乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


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カテゴリ:言葉( 44 )

黒岩さんのこと

冷えるので、夕飯はシチューにしようと思った。
近所の肉屋で鶏モモ肉を200g買った。
一口大に切りますか、と言われて、そういやスーパー以外でお肉を買うのは久しぶりだと思った。
おねがいします、と伝えて、光るガラスケースの中を見ていた。
黒岩比佐子さんの訃報が、携帯電話の画面から目に入ったのは、そのときだった。

黒岩さんの姿をはじめて目にしたのは、2009年3月に江戸川区立中央図書館でおこなわれた
「ノンフィクションのすすめ」という講演会だ。
それまでもお名前やブログは拝見していた。たまたま日曜日に休みがとれたので、
知人と聴きにいくことにしたのだ。
この日のことは、ブログ「空想書店書肆紅屋」にくわしく書かれている。
黒岩さんがお元気だったころの姿や言葉をいまたどるのは、すこしだけつらいけれど、
紅屋さんらしくすっきりとまとまっていて読みやすいので、いつかぜひ読んでください。

グレーのスーツを着ていらっしゃったと思う。
すらっとして、まっすぐに切りそろえた髪が肩の上で揺れて、きれいな方だと思った。
だれにでもとどく言葉で、やわらかに話をされた。
講演後、紅屋さんのブログにもある奇妙な喫茶店で、工作舎のIさんから黒岩さんの新刊の話を聞いた。
記憶の中でまだあざやかな黒岩さんの姿を反芻しながら、イベントぜひやりたいですねえ、と話した。

あれからまだ1年半しか経っていないのだ。

その講演で、黒岩さんの1冊目の著作である『音のない記憶―ろうあの写真家 井上孝治』を
めぐる話をうかがって興味がわき、角川ソフィア文庫で再刊されたときにすぐ購入した。
読後の感想を、少しだけ過去のブログに書いている。
この過去のブログを読みかえして、『音のない記憶』の感想として自分が書いている言葉が、
まるで黒岩さんそのものじゃないか、と思う。

やがて、黒岩さんのブログでは闘病記がはじまった。
そして、今年の6月になって工作舎から待望の『古書の森 逍遥』が刊行された。
あのとき話したとおり、自分の職場である書店でフェアを開催した。
黒岩さんは、Iさんといっしょにフェアを見にきてくださった。
何回か来てくださったのに、わたしが定休だったり休憩だったりで、なかなかお会いできなかった。
ようやくお会いできた、という感じで名刺をお渡ししようとすると、もういただいてますよね?と
黒岩さんがにこやかに言ったので、内心とてもおどろいた。

じつは黒岩さんとお会いしたのは、図書館の講演会が最初ではなかった。
それよりも前、岡崎武志さんと山本善行さんのイベントを企画したときに、黒岩さんはお客様として
来てくださっていたのだ。そのときに控室でごあいさつをした。
そのことをわたしは覚えていた。
でも、まさか黒岩さんが覚えてくださっているとは思わなかった。
それはほんとうに、ただごあいさつだけの短い時間だったのだ。

黒岩さんの本はまだすべて読んでいないし、歴史にくらい自分が黒岩さんの前に出て、
黒岩さんを愉しませるような話ができたとも思えない。
ただ、たまたま本をあつかう仕事に就いていたから、お会いできる機会がもてたのだと思っている。
けれど、こういうとき、本をあつかう仕事でよかった、とも思う。
自分が手にとって棚にならべるかぎり、本はそこにあり、言葉はそこで息をする。
何度でも棚に並べれば、何度でも本は息をする。
生きている。

黒岩さんのことをくわしく知る前に、黒岩さんていったいどんな方なんだろう、と思ったのは、
黒岩さんのことを語る人たちが、一様にとてもうれしそうな顔をするからだ。
「わたしの知っている黒岩さん」話を何度も、何とおりも聞いたような気がする。
お会いしてみて、そのわけがよくわかった。
わたしは黒岩さんを「あこがれの先輩女子」のように思っていた。
手のとどかない、それでもただ見つめていたい、近づきたいけど近づけない、あこがれの。

そうしたら、黒岩さんと、自分の出身中学が偶然同じであることを知った。
黒岩さんはほんとうに「先輩」だったのだ。
のっぺりとした郊外の田舎町を、黒岩さんも制服で歩いたのかと思うと、いまよりすこし
あの町を好きになれるような気もしたのだ。
そのことを、黒岩さんに伝えそびれてしまった。
もう、伝えられない。

今日は、昨夜のシチューをあたためて昼ごはんにした。
たまっている洗濯物を、2回洗濯機をまわして、干した。
今日も、びっくりするくらい昨日のつづきの今日だった。
4階のベランダで洗濯物を干しながら、ふと屋根の波間のむこうになにか見えるんじゃないかと目をこらす。
なにかはわからない。
でもこんなに晴れていて、雑司が谷の空がこんなに広いなら、なにか見えるんじゃないかと。
そうして、いつまでもわたしは黒岩さんのことを考えていたかった。
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by mayukoism | 2010-11-19 03:57 | 言葉

雨にぬれても

ある日、ご注文いただいた本の入荷連絡をお客様にさしあげたところ、
コール音で「雨にぬれても」が流れた。
とびはねる飛沫のような、軽快なリズムではじまるイントロを受話器ごしに聴きながら、
ふと、あることを思い出していた。



小学校5年か6年か、高学年の秋のことだったと思う。
かよっていた小学校は、学芸会と展覧会が毎年交互におこなわれており、その年は学芸会だった。
自分たちのクラスは、ジャズ好きの担任教師の提案で合奏をおこなうことに決まり、
その課題曲が「雨にぬれても」だった。わたしは木琴を担当することになった。
木琴の軽くてやわらかい音色が、どの楽器よりも雨の音に似ていると思った。

クラスごとに練習をかさねて体育館での本番、とてもいい演奏ができた。
担任教師からは当時、よく下の学年と比較されて自主性や協調性のなさを怒られたり、
嫌味を言われたりしていたのだけど、その日の演奏はクラスメイトの負けずぎらいが結実した、
まとまりのあるものになった。
演奏後のホームルームで、男性の担任教師の目がすこし光っていたのを覚えている。

さて、その「雨にぬれても」の演奏を評価されて後日、自分たちのクラスが学年代表として、
市の中央公民館でコンサートをおこなうことになった。
市の偉い人がたくさんきて、性能のいい集音マイクで録音もされるのだ、という話に教室はわきたった。
ふたたび練習をかさねて本番の日の午後、コンサートがおこなわれる公民館に向かった。

客席から見る舞台はスポットライトの白い光にあふれ、舞台中央の天上からマイクがまっすぐにおりていた。
あれがどんなに小さな音も拾ってくれるすごいマイク、間違えたらすぐわかるからな、
と担任教師が言い、生徒たちは笑った。
いま考えるとなぜリハーサルがなかったのかと思うが、到着したときすでに他校が演奏していたので、
カリキュラムの関係か何かで、午後からしか移動ができなかったのかもしれない。

自分たちの演奏の番が来て、舞台袖からバチを持って所定の位置に向かった。
自分の場所にある楽器を目の前にして、あっと思った。
いつもの木琴とちがう。
いつも弾いているのより、ひとまわり大きくて鍵盤の多い木琴が自分の前にあった。
目の中にスポットライトのオレンジがはげしく光った。

指揮者役の担任教師はすでに指揮台にあがっている。
ほかの生徒はみな楽器の前で、息をつめて指揮棒がふられるのを待っている。
いつもの楽器とちがいます、と言えなかった。
落ちつけ、鍵盤のつくりはそれほど変わらないはず、変わらないキーを叩けばまちがった音は出ない、
でもあのマイクがどんなに小さな音でもひろってしまう。自分がこの演奏をだいなしにしてしまう。

演奏のあいだ、わたしはなるべく木琴をつよくたたかないよう、弾いているふりをした。
クラスメイトの奏でる「雨にぬれても」が、まるで知らない曲のように聴こえた。
弾いているふりをしながら、あとで録音されたテープを聴いただれかにひどい演奏だと言われたら、
とくに木琴が聴こえないと言われたらどうしよう、とそればかり考えていた。
天上から降りたマイクがこちらをじっと見ているような気がした。

いま調べてみたところ、おそらく自分がいつも練習していたのは「シロフォン」というタイプの木琴で、
あの日、公民館の舞台に用意されていた木琴は「マリンバ」だったのではないかと思う。
もうたしかめようもないけれど。

演奏が終わってからも、だれにもなにも言えなかった。
ただ録音テープが消えてしまえばいい、と思った。なにかの事故で録音できなかったとか、
テープにおこしたら消去されたとか、なんでもいいからなくなれ、と願った。
たぶんあまりに思い出したくなくて、自分の記憶からもほぼ消えていたけれど、
「雨にぬれても」のコール音を聴いて、ふとあのときの感覚が大波のようにおそってきた。

トラウマになっていることもなく、一つ一つの出来事はすでに夢のように曖昧だけど、
からだ中の体温がすーっと地面におちていって、あとには冷たさしか残らなかった
指先の感覚はいまもちゃんと思いだせる。
「雨にぬれても」のコール音がやみ、留守電のアナウンスに切り替わった。
入荷の知らせをふきこみながら、今日も雨だからこのコール音にしたのだろうか、と考えていた。


このことはいままでだれにも言ったことがない。
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by mayukoism | 2010-09-30 23:54 | 言葉

怒りについての私的考察

「その人がなにに対して怒るかで、その人の大切なものがわかる」
というような内容のツイートを、pippoさんがtwitterであげていたことがあった。

怒るのは苦手だ。
怒る人をなだめる立場にいることが多いので、自分の怒りで場を乱したくない、という
気持ちが先に立つ。すこしくらいのことならがまんする。
注意することはある。
職場にいるときなど、間違った認識のアルバイトにそれはちがうと説明して正すことはある。
それは怒りとはちがう。

怒りというのはもっと、自分の全存在をかけてするひとつの表現であると思う。
これを伝えないと自分の存在がゆらぐ、というとき、どんな言葉が自分の口から心から
出てくるのか、正直自分にもさっぱりわからない。
でも言う。全身で怒っていると伝える。
それがわたしにとっての怒りだ。
そして、そんなたいそうなことはめったに起こらない。

twitterを眺めて、複雑な気持ちになることがある。
語られている主題がどうこうというのではない。
どちらかというと、主題の外側にいる何者かが、「~が「絶対善」だ」というような
発言をしているとき、あるいはそのふるまいについて、複雑な気持ちになるのだ。
その根拠がわからない。そしてたいてい一義的である。
必ずしもそこで語られている内容を否定したいわけではなく、
実体の見えない言い切りが信用できないのだ。

話は変わるけれど、むかし、とつぜん大学を休学して放浪の旅に出た友人がいた。
周囲は、彼がなんの相談もなくいなくなったことを怒った。
そして、よく彼の話を聞いていたわたしを、なぜひきとめなかったのかと責めた。
今という時期になにもかもリセットすることが、おそらく彼にとって意味があることを
わたしはなんとなく感じていたので、どうあっても自分は彼をとめなかっただろう、と
できるだけ丁寧に説明した。
長い時を経ていざ帰ってきた旅人は、周囲に何も言わずいなくなったことを、
なぜかわたしにひたすら謝った。彼らに悪いことをしたと悔いる言葉をくりかえした。

わたしはそのときはじめて、その相手に怒りをおぼえた。
それではまるであなたがすべての物語の主人公みたいじゃないか、と思った。そのまま言った。
そのときはじめてあっ、と思った。
これがわたしの怒りのスイッチなんだな、と怒りながら気がついた。

「絶対善」然とした発言はその発言者を主人公にする。
それ以外の世界をすべて脇役か、悪のように見せる。
事実そうなのかもしれない。けれど、その発言からはたいがい事実を読みとれない。
根拠なく、不当に舞台からつき落とされたと感じられる何かを、だれかを見たとき、
それをもたらしたものについてわたしは怒る。
それが知らない人であってもなくても、わたしはわたしのすべてで怒る。



でも、この怒りのスイッチのために、わたしが何を大切にしているのかは、
ちょっとまだよくわからない。
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by mayukoism | 2010-07-22 21:16 | 言葉

目でものを考える

視覚でものを考えている、と言ったらものすごくおどろかれたことが2度あって、
だからというわけではないけれど、そのおどろいた人のことをなんとなく忘れがたい。

視覚で記憶したり、思考することはごくありふれたことで、他人もそうしているのだと
あたりまえにおもっていたから、おどろかれたこっちがびっくりした。
視覚でなければどこで思いだしたり、考えたりするのか、と問うたら、
はじめの人は「しいていえば聴覚」と言い、ふたりめの人は「言葉」と言った。
へえええ、とあたらしい生きものを見るように目の前の人をおもった。

はじめの人は小説を書く人だったが、散文なのに耳にここちよいライムを聴いているような、
軽やかな文章を書いた。

ふたりめの人は本をたくさん読む人で、修学旅行にいちども行ったことがないという人だった。
中学校で参加せず、高校の時は事前に先生から「お前は行かないんだろ?」と言われ、
はい、と答えたら、そのまま参加しなくていいことになった、と言った。
修学旅行に行かなくてすむ年齢になってから会ってよかった、とおもった。

言葉も記憶も思惟も、わたしの場合はすべて視覚からはじまる。
今日のくもり空を見あげて、その灰色のグラデーションが一枚ひらりと前頭葉にはりついた。
なにが気になるのかわからない。なんどもその一枚をめくる。
めくっているうちに、またほかのイメージがあらわれては、消えていく。



いくら考えても出てこない正答。(試験中のほおづえ)
だれかがさっきまでここにいたらしい体温のあわさ。(日のあたる電車のシート)
だれひとりこちらを見ない雑踏の背中のかさなり。(池袋東口)
晴天より老成してこころが広そうだ。(高校の時に好きだった倫理のマルヤマ先生の背広)




ひとりよがりなイメージも、見えた景色になんとなく近そうなイメージも、
いっしょくたに頭のなかでくるくるくるくるこねまわしていると、
なんとなくひとつの言葉に落ちていく、フェイドアウトみたいな時間がくる。
落ちた言葉をつぶやいてみる。




曇天に指をさしいれてみる。




そうか、あの雲のかさなりの隙間に指で触れてみたかったのだなあ、と言葉になって
はじめて気がつく。そうやって思考はすべて視覚からはじまっている、のだけれど、
ごくたまにまったく別の経路で、わけもなくなにかをつよく思い出すこともあって、
こないだ勤務中にブックトラックの上で、裏表紙に貼られた取次会社のシール
(すぐはがれます)をはがしていたら、身体の中いっぱいに海の味がひろがったことがあった。

やわらかい冷たさ、もぐったときのはてしない暗さ、口のなかで消えない潮の辛さ、
浜辺の遠さ、太陽の白さ、それらすべてがとつぜんあざやかに身体をとおりぬけたとき、
海を見に行くことはあっても入ることはもう全然ないから、
なぜそんなことを思い出したのか自分でもよくわからなくて、
ただどこにもない想像の浜辺で、シールをはがした本を棚にかたかた並べながら、
子どものころの自分を沖に向かって走らせてみた。
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by mayukoism | 2010-05-19 16:18 | 言葉

詩の触れかた

アメリのような顔立ちの背の高い少女が、書棚の前でぼんやりと本を並べていた
わたしのかたわらにいつのまにか立っていて、現代詩文庫の『永瀬清子詩集』を見せた。

英語?フランス語?と話せないくせにいっとき身構えたが、彼女は流暢な日本語で、
キヨコ・ナガセのきつねの詩をさがしている、タイトルはわからない、と言った。

ネットで調べるとすぐに「古い狐のうた」という詩が出てきたので、詩文庫をめくったが
この詩は収録されていない。

店頭にある本のなかでこの詩を収録しているものが、アンソロジーでもないだろうか、と
手あたりしだいさがしてみたが、見つけることはできなかった。

結局、「古い狐のうた」が収録された『あけがたにくる人よ』を注文していただくことになり、
伝票に連絡先を書いてもらった。彼女はカタカナで自分の名を書いた。

余談だけれど、外国の方に連絡先を書いてもらうと、「7」の数字にはかならず
おそらく「1」と見分けるための短い棒線がひっぱってある。「7」。こんな感じ。
あの棒線を見るのがすきだ。

伝票の控えをわたすと、彼女は『永瀬清子詩集』をカウンターに置いたので、
買わなくていいのかと聞くと、これは持っている、と笑ってエスカレーターを降りていった。

7」がすきなことに理由をつけるなら、棒線一本の余剰が「あなた」と「わたし」の遠さをあきらかにしながら
そこにメッセージを感じられることと、単純に見た目をかわいいと思うから。

『永瀬清子詩集』をめくってみる。母語ではない言語の詩は、彼女のこころのどこに
どんなふうに触れたのだろう。たぶんわたしとは違う触れかたで、触れたのだろう。

めくっていたら、書き出しに惹かれて読んだ詩にこころが落ちた。恋、というものが
瞬間冷凍されたらきっとこんな一連になる。冷たくて熱くていずれにしても傷ができる。


仕事にかかろうとあなたが上衣をお脱ぎになった時
私には脱ぐと云うことの美しさが
突然はっきりわかりました。
あなたが焚火に踵をおかざしになった時
人は無限の曲線から成ることを
そして踵は心を無限に導くことを
あたらしく私の眼に彫りつけました。

(『現代詩文庫 永瀬清子詩集』(思潮社)所収「見えるものの歌」より一部)



アメリの彼女はこれをどんなふうに読むのだろうか、とまっすぐだったまなざしを思いながら、
いままで読むことのなかったこの詩を閉店後の店内でこっそりと書きうつした。
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by mayukoism | 2010-05-12 16:30 | 言葉

さみしさの深度

「悲しい」は表現世界においても権威があるけれど、「さみしい」は二流の扱いを
受けている気がする、と作家の川上未映子さんがある雑誌の連載に書いていて、
なるほどなあ、と思いながら、平日の美容院で髪を切られていた。
川上さんはさらに、「海辺の家々が潮風に傷んでゆくように心がじわじわとやられている」、
「よくわからないけど異様にはっきりした感情=さみしさ」を「慢性淋心炎」と
名づけていて、これはいいエッセイだなあ、と思ったのだけど、美容院で読んだのを
ざっとメモしただけで手元にその雑誌がないので、細部はまちがっているかもしれません。
白いサテン地のうわっぱりに、さっきまで自分の髪だったものが、するするすべっていった。



自分のさみしさはよくわからないくせに、他人のさみしさはときどき見える。
さみしさ、という感情を思うとき、胸のうちにひらける夜の空がある。
その空にはいくつかの光が点在して、あれは何座これは何座、と指先で光をつなげるけれど、
つなぐ指先がなければ、光はただそれだけのものだ。
つながらない、単体の、つながりたい、光る、とおい、見える、触れたい、手を伸ばす。
その、光に手を伸ばす腕の距離のことを「さみしい」と思う。
暗い空にうかぶまっすぐな白い腕は、いつも光にだいぶたりない。



さみしさは「いつもならしないこと」を平気でさせる。
さみしさは「ほんとうはいけないこと」をうっかりと言わせる。
さみしさの想像力ははてしなく深く、想像したさみしさにいつのまにか自分がからめとられている。
行動と行動のすきまの空に、他人のさみしさがぽっかりくりぬかれて見えたとき、
「あの人」のさみしさの形をただこの目に映しながら、
毎夜、枕元でおやすみなさいを言って、布団をぽんぽんとして、額に手をあてて、
眠るまで顔を見ていることができないのなら、たぶん手をのばしてはいけないのだ、と思う。



つながらないからさみしいのか。
つながりたいからさみしいのか。
生まれたときからさみしいのか。
死んだらその人のさみしさはどこへいくのか。
さみしさは形を変えやすいし、言葉になりにくいから、こころの準備もないまま
ふとのぞいてしまったさみしさが、おどろくほどの深度で見えることがあって、
自分の傲慢さに、ふいに頬をはたかれたような気持ちになる。







★お知らせ★
わめぞblogに「雑司が谷白想」の5回目がアップされております。
こちらも読んでいただければほんとうにうれしいです。

わめぞblog「雑司が谷白想」5
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by mayukoism | 2010-05-05 16:14 | 言葉

後日

降りたことのない駅で待ち合わせした。
改札前にはだれもいなかった。
駅前の公団住宅のまんなかに、クレーターのようにひらけた公園があり、
そこで香典袋の表書きを書いた。うまく書けた。
ふたたび改札に戻ると、知った顔がいくつも集まっていた。
会えばみな久しぶり、と笑った。
電話して、彼のお母さんに迎えにきてもらった。
現れたお母さんの姿を見て、似ている、と思った。
こんなに大勢来ていただいて、とお母さんは言った。
黙って、エレベーターが来るのを待った。

案内されたのは、とても小さな部屋だった。
去年引っ越したのだとお母さんは言った。
女の子はスリッパを履いて、とお母さんが忙しく動きまわっていた。
テーブルの上にあふれそうなほど、お寿司やビールがのせられていた。
集まった10人が、仏壇の前に一列に並んだ。最後に並んだ。
仏壇の脇に仏頂面の小さな写真があって、なんだか顔色が悪いなと思った。
最近ではなく17歳のころの写真で、太宰の真似をして撮ったのだとお母さんが言い、みな笑った。
椅子が足りなくて、洗濯かごを逆さにした上に座布団を敷き、Eくんが座った。
お母さんがしきりに謝っていたが、こういうときのEくんはとてもタフでさわやかなので、
むしろこちらのほうが高さがちょうどいいというか、などと言ってまたみなが笑った。

雑司が谷白想4を書いたとき、彼がなぜ亡くなったのか知らなかった。
その日集まった学生時代の仲間の、だれも知らなかったのだとそのとき知った。
彼が学生当時からあまり眠らないことも、夜中に頻繁に電話をかけてくるので困っている、
という話も、一昨年くらいからいくつか聞いて、知っていた。
Kが死んだ、と電話口で言われて、とっさになんで?と聞いていた。
わからない、とその人は言い、その答えで、聞こうとする気持ちは少しもなくなっていた。

お母さんが話しはじめた。
亡くなる何日か前に電話がきたこと。
外食して、パスタを食べすぎてお腹をこわしたから病院に行くと言っていた。
病院では抗生物質を注射されたらしかった。
財布からレシートが出てきた。池袋でCDを何枚も買って、電気屋にも行って、
たぶん満足して帰って、眠れないからいつもの薬を飲んで、ついでにウィスキーを飲んで、
そしていつもは体内にないはずの抗生物質が入っていたからなのか、そのまま起きなかった。
担当のケースワーカーから連絡が入って、そこではじめて見つかった。
たくさん調べて、たくさん確認して、自ら死のうとしたのではないとわかって、
死因は「不詳」となった。

きっと、この場に入りたいでしょう、とお母さんが言った。
それは絶対にそうだ!とだれもが一様にうなずいた。
授業には出ないくせに、部会のある金曜日の夕方にはかならず部室にいて、勝手にはしゃいでいた。
どんなに少ない人数でも彼はいて、なにがおもしろいんだかわからないネタで笑っていた。

そのうちに彼のお父さんが仕事から帰ってきた。
帰ってくるなり、みなさん!お酒が足りないでしょう!わたしが買ってきますから!
とまだ空いてないビールがたくさんあるのに言った。
お母さんがとめるのもきかず、いいんだよみなさん若いんだから、すいませんね、
ほんとうにこいつは気がきかなくて、と早口につづけた。
だれもがあっけにとられて、うたれていた。
この声の大きさといい、このよくわからない押しの強さといい、あまりに彼に似ている。
Kがいる、とだれかが苦笑しながら言った。こらえきれずに笑った。

大学の合宿所が葉山にあって、夏休みにはそこで合宿という名の徹夜飲みをするのが恒例だった。
その葉山の写真をずっと大切にしていました、とお母さんが見せてくれた。
ねらいのわからない、なんでこんなのをとっておいたんだ、という写真がいくつも、
アルバムに入っていた。
卒業してから何回も、また葉山に行きましょうよ、と彼は言っていた。結局行けなかった。

深夜、だれもそのまま帰ることができずに、電車で少し移動して居酒屋で飲んだ。
おれ、なんかもっとあいつにできたんじゃないかと思うんだよね、と一人が言った。
それに対して、そういうことは言うべきじゃない、と一人が怒った。
いや、発言をとめる権利はだれにもないし、たぶんKはこういうの好きだと思うよ、と
別の一人が言った。
要するに、ほんとうに面倒くさい集団だった。
ひとりとして「社会」に適応できない、情熱だけがくるくると頭上にまわっているような、
面倒な集団だ、このひとたちも、わたしも、いまも。

あとで、お父さんから預かったという彼の卒論が一斉に送信されてきた。
本もCDもほとんど処分してしまったというので、形見わけだと思って読んだ。
卒論は、全編がFISHMANSについて書かれていた。
彼は、佐藤伸治と同じ年齢でこの世界からいなくなってしまったのだということに、
そのときはじめて気づいた。
賞をとってからたぶん、シナリオはそれほど書いていなかったはずなのに、
やっと形になったのがこんなシナリオではベタすぎる。
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by mayukoism | 2010-03-03 15:51 | 言葉
むかし倒産した書店で、いっしょに働いていた女の子たちと会う。
倒産して、べつべつの勤務先で働くようになってからも、定期的に会っている。
わたしはその町を出てずいぶん経つけれど、彼女たちはまだ本屋のあった町に住んで、
その町で子どもを生んだり、二世帯住宅に迷ったりしている。

久しぶりに会って、なんかおもしろいことあった?と聞かれる。
おもしろいこと、たくさんある。
頭の中を圧力なべのおもりみたいなものが、しゅーしゅーくるくる回りだして、
おもしろいことを次々にピックアップするけれど、
そのどれもを話さないまま、笑う。
現在の書店業界がどれほどあいかわらずか、や、最近読んだ本がいかによかったか、や、
それもたしかに「おもしろいこと」なんだけど、たぶんいちばんに話したいことではない。
それでもそれはかなしいことではない。

いま、自分の身の回りにあることを、ひとつひとつ順をおって説明すれば、
まちがいなく彼女たちはわかってくれるだろう。
そうやってかつてはいっしょに働いて、いっしょに店がしまるのを見届けたのだ。
でもそれを話さないのは、彼女たちの知っている自分と、いまここに暮らしている自分が、
ほんのちょっとちがうからだ。
ほんのちょっとちがう自分を、ちがうままで走り回らせたい。
すべての円がまじわらなくてもいい。
彼女たちが知っているわたしは、彼女たちにあまえることを遠まわしにゆるされている。
ここではただ、その空気にあまえていたいと思うのだ。

だから彼女たちはこのブログのことも「わめぞ」のこともたぶん知らない。
畠中さんがヘーゲルに謝りたがっていたことも、
ここのところポッドキャストで、TBSラジオの「ストリーム」を聴いていることも知らない。
まじわらない円の内側で、さんざんあまえて頭をからっぽにして、また来月に、と別れて、
夜中、ひとりでもういちど「いちばん話したいこと」を考えてみた。
そうして、ぽつりと残ったのが、このことでした。

わめぞblogで連載させてもらっている「雑司が谷白想」4回目更新されました。
今回はこれまでとたぶんちょっとトーンがちがいます。
もしよかったら、読んでみてください。

わめぞblog「雑司が谷白想4」


こちらが更新されていないときはときどきtwitterに。

http://twitter.com/komayuko
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by mayukoism | 2010-02-19 02:58 | 言葉

ある午後のこと

何枚服をかさねても、冷たい膜が全身にくっついてはなれないような寒い日で、
午後、立ち食いの豚天そばを食べて知人を見送ったあとに、部屋に戻って
もう一枚服を着てから、「雑司が谷白想」の最後のパラグラフを仕上げた。

3行書いて息が出来なくなって15分休むような、この全力疾走すぎる原稿の書き方を
どうにかしなければいけないと思いながら、一文一語を精査するように読みかえす。

これ以上の文章はいまはもう書けない、と思ったところで推敲をやめて、
古書現世の向井さんに原稿を送信した。
リュックを背負って部屋を出て、返却期限の切れた本を図書館に返し、
雑司が谷をまわって、開店したばかりの「ひぐらし文庫」に寄った。

テーブル席には女性がふたり座っていて、ひぐらしさんと話をしていた。
おしゃべりが小さな店内の本棚や、床板や、カーテンの向うにちらりと見えるシンクに
ころころとかろやかに転がってひびいた。人肌のここちよさが空間に満ちた。

twitterでつぶやいたことを伝えると、ひぐらしさんはすぐに気がついてくれた。
ひぐらし文庫では織田作の文庫と、かわしまよう子さんのミニコミを購入した。
ハルミンさんが『すばる』の短期連載で紹介していたのを見てから、
ぼんやりと探していたので、見つけられてうれしかった。

ひぐらしさんでいただいたハートのついたチョコクッキーをほおばって歩いていると、
花びらのような雲が空にはりついていた。
雲を見ながら歩いていると、割烹屋までの道を聞かれたので店の前まで案内した。
いまだに鬼子母神周辺の道案内に自信がないので、自分の目で見て確かめたかったのだ。

スーパーの前で、親子が「足じゃんけん」をしていた。
向井さんからメールが来て、すぐにアップする、と言ってくれた。
携帯電話を閉じて、一週間に一回だけ帳場に入らせてもらっているポポタムへ向った。
街の縁が染めたように蒼くなっていた。

そんなふうにして書いた「雑司が谷白想」の3回目がわめぞblogにアップされました。
わめぞのニューヨーカー、武藤さんについて書きました。
よかったらのぞいてみてください。
今年は1ヶ月に1回のペースを守れるよう、努力します。


乃木繭子「雑司が谷白想3」


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by mayukoism | 2010-01-14 02:00 | 言葉

WALKING IN THE RHYTHM

Fishmans佐藤伸治はかつて歌った。

歩くスピード落としていくつかの願いを信じて
冷たいこの道の上を 歌うように 歌うように歩きたい


それは『WALKING IN THE RHYTHM』という歌で、わたしは22歳だった。
この身体にいまは血がながれていてあたたかいように、
この詩はそのときの自分のすみずみまでゆきわたった。
ゆきわたる、と変換するまでもなく、聴いたそばからそれが呼吸なのだった。

お茶の水駅から明大通りを下るとき、よくこの歌が頭の中で流れる。
歩くスピードを落として、いくつかの願いを信じて、歌うように、歌うように歩く。
それが、奇跡にかぎりなくちかいリズムであることを、いまはおもいながら歩く。

自分にながれているリズムのことをときどき考える。
すごくゆっくりだ。
うごいてる?ちゃんと息してる?とおもうほど、ゆっくりだ。
はやい人にあこがれる。はやい人の背中を見ている。
はやい人の背中が見えなくなったところが、わたしの地平線。
地平線とはたどりつかないもののこと。

地平に眼をこらしながら、いったいどこまで行けるだろう。
書きだして、ふと思い出して、Fishmansの歌を久しぶりにCDできちんど聴いているけれど、
生きるために必要なやさしさがあるとして、そのやさしさにはこんなに種類があると、
そのやさしさにはこんなにもたくさんの景色があると、
佐藤伸治の詩がいまもわたしにおしえるのだ。
このリズムで行くしかないのだ。

走り出したって追いかけないというやさしさもあるのだ。





君の一番疲れた顔が見たい
誰にも会いたくない顔のそばにいたい

それはただの気分さ それはただの想いさ

Fishmans『それはただの気分さ』

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by mayukoism | 2010-01-06 02:11 | 言葉