、わたしがドトールに日々
足をのばしてしまうことを、本当はあまりそんなふうに説明したくはない。
だからといって、重大な秘密があるわけでもない。(あるわけがない)
ただ、ドトールにひとりでいる時間というのは、意外とわたしにとって
重要なのかもしれないと最近は思う。

ここにいる自分がつねに本当なのではない。
なにかにつねにあこがれがある。
自分以外のなにかすべてにあこがれる。
自分の好みの人が、なにかにあこがれているのを見たり聞いたりすると
全身でそいつになりかわりたいと思う。
なりかわれないのでこうやって文章を書いたりもする。
そういうこころの、ひとつひとつを言葉にして吐き出すことはあまりない。
いや、全然ない。
なりかわることはできないけれど、あなたにとってきっといいものになるから!と
思う。思いこむ。思いこむことでなりかわりたい気持ちを昇華する。
昇華するために言葉にはしない。

だからここにいる自分がつねに本当なのではない。
本当ってなんだろう。
考える前にうごける力のことか。
泣きそうになったり、会いたくなったり、反射的にうまれるはげしい感情のことか。
それらを自然にかくして淡々と役目をまっとうする割り切った態度のことか。
わからない、どれでもいいな、でもいつも本当の自分、自分の本当でいられることは
たぶんないから、いまだ!というときに本当のところを伝えられるこころの準備は
いつだって真剣にしておきたいと思う。

読了。
『ぼくは落ち着きがない』(光文社/長嶋有)
長嶋有の物語は、読んでいる間に終わりが見えない。
結末がわからない、という意味ではなくて、なんていうか、終わる感じがしない。
生きていて、この世界がいつか終わるかもしれないことをうまく想像できないように、
終わりを思わない。
だからめくるページがなくなるとあれっと思う。あれー、終わっちゃった。
うまく現実に戻れなくて、なにかがどこかが物足りないような、そんな気分で
物語を思いかえす。長嶋有、全部読んでいるけどどれもちがう。とどまらない。
カバーの秘密も含めて、そこをうまく愉しみたいところ。

聴講。
『小林秀雄講演【第一巻】文学の雑感』(新潮社CD)
おそるべき「おじいちゃん」の言葉だ。
はじまりののらりくらりとした、まさに「おじいちゃん」の口調から、
どんどん定まり深まって、「小林秀雄」の言葉になるその声の軌跡。
これは折にふれて聴き返すCDになるだろう。
小林秀雄の語る「歴史」がすごい。正直、「歴史」をこんなに面白そうなものだと
思ったことはいまだかつてなかった。

歴史は岩波文庫の中にあるんじゃない。
歴史はきみたちの心の中にある。
(小林秀雄)
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by mayukoism | 2008-06-28 01:43 | 言葉

向田邦子とさよならたち

ある日突然小さな包みが届いて、ひらいてみたら梅干しが
入っていたのでした。
差出人は1年まえに異動になった同僚。
何かしらメッセージがあるのだろうと、袋をひっくりかえして
ぱたぱたやってみたけれど、梅干ししか入ってない。

梅干し、あの、うれしいんですけど、なんで?
とメールを送ると、
近々手紙を書きます、本当は同封するはずだったんですが。
との返事。

今日その答えがわかった。

あまり人を尊敬したり、あこがれたりする、というよりそういうことを
声高に言うことをしないようにしているのですが、しいて言えばひとり。
向田邦子。
あの顔立ちと、あの人間くささと、うつくしい骨組みだけで
できているような小説と、ドラマのユーモア。そのうしろの暗闇。
あこがれ、というと少しずれる。
そんなに遠いものではなくて、ただあの人の意識をなぞっていたい。

彼女と向田邦子の話をなんどもした。
『家族熱』を朝の4時まで読んでいたことや、書かれた人も書いた人も
死者になってしまったときに読んだ『触れもせで』の不思議な淡さ、
口に甘栗をほうりこんでもらうこと、そのエロティシズム、マゾヒズムまで。

彼女の住む町で向田邦子展が開催された。
そこに「向田邦子の『う』の引きだしから」のコーナーがあり、「ハムとか
おまんじゅうとか」いろいろある中から、全部は買えないのでお財布と
相談して、梅干しを、「どうしてもプレゼントしたい気持ちがとまらず」
わたしに送ってくれたのだった。

手紙を書く
きみに宛てて書く
だが
ぼくが書く時
手紙を読む明日のきみは
まだ存在しないし
きみが読む時
手紙を書いた今日のぼくは
すでに存在しない
まだ存在しない者と
すでに存在しない者
とのあいだの手紙
それは存在するのか

〈『現代詩手帖1999年6月号 特集手紙』(思潮社)所収 「手紙」(高橋睦郎)より一部〉


この「手紙」という詩が好きで、ほとんどこれしか読み返さないのだが、
古い現代詩手帖を手放せずにいる。
全部抜粋したいのですが、長いので一部。
たぶんもう何かの詩集に入っているのじゃないかとも思うけど。

向田邦子をなぞりながら、彼女がわたしのことを思い出す。
思い出されているわたしは、思い出されていることなどつゆほども
知らずにあくびのひとつやふたつする。
わたしを思い出した彼女は、そのことを手紙と梅干し(!)にたくす。
彼女が封じた言葉がさまざまな時間を経てわたしに届く。
わたしは彼女が、わたしの知らないところでわたしを思い出して
くれたことを知る。
わたしがそれをありありと知るとき、でももうそこにわたしを思い出す
彼女はいない。
さよなら。
わたしたちはいつのまにか見えないさよならをくりかえす。
さよなら。
今はもう存在しないペン先へ意識を飛ばしながら。
さよなら。
そこからこぼれ落ちた言葉に意識をあわせながら。

やたらと大きい封筒の中には、向田邦子展のちらしも同封されていた。
まだ若いころの向田邦子のすました笑顔だ。
眺めながらスーパーで半額になっていた餃子をあたためて食べた。
さよなら餃子。
さよなら今日の日。
さよならあなた。
また明日。
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by mayukoism | 2008-06-15 01:06 | 言葉