乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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カテゴリ:言葉( 44 )

向かいの喫茶店は、すでに閉まっていた。
が、Tさんはするりと店内にはいり、赤いソファにわたしたち4人を腰かけさせた。
カウンターには、さきほど立ちよった際にさんざんからんできた灰色の背広の青年と、
黒いジャケットの紳士が、ならんで腰かけていた。
酔いがさめたらしい青年は、とおくですこし照れ笑いをした。
ソファのうしろには、ストライプのシャツを着こなした、杖の老紳士が、
レンガの壁を背にふかく腰かけていた。そのうち横になった。
Tさんのリクエストで、店長のNさんがはっぴいえんどをかけた。
レンガに水がしみこむように、歌が空間にしみこんでいった。
空気に旋律が、白く、あわくうかぶのが見えるようだと、途中でなんどか思った。


向かい合わせの喫茶店は、互いに行き来がある。
お皿を借り、調味料を借り、店を閉めたあとは今日の様子を尋ねたりするのだという。
先日、そこで働いていたある女性が亡くなったことを、わたしはTさんのツイートで知った。
女性が書いた2冊の本のタイトルは、書店員である手前、耳にしていたが未読だった。
今日は、その女性を偲ぶ個人的な、小さな集まりだった。
わたしと同居人は、その方にお会いしたことがない。
が、Tさんにさそわれなんとなく、というほどのたよりなさで、おじゃましていた。


偲ぶ集まり、といっても、ほとんどは日常の、あるいは知り合いの話題に終始していた。
ときどき思い出したように、Tさんが彼女の話をした。
わたしはTさんの言葉の断片と、紙にのこされた彼女の言葉をめくりながら、
会ったことのない、けれどもどこかでおそらくすれ違っている、そしてもう会うことのない、
ひとりの女性について、想像した。
Tさんのボトルがテーブルにふるまわれ、金色の液体が各々のグラスを揺らしたとき、
Tさんが発した彼女の名前にかぶせるように、カウンターのほうから、
「もう死んだ」
という一言が飛んだ。


その一言は、一瞬にして閉店後の喫茶店の店内を、原色で満たした。
原色で、頭をなぐられたような気分だった。
だれひとりその発言に触れないまま、しかし息をのむような静けさがつかのま走り、
とまった時間をふたたび動かすように、やがてTさんは話をつづけた。
わたしはそのとき、彼女を知らないままここにいる自分を悔いた。
いまここにいるだれより彼女が、ここに「いる」と思った。


その後も入れかわり立ちかわり人がおとずれ、去っていった。
杖の老紳士は、ジャケットを羽織らせてもらったのち、ゆっくりと出ていった。
灰色の背広の青年は、向かいの喫茶店の女の子と出て行ったように見えた。
はっぴいえんどはすでに終わって、Nさんの力づよい「閉めます」の一言で、
店はほんとうに閉まった。
暗くなった店内は、終演後の舞台のようだった。
死の反義は言葉だとわたしは思っていて、わたしはきっと死なせないために、
今夜のことを書くだろう、書きながら現実の今夜にとても追いつけないことを、
きっとすこし絶望するだろう、と思いながら、偲ぶ人たちと並んで、駅へ向かった。
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by mayukoism | 2012-06-09 03:58 | 言葉

川をわたる

お茶の水橋をわたる。
朝なら丸ノ内線を降りた人々と、中央線を降りた人々が橋の上で交差する。
雨の日は傘が触れあう。舌うちは聴こえないふりをして歩く。
神田川は、ゆっくりと動く。流れ、というよりは風にゆらめく縮面のように、動いている。
アーチ型の聖橋のむこうに、玩具のような小さな橋が見える。
小さな低い橋の上を、赤いラインの丸ノ内線が行きかう。
地下鉄が、クロールの息つぎのように、わずかに地上に顔を出す時間だ。
わたしは、神田川をわたる丸ノ内線を見るのが好きだ。


雑司が谷に越してから、ずっと丸ノ内線で仕事にかよっている。
始発である池袋駅から乗車し、御茶ノ水駅で下車するので、神田川をわたる丸ノ内線は、
いつだってお茶の水橋の上から眺めるだけだ。
憂鬱な朝も、気あいの入らない昼も、小さな丸ノ内線を見やりながら、お茶の水橋をわたる。
わたりながら、会社員、というカーディガンをとりあえずそっと羽織っている。
川のうえの空はひろい。
とおくに電気街の看板の群れがあり、背中に病院の窓の羅列を感じる。
カーディガンは暑くなればいつでも脱ぐ。そうして今日も玩具のような丸ノ内線が橋をゆく。


だから、ごくたまに神田川をわたる丸ノ内線に自分が「乗る」ときは、すこし身構える。
あの、お茶の水橋の上から見る息つぎに、いまから自分が登場することが、頭の中でうまくなじまない。
乗車していると、川をわたる時間というのは、あっという間に終わる。
斜め上の中央線の車両と、縮緬の川面にはさまれて、窓の景色がプレスされていく。
慣れない景色に、いま丸ノ内線で川をわたるわたしのほうが空想で、
ほんとうの自分は、ぼんやりとお茶の水橋を歩いているのではないか、と思う。
物語の中の登場人物ってこんな気分なのかもしれない。


やがてシャッターを切るように暗闇がおとずれ、丸ノ内線は地下に入った。
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by mayukoism | 2012-05-26 03:42 | 言葉

しかるべき場所

深夜に放映していた「ARTはアーホ!」(フジテレビ)という、絶望的なネーミングの番組を
ぼんやりと観ていた。
「現代アート」と呼ばれるものをまず疑ってかかってしまうので、かなり冷めた心持ちで
眺めていたのだけど、ひとりだけ、「回転アーティスト」として登場した方の、高速回転する「桃」と、
碁盤の上でふたつだけ高速回転している碁石、という二つの作品はおもしろいな、と思った。
高速回転なので、凝視しないと桃も、碁石も静止して見える。
桃は静物画のような構図(と言ってもテーブルに三つ並んでいるだけなのだけど)で、
回転することで静物画に「動き」が生まれ、「時間」が生まれる、というような説明だった。
ただ、それが「アート」なのか、と言われるとよくわからないし、そもそも「アート」って何だ、という
ありがちで壮大な流れになるとおおごとなので、そっちにはいかないことにして、
番組で紹介されていたような「作品」群が、いったいどのようなかたちで「アート」と見なされ、
だれによって「アート」と認められたのか、制作者もすばらしいが、おなじくらいそれを
「アート」と名づけ、ひろめてみせた人もすごいのではないか、と思ったのだった。


2012年上半期、自分の中で衝撃的、と言ってもいいくらいの出来事がはやくもふたつあって、
ひとつは五つ葉文庫のごっぱさん=古沢和宏さんによる『痕跡本のすすめ』(太田出版)の登場、
もうひとつは古書往来座に勤めるマドンナ店員、のむみちさんによる「名画座かんぺ」の創刊である。


ごっぱさんはわめぞのイベントの打ち上げで何度かお会いしていたし、「痕跡本」についても
すでに周囲ではひろく認知されていた。
機関銃のようにしゃべりまくる痛快なキャラクターと、ハットの似合う「貴公子」然とした見た目の
ギャップが素敵で、わめぞをとおして出会った数々の強烈な人物のうちのひとりであった。
『痕跡本のすすめ』が刊行されると聞いたとき、勤務先の書店でも置かなければ、と思い、
営業担当の方を呼びつけて(!)、配本をお願いした。
自分の感覚よりも、正直にもうしあげてすこし多めの希望数で注文した。
それはひとえにごっぱさんを個人的に存じあげていたからで、すこしでもお役に立てれば、と
思っただけのことだった。
まさかこんなに注目される本になるとは思っていなかった。予想以上だった。
おもしろい、けどこれはどんな人が買うんだろう、古本好きともまた違うだろうし、と思っていた。


のむみちさん、は古書往来座のブログ「往来座通信」内で、のむみちさんが観た映画を
紹介する「のむみち通信」がもともと好きで、現実ののむさんからもあふれる朗らかさと聡明さが
奇跡的なくらい心地よくまとめられたこの文章は、おそらくもっと広い場所に出ても、
十分に需要があるだろうなあ、と思える質のものだった。
やがてのむみちさんは、北條一浩さんが編集長をつとめるフリーペーパー『buku』にて
映画の連載を開始するのだけど、終刊のためあえなく終了してしまった。
それからしばらくして、彗星のように「名画座かんぺ」が登場したのだ。
「名画座かんぺ」は、いわゆる「名画座」と呼ばれる映画館6館の1か月の上映スケジュールを、
のむみちさんが手書きで!書きしるし、往来座店長の瀬戸さんが版画で表紙を刷り、
そのペーパーをコピーして、8つ折にしたものをなんと無料で配布しているのである。
この「名画座かんぺ」はTBSラジオの人気番組「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の
名画座特集にて紹介され、みるみるうちに注目の的となっていった。


わめぞ、の周りにはとにかくいろんな才能のある方がいて、文章や写真や絵や音楽や、
そういったものを生業、あるいは副業にしている方も多い。
そういった方々が精神をはりつめてはりつめて、「仕事」をなしとげようとしているのを見てきた。
それはすごく正しいことだと思う。
そうでなきゃいけないと、いまも思っている。
が、それだけでは足りないのだ、ということをごっぱさんの『痕跡本のすすめ』と、
のむみちさんの「名画座かんぺ」の登場によって、かなり痛烈に感じた。
才能を、しかるべきやり方で、しかるべき場所に「届ける」こと、それもひとつの「才覚」で、
「仕事」のひとつなのだ。


たとえば「名画座かんぺ」は、プロがPCで打ち込むことなんていくらだってできるだろうし、
そうしたサイトを作ってHPで紹介すればそのほうがはやい、そんなことだれだってわかる。
でも「名画座かんぺ」はあの形でなければ、こんなに注目されることはなかっただろう。
映画にくわしい人だってきっといくらでもいるのだろうし、映画館の人がつくることだって
できたはずなのだ。
でも、「名画座かんぺ」を作ったのは、古本屋ではたらく映画好きののむみちさんで、
のむみちさんはそれを手書きで作成することを選んだ。
たぶんそれがのむさんの考える「仕事」で、それ以外のむさんは考えていないだろう。
そして、「名画座かんぺ」は、もしかしたらのむさんが想定していたよりもずっと遠くに
「届いて」いった。


痕跡本にしろ、かんぺにしろ、そんなふうに、もともと自分の知っていた人たちの「才能」が、
さまざまな人たちの手によって、するすると引きあげられて遠くまで飛んでいくのを、
間近でつぶさに見ていて、ああ、こういうことなんだなあ、と思った。
こうやって人は表に出ていくのだ、と月並みな言い方だけど目からうろこが落ちるように知った。
しかるべき才能を、しかるべき場所に。
当人がなにを目指すかにもよるかもしれないが、「努力する」「がんばる」「根をつめる」だけでは
届かない場所が、どうしたってあるのだ、と思ったのだった。
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by mayukoism | 2012-05-05 23:51 | 言葉
吉本隆明がいなくなった日


交差点ではいさかいがあり
白い靴下の見える担架が
救急車にのせられていった
横断歩道で警官と対峙した
黒っぽいネクタイの男に
見おぼえがある気がしたが
ふりむかずにあるいた



吉本隆明がいなくなった日


白杖の男性が車道に向かい
あぶない と思ったところで
杖のないほうの手をあげた
空車の赤い文字は3つ過ぎた
ふりむくと男性は停まった車と
すこし長めの会話を交わし
後部座席にすいこまれていった



吉本隆明がいなくなった日


中華屋の看板に黄色の電飾が走り
カウンターでラーメンをすする
女性がむかしの同僚に似ていた
むかしの同僚は北のほうで昇進して
課長代理になったから
別人だということはわかっていた
中華屋の閉店時刻は午前2時だった





思想家がひとりいなくなるということは
大きな夜のようだと思った





大きな夜からのがれるため夜は
明るくなるのかもしれなかった





本屋ではたらいています でも
『共同幻想論』は読んだことがない
『言語にとって美とはなにか』は読んだが
なにが書かれていたかおもいだせない
それでも追悼の文字をかかげて
明日またあなたの本に触れる
棚をつくる、ということは なんて
孤独な作業なのだろうと思いながら
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by mayukoism | 2012-03-17 03:59 | 言葉

T君への手紙

つかのまの雨が、それぞれの夜を冷やして通りすぎていきました。
元気ですか。
わたしは元気です。
とくに変化といえるような変化もなく、あいかわらずのリズムで日々を過ごしています。

もうすぐ36になります。
驚くのにも、嘆息するのにも、笑い飛ばすのにも、
とっくにあそび飽きてしまった風船のように、ただ手の中でもてあそぶしかない、
自分の年齢をそんな感覚でとらえています。
変化といえば、お酒には弱くなりました。
量を飲むと眠くなるので、味わうようにゆっくりと飲むようになりました。
地震の前日は休みで、新宿で同居人とそんなふうにお酒を飲んでいたような気がします。

震災のあった3月11日は勤務中でした。
14時過ぎから休憩に入り、近くのドトールでいつもどおりチーズトーストを注文して、
1階窓際のカウンター席に座っていました。
揺れている、と思いました。
弱い揺れがながくつづきました。
クレッシェンドのように同じ波動の揺れが、どんどんなにかを巻きこんで、強くなりました。
窓の向こうのビルが、こんにゃくのように震えていた。
入社1年目の新人社員しか売場にいないことを思い出し、食べかけのチーズトーストをそのままに
小走りで売場に戻りました。
エレベーターは停まっていました。
すれ違ったアルバイトさんに、声をかけながら上階へ階段で向かいました。
売場は、上段の本がなんの規則性もなくほとんど落下して、狭い通路をふさいでいました。
長く働いていますが、本屋でははじめて見る光景でした。
それでも本を探しているお客様(!)の問い合わせに息切れしながら答えつつ、
非常階段からの退店をお願いしました。
従業員もすべて外へ避難しました。

もう、思い出す人も多くないと思いますが、この国の震災の前月にニュージーランドで
大きな震災があり、日本人留学生が多数亡くなりました。
わたしはなぜか、この震災のニュースから連日、目をはなすことができませんでした。
目的と希望を持って、家族のもとを離れて旅立った若い人々が、異国の地で天災により命をおとすということ。
これはいったいだれの、なんのせいなのか?
まずわたしが思ったのはそれです。
だれのせいでも、なんのせいでもないことはわかっています。
でもなぜ「たまたま」外国語を一生懸命勉強しようと思った人々が、
「たまたま」留学先にニュージーランドを選んだために、「たまたま」震災にあい、
「たまたま」そのときにいたビルが倒壊し、「たまたま」命を落としてしまった。
「たまたま」の犠牲があまりに大きすぎることが、自分のなかで処理できなかったのです。

そんなとき、図書館で見つけた本がありました。
佐々木美代子『記憶の街 震災のあとに』(みすず書房)という本です。
前日まで神戸に帰省していた著者が、東京で知った阪神大震災を
「半ば当事者半ば目撃者として、つまり半被災者という曖昧な立場」に立たされながら、
見つめつづけた記録でした。
この本に印象に残った一節があります。

天災はこんなふうに、人の生に、容赦なく、なんら加減することなく、全く不躾に、押し入ってくるのだ。
いくら他の事柄で充分、苦しみや悲哀のさなかにあろうが、無関係に突如襲いかかって来る。
天災だけは、とりわけ地震だけは、取り付く島のない暴君のように、この地上で何の前触れもなく
不意にひと暴れし、その後はしんと取り澄ましている。人々が各々味わう幸不幸のそれなりの程のよさ……
なんて、人間の勝手な思い込みであって、現実は、この世界は理不尽そのもの、予測不能そのもの、
苦難や悲しみの質量は不公平そのものだと、今更に認識させられる。


読んでみればあたりまえのことですが、わたしはこの一節を読んで、ようやくなにかが
腑に落ちた、ような感覚をおぼえました。
この世界は人間の意識などはるかにこえて理不尽で、不条理なものだということを、
言葉ではじめて理解したように思いました。
もちろん、理解したところでここから先には一歩だってすすめません。
たとえば実際に天災が起き、身近なだれかに被害がおよんだとき、
「この世界は不条理なものだから…」と自分自身を納得させれらるかと言えば、そんなことは
できないにきまっています。
ただ、自分のなかで沸騰したまま処理できなかった感情を、とりあえず引き出しにしまうことができた、
そんな実感をちょうど反芻していた、まさに矢先だったのです。震災が起きたのは。

覚悟していた以上の現実が、目の前にべろりと皮を剥いで露わになりました。
津波の力と人間の非力。
Tくんをはじめ、小さい子どものいるIくん、Sくん、みんなのことを思いました。
いなくなったKくんと、ご両親のことも思いました。
みんながそれぞれの立場で、それぞれの思いを抱えて、3月11日を受けとめ、いまもいるのだろう。
わたしは、震災の翌日が祖母の一周忌法要の予定だったのですが、延期になりました。
しばらく職場は短縮営業になり、当然のごとくお客様は減り、売上も下がりました。
延期になった法要は先々月いとなまれ、いまは通常どおり売場も営業しています。
震災の記憶は傷のように鈍い痛みをのこしたまま、傍目にはこれまでとかわらない日常を
くりかえし過ごしています。
みんなの話を聞きたい、とずっと思っていました。
あの日どうしていたのか、これからどうするのか、なにを思ったか、ただ、あの人たちに聞きたいなあ、と
漠然と思っていました。
そんなとき、Tくんからの手紙が来ました。

わたしは、自分はもうたぶん変わらないだろう、と思っています。
それはあきらめではなく、ただ冷静に、現実的に、これ以上自分の生き方や考え方の根本が、
服を着替えるように変わるようなことはないし、変えるつもりもない、と考えています。
そう知ったことで、強くなった自分もいるし、弱くなった自分もいます。
変わらないこの場所からなにができるだろう、と考えます。
変わらなくても、いま自分のなかにある持ちもので、なにかできるのではないか。
そもそも、この「持ちもの」を自分は最大限に使いこなしてきたと言えるのだろうか。
いまは、そんなふうに考えています。
気負わずに、力まずに、そこから感じてみようと思っています。

阪神大震災のころは小説を書きたかった。小説を書いていました。
無鉄砲で、無邪気でした。
小説はもう書いていません。これから書くのかどうかもわかりません。
でも、小説を書いていたあのころと同じように、わたしはやはり言葉でしかひらけないわたしの部屋を持ち、
言葉をつづることによってしかたどり着けない場所がある、
それはいまでも変わりません。
もう少し変わっていればよかったくらいのものなのかもしれませんが、こればっかりは仕方ないね。


長くなりました。最後までおつきあいいただきありがとう。
また会いましょう。
それまでどうか元気で。
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by mayukoism | 2011-06-10 02:14 | 言葉

晴れた4月にすきなこと

集合住宅の銀色のポスト


シルエットになる台所用品


地図をながめる


ひらきすぎたチューリップ


まぶたにのる光の重さ


曲線的なボンネット


紙片のような飛行機


雨の歌をうたうこと


カーテンの足もとがわずかにゆれるのを見ること


蜘蛛の巣をみつける


蜘蛛の巣にからまる


屋上で食べるうどん


作家の年譜をながめる


日中なのに、夕暮れみたいな光がくる


花びらの落ちる速度


バスの窓の暗さ


波をうつ植えこみ


自転車の走る速度


夏の話をすること


背中
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by mayukoism | 2011-04-15 03:05 | 言葉
ゆっくりと、目を閉じるように暗くなり、もう目覚めなかった。
4月4日、わたしの携帯電話。

4月5日、データ消去に許可、の空欄にチェックをいれる。
電話帳はのこったので、電話はできる。



ハロー。
ハロー。
こちら地球、TOKYO、雑司が谷、夜です。
ハロー。
こちら2011年、4月10日、SUNDAY、春です。

どうかあたたかい場所にいてください。
暑すぎず。
寒すぎず。
あかるく透きとおった、かろやかなあなたの皮膚にちょうどいい温度で。

ハロー。
おそらくいくつもの数字の羅列を、おおきな水がさらった。

場所をさししめす数字。
順番をさししめす数字。
今日をさししめす数字。

あなたをさししめす数字。

わたしの指はあらゆるやりかたで4を書きつける。
いかなるやり方で4を書きつけても、あなたの4月にたどりつかない。




だいたいき、代替機、ってかたくななおとなみたいなひびきだね。
そう言うと代替機はふてくされて、た行を出そうとするとま行を出してきた。
ボタンの距離が、他人行儀。

4月7日、花見の連絡が代替機にとどく。
4月8日、予約書籍確保の連絡が代替機にとどく。
4月9日、代替機にはだれからの連絡もとどかない。

あんまり揺れると、不機嫌な代替機から数字がこぼれおちてしまう。



あの日、おそらくたくさんの数字が、手のひらからこぼれおちた。
いま、いくら数字を書きつらねても、あの日にとどかない。
いったいどれだけの数字の羅列から
意味がうしなわれてしまったのだろう、と想像するとき、
はなればなれになってしまった膨大な数の数字が、
かけあわされ、
かけあわされて、
まっくらな夜の海になる。




いったいどこに行っただろう。
目覚めない携帯電話に入っていた、わたしの
小さな空や川や窓や、くりかえした言葉。
もう二度とここへは戻らないのなら、
かけあわせ、
かけあわせて、
TOKYOの桜が咲きましたよと、夜の海にそそいでほしい。
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by mayukoism | 2011-04-10 04:48 | 言葉

待つということ

というタイトルの本がずいぶん前に出ていて、それはそれで気になっているのだが、
じつはまだ読んでいない。

今日、わたしは旅についてのある講演を聴いた。
講演の終わりの質疑応答で、さいごに出た質問は「帰っていく場所」について問うものであった。
わたしが聞きたかったことにちかい質問であったが、答えを聞いてみて、
やはりすこしちがうと思った。
作家は出身地のことを言った。
哲学者は学ぶ場所のことを言った。
自分はなにを聞きたかったのだっけ。
プロジェクターの低いうなり声が、足のほうからゆっくりとたちのぼった。

わたしは、自分のどこかがいまも、待っている状態にある気がしている。
二十歳のころ、長い旅に出た友人がいた。
旅に出ることを「選べる」年齢になっていることを、そのときまでたぶんわたしは気づいていなかった。
旅に出ることを選ぶ人と、旅に出ることを選んでいない自分とはなにがちがうのか、と考えた。
それで小さい旅に出てみた。
ひと夏、山中湖の保養所で住み込みで働いたのだ。
母屋の二階の六畳間が、その夏のわたしの部屋だった。
とおくに湖面がひとひら見えた。
わたしはそこで、東京にある「ほんとうの自分の部屋」のことをときどき思った。

読書感想文でいただいた賞状が額にかざられており、
修学旅行で行った金閣寺のお札が、デスクマットにはさまっており、
揺れないようにと、父の読んだ週刊誌が机の脚とピンクの絨毯の間に敷かれている。

それらがなくてもわたしはわたしであると、急にわかってしまった。

あの季節、初夏から冬の終わりまでがひとつの季節で、わたしはあの季節に待ちながら旅をしていた。
待つことがどんなことかを知りたくて、待つことを旅していたのだ。
待つことを旅するうちに、わたしはいろんなことから切り離されて、急速にひとりになった。
暗闇でかたちをたしかめるように、自分のひとりをたしかめていた。

旅に出た人からすれば、それは旅などではないのだろう。
旅とはもっとアクロバティックで、事件で、大がかりなものなのだろう。
だからたいていの場面では、旅に出た人が主人公になる。
旅に出た人が見た景色や聞いた言葉を、旅に出なかった人は未知のものとして聞く。
でもわたしは気になるのは、「旅に出なかった人」の日常のほうで、
旅に出た人の不在を感じながら、そこにとどまって生活することの、

そのきらめき。
その思慕。
その耐えがたさ。
そのきよらかさ。
その嫉妬ふかさ。

とはいったいなんなのかと、それを尋ねてみたかったのだが、
それはあのとき、肉声の世界では言葉にならなかった。
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by mayukoism | 2011-02-19 03:10 | 言葉

2階のある喫茶店

喫茶店は混みあっていた。
階段を上がってすぐのところにひとり席を見つけ、リュックをおろした。
中ほどでおおきくカーブする階段の、ほぼ真上にある席なので、
のぼる人のすがたと、下りていくひとのすがたがよく見えた。

のぼる人の息づかいは、すこし急いている。
まっすぐに2階を見つめて、空いてるかな、空いてないかしら、とややけわしい表情をする。
階段を上がりきったところで、とん、と大きく足を鳴らす。
存外に大きく鳴るのだ、足の裏というものは。
だれかがのぼってくるたびに、ひとり席のわたしはすこし身がまえる。

下りるひとの背中はいさぎよい。
あたたかさやあまやかさをふりきり、もう戻りませんさようなら、という覚悟のようなものが見られる。
足音は均一にとおざかっていく。
つむじとはなんと無防備なものだろう、と見下ろすわたしは思う。
視線を戻すと、読みかけのページに髪の毛の影が一本、外にむけてすうっと伸びている。

前髪に手をやって、このへんか、と押さえてみたけれどここでもない、ここでもない。
頭上の白熱灯が見つけた一本の跳ね髪を、わたしはすぐに見つけられない。

たまに他人に白髪を見つけられて、抜いていただく。
白髪の銀座地帯が右の側頭部の一部にあるらしく、ちくんとした痛みに慣れたころには
銀座は耕されて、更地になっている。
自分では白髪を見つけられない。
頭のあちこちを押さえて、ようやく跳ねた髪のあるあたりを見つけた。

約束の電話がかかってきたので、席を立った。
入れかわりに上がってきた人が、わたしのいた席に座った。
わたしはその人に、わたしのつむじがどのように見えるかを聞いてみたいと思ったけれど、
カーブのところでのぼってくる人を待っていたら、
そんなふうに考えていたことさえ忘れてそのまま下りてしまった。
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by mayukoism | 2011-01-14 03:11 | 言葉

それでも日々はめぐる

工作舎のIさんから、職場にメールが届いた。
何度か返そうとして、何度も胸がいっぱいになってしまい、
今日はけっきょく返すことができなかった。
申し訳ありません。

メールで、あの講演会の日に触れられていた。
そう、あの日は講演会の前に、偶然アーケードの外れにある「文久堂書店」を見つけて、
嬉々として棚を眺めていたら、しばらくしてがらがらと扉のひらく音がして、
だれか入ってきたのだなあと思ったら、それがIさんだったのだ。
いたずらが見つかったみたいに、おたがい笑ったと思う。
講演会のあとのブックオフでは、紅屋さんもブログに記されているとおり、
はじめはにぎやかに入ったのだけれど、そのうちそれぞれ真剣に棚を見はじめた。
勝負師みたいな横顔になった。

みなさんは黒岩さんと面識があったので、講演会のあとにごあいさつされていたと思うけれど、
わたしはこういうとき尻ごみしてうしろにひいてしまう。
だからあの日、わたしが黒岩さんと対面することはなかった。
ただ、講演会の前に入った「文久堂書店」にしろ、インベーダーゲームのある喫茶店にしろ、
ブックオフにしろ、そこには黒岩さんの気配が濃厚にあった。
しいていえば学校のマドンナをお見かけしてからどうにも熱冷めやらぬ男子学生、のような気分で、
あの一日、ずっと頭の中の黒岩さんの姿をぼんやりとおいかけていた。
黒岩さんの講演会だったから、奇妙な喫茶店で肩をつきあわせたり、ぞろぞろとブックオフに
入ることが、あんなにもたのしかったのだと思う。

書かないことなんていくらでもできた。
むしろ書くべきでなかったかもしれないと今も考えている。
それほど黒岩さんにお会いしていない自分が、追悼めいた文章を個人的なブログに
書くのってどうなんだ。お前が書くな、と言われるだろう、なにもしていないくせにと。
そのとおりだ、と思った。
ただ自分勝手にもりあがっているだけなのか、そうなのか、ちがうのか、ちがうならなぜ書くのか。
言葉にするという行為は、ちっともほめられたことではないと、こういうとき痛いほど思う。

言葉でおぼえておきたかった。
自分のなかにある数すくない黒岩さんの記憶を、言葉にすることで、記憶があたたまるというか、
記憶がうごきだすというか、襞のすきまにかくれて見えなくなるあいまいな景色ではなくて、
いまもういちど、言葉で時間をうごかしたかった。
時間をうごかせるとしたら、それはわたしにとってはやはり言葉しかないのだった。
もし不快に思った方がいたら、ただ申し訳ないと思う。

今日、ようやく『パンとペン』(講談社)を購入した。
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by mayukoism | 2010-11-23 02:49 | 言葉