乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


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カテゴリ:本のこと( 41 )

夜の背表紙

本棚というもののない家だった。
読んだ本はもっぱら、学習机の下にある作りつけの棚に並べられた。
すると眠るとき、枕元からちょうど椅子の向こうの背表紙を眺めることができる。
その背表紙がこわかった。
ナツメ球の橙の暗さに目が慣れると、机の下の背表紙もゆっくり、はっきり見えてくる。
わたしがこわかったのは、伝記のキュリー夫人だった。
背表紙に赤いゴシックで「キュリー夫人」と印字されている、その下に夫人の小さな顔写真があった。
子どものころ、なによりもこわかったのが、そのキュリー夫人の背表紙だった。

子どもだったからか、その伝記を捨てるとか売るとかいう発想は、皆無だった。
ひたすら毎晩、キュリー夫人の落ちくぼんだ瞳と見つめあう恐怖とたたかっていた。
いちどだけ、「背表紙が見えないよう裏にする」という妙案を思いつき、さっそく実行したのだけど、
昼間のうちに掃除をしにきた母の手によって、背表紙はきちんと見えるよう揃えられていた。
引き出しや、戸棚にしまって見えないところに置くことも考えた。
が、目の前になくとも、そこにあの背表紙が「ある」ことをだれよりも自分が知っている、
たえられない、と思っていた。

ナツメ球のわずかな明るさは、闇を暗さに、光を白さに変えて、想像をどこまでも加速させる。
キュリー夫人の視線から目をそらしながら、一方でナツメ球に硝子玉を透かして見るのが好きだった。
硝子玉は光を内側にとじこめて、中の気泡を星のようにいくつも浮かびあがらせていた。
硝子玉のなかにわたしは入れなかったけれど、意識ならいくらでも入ることができた。
硝子玉の気泡のあいだを、宇宙飛行士のようにまわりながら、意識は泳いだ。
そのうち、暗い部屋で本を読むことをおぼえた。
暗闇でたどる活字は、昼間の活字よりも凛と尖って、その意味をすこし強くしているように見えた。

わたしは夜のキュリー夫人がおそろしく、小さな硝子玉の夜が待ち遠しかった。
キュリー夫人の伝記は、高学年になり不要だと判断され、他の本とともに廃品回収に出された。
大人になり、本棚のたくさんある職場につとめ、本棚のたくさんある部屋に帰ってくるようになってからも、
電気を消して、暗さに慣れた背表紙がぼんやり浮かびあがってくるのをつい待ちながら、
内容はほとんど覚えていないキュリー夫人の伝記のことを、いまも思い出すことがある。
そういえばいま、目の前に見える『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(青土社)という
谷川俊太郎の詩集は、この背表紙をただ見ていたいために、ずっと持っているような気がする。






※本の検索サイト「スーパー源氏」から、件の『児童伝記シリーズ4 キュリー夫人』(偕成社)の
画像を見つけてしまいました。
http://search.newgenji.co.jp/sgenji/D1/?000107880993/


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by mayukoism | 2012-03-03 03:47 | 本のこと

祖母の本屋のこと

齢90をすぎ、3坪ほどの本屋をつづけてきた祖母が先日入院した。

耳が遠いのに補聴器がきらいで、なのに不思議とお客様との会話は成立するので、
のらりくらりとつづけている、雑誌と漫画しかない小さな本屋だが、
さすがにここ最近はわたしの父が、定期的に店の手伝いをしていた。

その祖母が先日台所で昏倒したらしく、目覚めたら鎖骨が折れていたと言う。
手術するしか治る道はない、と言われ、手術なんてぜったいにイヤ、とだだをこねた祖母が、
ギブスをした腕の不自由さに、ひとりで風呂にもはいれやしない!と憤慨し、
手術を受ければギブスははずせると説得され、観念して手術をうけることにした。
が、同時に受けた検査でほかの部分に異常が見つかり、入院することになった。

祖母は「だまされた」「こんなはずじゃなかった」と文句を言いながら、
いちおうはおとなしく横になっていた。
たいくつでたいくつで、と言いながら休憩所までいっしょに歩いた。
ペットボトルに、さしいれたかまわぬの「しずくよけ」を巻いてあげると、はじめは、
自分で使いなさい、と言ったが、冷めなくていいかもね、と小紋を撫でた。

だから、祖母はだいじょうぶです。
緊急にどうにかなってしまうかもというような状況ではまったくない。

けれどあの小さな本屋が、自分が生まれる前からあり、ずっと通っているあの店が、
いま、閉まっていることがうまく想像できない。
もちろん、シャッターの降りている状態というのは何度も見ている。
そうではなくて、開ける人のいない状態というのが、どうしても信じられない。
もうすこし言えば、こわいのだと思う。

わたしは祖母の店で『よいこ』を読み『りぼん』を読み、『別マ』を読み『コーラス』を読んで生きて、
いま、因果なことに祖母の店の何倍も大きな書店ではたらいている。
本屋、あるいは本がある景色というのは、呼吸するようにすりこまれていて、
そのことがわたしの内側をまちがいなくささえている。
ご多分にもれず窮屈な思春期を通過した自分に、祖母の本屋がなかったらどうなっていただろうか、
と考えてみることもあるけれどつづかない。ない景色をうまくえがけないから。

ふと思うのだ。
祖母はもういちど、店を開けてくれるだろうか?

エロ雑誌ばかりが並べられるようになったあの店で、不親切な手書きの伝票と
商品をつきあわせながら、返品をつくるのがいちばん大変、と言い、
もう疲れたよ、もうやめようかといつも思うけど閉めてもなにもすることないしねえ、と
話していた祖母の本屋がいま閉じている。

そりゃそうだろう。
90すぎて、いくら小さいからといってもひとりで切り盛りして、それなりに
売上をあげているんだから、たいしたものだ。
わたしがやめたいくらいだから、もう疲れたという祖母の気持ちは、
ほかの家族よりはすくなくともずっとわかるつもりだ。

でも、何度でも店を開けてほしい。
手術が終わって、うごけるようになったら、どうかお勝手の見えるあのお店に帰って、
いくらでも何度でも、いつまででもわたしは祖母に、店を開けてほしいと願うのだ。
本屋はひらいていなければ本屋じゃないのだ。
だからはやくできるだけ元気になってください、と毎日祈る。
おばあちゃん、祖母不孝な孫でごめん。
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by mayukoism | 2011-10-06 03:55 | 本のこと
先だって風の強い夜、二次会へむかうにぎやかな人たちと別れ、ひとあし先に帰路についた。
地下鉄は都心の駅に向けて徐々に混みあい、頭の芯にはりついて離れない疲労をもてあましながら、
ひとりの自分をたしかめていた。
学生のころ門限が人よりも早かった自分にとって、宴を途中でおいとまするのは大げさなようだが、
いまでもかなりの贅沢なのだ。
もう少しこの贅沢を手にしていたくて、ひとつ先の駅で降りた。
遅くまで営業している本屋に入った。
なにかあればいいな、と思った。でもなにも見つからなくてもいいんだ、と自分をいさめた。
漠然と「なにか」を探すのは自分がよわっているときで、たいていなにも見つからない。
案の定、なにも決まらぬまま閉店のアナウンスがながれた。
エスカレーターに向かって歩くと、見たことのない平積みの表紙が見えた。

それが橋口幸子『珈琲とエクレアと詩人』(港の人)だった。
表紙の赤茶色のスケッチにまず惹かれ、そのスケッチを映しだす乳白色に惹かれた。
その厚みと軽さもすぐ手になじんだ。定価を見て正直おどろいた。
世のすべての詩に関する書物が、これくらいの値段だったらいいな、と本音を言えば思う。
BGMの消えた店でこの本を購入し、小脇にかかえてうきうきと部屋に帰った。
寝る前に読む本、とはじめから決めていた。
いちにちの終わりにまっさらな頭で、布団のなかで体勢を変えながら、行儀わるく読みはじめた。

「港の人」は鎌倉の由比ヶ浜にある小さな出版社である。
詩人の北村太郎さんと「港の人」代表である里舘勇治さんは、北村さんの横浜時代、
ご近所に暮らした縁で家族ぐるみの親交があり、1997年に設立した出版社に里舘さんは
北村太郎の詩集の名前をつけた。
もうずっと前からそこにあるようなしずけさ、というのが「港の人」がつくる本にいだくわたしの印象だ。
発売されたばかりの本はまだ棚にもなじまず、たいてい浮足だってざわついているのに、
「港の人」の本はにぎやかな書店のなかで、そこだけ目をとじる人のようにしずかだ。

『珈琲とエクレアと詩人』は北村さんの鎌倉時代に同じ家に暮らし、
北村さんがあるはげしい恋愛を経て、亡くなるまでのあいだをそばで見つづけた
橋口幸子さんによって書かれた短いエッセイ集である。
この本には、北村太郎さんのことしか書かれていない。
それも、いままでに読んだ詩やエッセイなどから、自分が読者として漠然と思い描いていた
「詩人・北村太郎」の姿ではなく、橋口さんのなかにいる橋口さんだけの「北村さん」の姿だ。
橋口さんのなかにある小さな部屋にはいまも小さな「北村さん」がいて、
入れ歯がはずれそうに大きな口で笑ったり、ソーメン食べる?とソーメンを茹でたりしている、
そんなあざやかさと親しさで、すべての文章がつづられている。

読んでいるあいだずっと、橋口さんの小さなたいせつな部屋をそっとのぞいているような気持ちだった。
この大事な部屋を散らかしてはいけない、と無意識に息をつめるように読んでいた。
橋口さんご自身の現在のことはほとんど語られないが、「二度目の鎌倉」という章のはじめに
わずかにふれられ、そのことさえ北村さんへの詫びの思いにつながっていく。

この本が「港の人」以外の出版社から出ることはありえないだろう。
「港の人」と「北村太郎」とのつながり、「北村さん」と橋口幸子さんとのつながり、
すべてが渾然と必然となって書物のかたちになった、希有に幸福な本だと思う。
そして幸福であることがかなしいのはなぜなんだろう。
橋口さんの部屋で、いまもたしかに息をしている「北村さん」があまりに素朴で、
その部屋をきっとずっとあたためて、ときには風をとおし、ときには現実にそうしたように
「超強力な掃除機」をかけたりしてきれいにして、ひとりでまもってきたのだろう橋口さんの、
北村さんに対する思いがあまりに深くて、読みおえたときなにも考えたくない、と思った。
ただ、この本を読みおえた、ということを、できるだけずっと感じていたかった。
それよりほかには言葉にならなかった。
自分の中にも小さな部屋ができた、と感じた。

そして、『珈琲とエクレアと詩人』を読めばどうしたって、ねじめ正一『荒地の恋』(文藝春秋)を思い出す。
どちらがどう、というわけではなく、この2冊はともに読まれてほしいと思う。
『荒地の恋』でありありと想像した、いくぶん若々しい北村太郎の姿が、
『珈琲とエクレアと詩人』ではもうすこしゆっくりとしたはやさで、とことこと前を歩いていく。
『荒地の恋』に賛否はあると聞くが、わたし自身はこの2冊を読んでよかったと思っている。
詩人のなかにあるのは言葉ではなく、「詩」という肉体がおそらくたしかにあるのだと、
その「詩」が詩人を生むのだと、それぞれのかたちで知ることができたから。

『荒地の恋』を読んだのは数年前の冬で、そのころわたしは婚約話をひとつ破談にしようとしていた。
破談が現実になるのはすこし先のことだったけれど、自分のなかでなにかがすでに変わってしまっていた。
もちろんそれは『荒地の恋』を読んだこととなんら関係ない。
ただ、ひらいてしまったトランプのようにもう戻れない感じ、戻らなきゃ、と思うのに、つぎからつぎへと
つらなってひらかれるカードのようにひきかえせない、その行きどまりの感じを『荒地の恋』とともに思いだす。
『珈琲とエクレアと詩人』とともに思い出すかもしれない景色がどのようなものかは、いまはまだわからない。
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by mayukoism | 2011-04-24 02:23 | 本のこと

澄子さんのこと

週にいちど、西荻窪の興居島屋の帳場にかよっていた。
三鷹の古書上々堂から、「出向」していた。
興居島屋の帳場は当時、高座のように売場から一段高くなっていて、
他人の家におじゃまするようによいしょ、と靴をぬいで上がり、
うすっぺらいf0178047_2217073.jpg座布団にすわって、日がかたむくまで店番をしていた。

帳場のCDデッキには、澄子さんがかけたと思われる「ふちがみとふなと」や、
「バートン・クレーン」など、聴いたことのないCDがたいていはいっていた。
ほかにもCDはたくさんあった、が聴ける状態のものがあまりなく、
それでもはじめはジャズやクラシックをかけたりもしたけれど、なにかちがう。
それで、澄子さんが入れたCDをそのままかけて、店番するようになった。

澄子さんと話をすることはほとんどなかった。
時間になると、小さいヘルメットをかぶった澄子さんがしずかにやってきて、
いくつか今日の店番の報告をして、それで終わりだった。
朝、店先に出したちゃぶ台や足ふみミシンの配置を、夕方の澄子さんが無言でさかさかとなおす。
すっきり見ばえのよくなった店先を見て、澄子さんのゆるがない美意識を感じた。

かけもちではたらいていた新刊書店に勤めることになって、古本屋バイトはやめてしまった。
ふたたびお会いしたのは、書店で企画したフェアのディスプレイのためだったか、
「ふちがみとふなと」のライブでだったか、よく思い出せないけれど、
澄子さんを見つけると、わたしはなんとなく反射的にあっ、と手をふってしまう。
澄子さんはまるい眼鏡の向こうの表情を、すこしだけゆるめてこちらを見る。

澄子さんが独立して、興居島屋の場所で澄子さんの店をひらく、という話を聞いて、
開店準備中の店の様子を見にいってみることにした。
日が落ちて、舗道にこぼれだした白熱灯のまるい光の向こうに、ほっかむりの澄子さんが動くのが見えた。
差しいれのビールをお渡ししてすぐに帰るつもりが、ふたことみこと話すうち椅子が出され、
平台の上の作業場がかたづけられて、気がついたらならんでビールを飲んでいた。

変わった?と聞かれたので、ずいぶんきれいになりましたね、と言ったが、
じつはもともとあった本を並べかえただけだと聞いて、へえっとおどろいた。
右の壁棚には単行本が並び、奥に図版、この並びは前と変わりないが、
人文書はわからないから少し減らしたの、わかるものを並べようと思って、と澄子さんが言う。
棚の上にはおなじみの「古本系シルクスクリーン」が、額装されて何枚か飾られている。

入って左の壁棚にはマッチラベルのシートがずらりとならび、
以前、澄子さんがスクーターにたくさんくくりつけて、大事そうに持ってきた古いお菓子の箱が、
棚の上にいくつか鎮座している。天井には、澄子さん作の「招布」がかわらずゆれている。
ほかにも、整理したら出てきたという大きな刻印機(邪魔だから捨てるよう言われたが捨てなかった)や、
定着液の匂いののこる16ミリフィルムのケース(六本木のごみ捨て場で拾った)を見せてくれた。

(ちなみに刻印機の印は、「PITIN」とデザインされているように見えるもの、
ケースに入っていた16ミリフィルムは12コマずつに切り離されて、「コンマ5秒の栞」として、
おそらくどちらもしばらくは来店記念に押したり、いただけたり、するかと思います。)

思えば店番にはいっていたころは、「出向」のかたちでの勤務だったこともあって、
ろくに自己紹介もしていなかったことに、飲みながらはじめて気がつく。
いまさらながら、上々堂でバイトすることになった経緯や、新刊書店の仕事のことを説明し、
澄子さんからはいまの住まいの話や、岡崎武志さんの『女子の古本屋』(筑摩書房)での紹介を
はじめは断っていたこと(自分が出した店ではないから、と)などを聞き、思わずやや深いところまで話す。

「なずな屋」という屋号は、お世話になった田村治芳さんの「なないろ文庫ふしぎ堂」から
「なな」をいただきたくて、はじめは「ななつ屋」とつけるつもりだった、が、
ななつ屋には「質屋」の意味もあることを知り、それはまずいからと「なずな屋」にした、
春の七草でからだにもいいし、と澄子さんは黒目がちの目をくるりとさせて言った。
屋号の看板は、「興居島屋」のときにお願いした知り合いに、ふたたび制作をお願いしたそうだ。

あ、看板は澄子さん作じゃなかったんですね、と言うと澄子さんは、
なんとなく看板は別の人に作ってもらったほうがいいような気がして、と言った。
なんとなく、でもとてもよくわかる、と思った。

いまでもたまに、あの帳場にまたすわりたい、と思うことがある。
柱時計がカチカチひびくあの場所にいたのは長い時間ではなかったが、
帳場にはいっていた「興居島屋」のころから、あの店はわたしにとってすでに「澄子さんの店」であった。
店先の本が澄子さんの手によってがらりと見ちがえたように、
あの場所は、芸術家としての澄子さんの意識や、誇りや、歴史に満ちていた。

そのような店の帳場にはいることは身のひきしまるような体験でもあったけれど、
澄子さんの感覚を「言葉」ではなく、棚やものなどの「目」で感じられることは刺激的で、おもしろかった。
店主を知ると、その店がまたたのしくなる。
1000円以下の本と硬質な文学書が勝負するように向かいあう「古書現世」や、
ぎっしりと本の並んだ棚の合間にこまかいしかけを発見する「古書往来座」のように。

帰りぎわ、千社札のような「微ニューアル」オープンのチラシを、封筒にいれて何枚かいただいた。
草色の封筒に、紺のスタンプインキで「紙モノ古本 なずな屋」の文字が、あざやかに浮かぶ。
本箱に車輪をつけた、と澄子さんが箱をさして、ちょっとうれしそうに言う。動くし、上に本も置けるのだ、と。
一人で準備は大変ですよねえ、と言うと、炎天下で車輪つけたりしてたらなんだかいつもより元気、と、
黒目をまたくるりとさせて、澄子さんはしずかにわらった。



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2010年8月21日 微ニューアルオープン!

紙モノ古本 なずな屋
昼12時~夜10時
火曜定休

〒167-0042
東京都杉並区西荻北3-31-6
03-6454-7834

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by mayukoism | 2010-08-25 22:01 | 本のこと

麻雀ハイブリッド

大学生のころ、麻雀に明け暮れた時期があった。
きっかけはよくおぼえていない。
映画サークルの部室で、よれた麻雀マットをせまい机の上にひろげて、
男子にまじってかちゃかちゃ配牌していた。
いったんうちはじめるといつまでもやめないので、
はやく飲みたい友人が、本気で怒ってしまったことがあった。


同じころ、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を夢中になって読んだ。
覚えたての知識で、物語のなかの手牌を解こうとしたこともあった。
坊や哲、ドサ健、上州虎。
終戦後のすえた匂いの東京を、彼らの台詞や動きによって、自分なりに思いえがいた。
ただし『麻雀放浪記』とちがって、賭け麻雀はほとんどしなかった。
あの勝負の流れのなかに、身を置くのがひたすら好きだった。


麻雀のことを思いだしたきっかけはふたつある。
ひとつは職場の飲み会で「モーハン」(モンスターハンターというゲームの略称らしい)と
「盲牌」を聞きまちがえたこと。
麻雀?と言っておもわず右手の親指の腹を、盲牌するようにふりふり動かしたら、
そんな聞きまちがいをする女性はいないと断言された。
知るかと思った。


もうひとつは荻原魚雷『活字と自活』(本の雑誌社)の「『荒地』と鮎川信夫」の章で、
鮎川信夫が麻雀について書いている日記が紹介されていたこと。
それぞれが手牌を見ながら頭の中で筋をさぐるときの、あの澱んだような
でもけっしてとまることのない静かな「流れ」の感覚を、読んでありありと思いだした。

(略)この亡国的遊戯は、どこかしら私小説作法と似通ったところがある。
相手の手のうちを読むこと、表情の変化に気を配ったりすること。日本の小説家のいう
「大人」であること、つまり熟練によって、自分の位置、役割を知ること。(略)

田村隆一『若い荒地』(講談社文芸文庫)所収「一九四一年(昭和十六年)のAの日記」より


麻雀に夢中になっていたころは、自分も含めてみな素人の域を出ないから、
我慢づよく相手の表情や捨牌を見ていると、その人の癖というのが自然と見えてくる。
そしてふだん相手がどういう思考回路をしていて、どういう嗜好をしているかが、
手牌に如実にあらわれる。
それを分析して、その思考をかいくぐりながら、自分の手を地味に作るのが好きだった。
大きな役はないけれど、裏ドラがのってたんまり、というようなセコイ勝ち方もよくした。

ながいながい麻雀をしているみたいだ、とぼんやり今の自分を思った。
試しにインターネットでFlashの麻雀ゲームをやってみたけれど、ルールはすっかり忘れている。
感覚は思いだした。
周囲の手牌を注意ぶかくさぐりながら、自分の手をゆっくり作る。
大きな役がつかなくてもいい。自分の手をていねいに作って、いつかアガればいい。
アガれなくても、おおきく負けなければいい。

捨牌をじっとさぐりながら、見えない牌をできるだけうつくしく、わかりやすく
入れかえるような日々も、それはそれで嫌いではないのだ。
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by mayukoism | 2010-07-19 03:47 | 本のこと

文学は消耗するか

植物園のそばの図書館で借りた『ドリーマーズ』(柴崎友香著/講談社)を読了。
このなかに入っている『夢見がち』という短編はおもしろかった。
「夢ネタ」や「夢オチ」は禁忌にちかいものがあるけれど、この短編は、メインとなるある夢の話と、
そこにつながる「現実」の話にディテールとそれなりの牽引力があった。
個人的に苦手意識のつよい柴崎友香だが(でも読んでおく)、この作品集は違和感なく読めた。

並行して同じ図書館で借りた『どうして書くの?穂村弘対談集』を読む。
対談集だからすぐに読み終わってしまう、と思いゆっくり読んでいたらゆっくりすぎて、
あとに読みはじめた『ドリーマーズ』のほうを、あっという間に読み終えてしまった。

以前にこの日記で、いま書かれている物語について「初期吉本ばなな」を座標軸にして、そこから
どのくらいずれるか、どのようにずれるかに、物語の起点や終点が、いまだにあるような気がする、
というような書き方をして、こういう書きかたをするときの自分はたいていにおいて直感のみで喋っており、
だから批評や評論というものがまったく書けないのだけど、似た内容の発言を高橋源一郎がしていた。
長いんですが、これはすごく面白かったので引用します。

現代詩はそれ以前の戦前的なものの純粋な否定として出てきました。「荒地」派があって、つづく「凶区」のグループがあって、僕らはそれを全部同時代的なものとして、先行するものの否定として読んできた。(中略)ところが、具体的な例でいうと、吉本ばななが出てきたときに、これは何かの否定かというと、違うんですね。彼女はいわばわきから入ってきているんです。ある意味では、歴史の「外」から。吉本ばななは、純文学を読んで、その否定で出てきたんじゃなくて、全然別のジャンルのホラーを読んだり漫画を読んだりして出てきた。非歴史的な選択の結果なんですね。
非歴史的な選択をしてきた作家は多分どの時代でもいたんでしょう。けれど、彼女以降新しく出てくる作家の
基本的なスタイルが垂直の選択から水平の選択になったというイメージが僕にはあります。水平に、ジャンル横断的に、あるいは任意に自分の好きなものをとってくるということ。それは結局、浮遊しているイメージをとってくることと同じになったんですね。イメージには歴史性がない。たまたまそこにあるというだけなのです。(後略)


このあと、吉本ばなながデビューしたのが80年代半ばで、ちょうど「現代詩文庫」の刊行が始まって
完結するまでと重なる、というような話にもつながっていくのだけど、これは文学や表現だけの話では
なく、世代や社会などのさらに大きなシーンにも広がりうる話だと感じた。
吉本ばななをはじめて読んだのは中学生のときで、あのときたしかに自由になった感じはした。
重い荷物を背負わなくても、「いまここ」の自分で、言葉で、小説は書けるのかもしれないと思った。
時代や世代のことはまったく考えなかったけれど、これはわたしのものでわたしの言葉だ、と
吉本ばななの小説を感覚的にうけとめたのはたしかだと思う。

しかし、引用した上記の対談はいったいいつおこなわれたんだろうと初出を見たら、なんと2001年だった。
2001年に対談で話していたことを、わたしはいま感じて、言葉にしているのか、と思ったらひどく情けなく
なったのだけど、この本の最後の章でふたたび2008年に、高橋源一郎と穂村弘が対談している。
7年後の同じ二人の対談。以下は高橋源一郎の発言。今度はやや短めにします。

文学者の戦いは、言葉を持って現実と格闘するという戦いですよね。かつては一つの世代が共通の武器で戦うことも不可能ではなかった。それは共通の経験・共通の言語を持っていたからです。その経験や言語を共有できるというシステムが、ぼくの年代以降、機能しにくくなってきた。戦争があったとか、団塊の世代でいうと経済戦争があったとか。九〇年以降、言語化しうるような、書くテーマとして持ち上げられるほど強度がある共通の何かは多分持ちにくくなった。とすると、みんながばらばらに、自分が戦えると思う範囲で、戦うしかない。正規軍戦からゲリラ戦に以降した、という言い方が正確かもしれません。


「共有できるシステム」とは何なのか、という話になるとまた別の方向に話は進んでいくのだろうけれど、
とりあえず2001年地点からあまり事態は動いていないようだということはわかる。実感としても
動いているとは思えない。むしろ、さらに混迷している感じもあって、このあと高橋源一郎は
「ただ単に社会が便利になった以外に、五十年前の戦後の文学の重々しい「私」というのもよかったと
最近では思ってしまうところがある。」なんて発言もしていて、高橋源一郎にそんなことを言われて
しまったら、読者としては、いったいこれから先どんな小説を期待して待っていればいいのだろう、と
ちょっと絶望的な気持ちにもなってしまう。

「固定電話」を持たなくなって「ケータイ」をみんなが持つようになって、「固定電話」が近代で、
あのころはよかったなー、と気づいた人たちが「固定電話」のある生活に戻ろうとするかと言ったら、
それはまずない。「ケータイ」で「メール」を送りあって「twitter」の「タイムライン」をいちにちに
何度も確認して、それはどうしようもなく「いまここ」の世界の共通の認識であり、共通の言葉だと思う。
問題はこの変化に文学がまったくついていっていない、ということで、それに対して現実は、
驚異的に軽やかなステップを踏んでどんどんおもしろく、便利に即座に変化対応していく。

でも、「驚異的に軽やかな」現実にはかならずついてまわってくる闇があって、それが「死」だと思う。
人はいつか死ぬ。そのことは近代だろうと現代だろうと変わらない。現実の生活が便利になっても
死は絶対に便利にはならない。そのことを、いったいどんなやり方で受けとめればいいんだろうと
ずっと考えている。もしかしたら自分以外の大多数の人はそれぞれにかしこく「死」を受け入れながら
この軽やかな現実を謳歌しているのかもしれないけれど、どうも自分にはそれがしっくりこない。



うーん、ぜんぜん話がまとまらない。削除しようかと思ったけれど、ここまで書いたのでとりあえず
アップします。
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by mayukoism | 2009-12-04 02:32 | 本のこと

居候になりたい

将来なにになりたいの、と聞かれて、いそうろう、と答えたことがある。

空想のなかでわたしは男で、日本家屋の2階に間借りする。
階下から、ねえ、2階のおじさんはいつもひまそうだけどなにしてるひとなの?という子どもの声がする。
ときおり、間借りのお礼に扉のたてつけを直したり、棚を作ってやったりする。

未来になんのたしかなこともないから、居候は2階から夕焼けを見る。

手あかでいっぱいの自分の部屋より、他人の家のほうが落ち着くのはいったいなぜなんだろう。
お父さんのくせ。お母さんの好み。子どもたちの変化。
人と人とがより合ってつみかさねた暮らし。
家族でなくとも、一人暮らしでも、いっこうにかまわない。
一人暮らしの他人の部屋は、そのひと個人の生い立ちがゆっくりじわじわと、沁みこんで見えてくる。
食卓の上の知らないティッシュの銘柄を見て、なるほどなあ、と思ったりする。
根本的には変わらないはずなのに、そこに広がるのはおどろくほど記憶とは別の生活なのだ。
こんなにも別であることが、なんて心地いいんだろう。

自分が居候になりたかったことを、図書館で借りた『随時見学可』(大竹昭子著/みすず書房刊)を
読んでいて思いだす。

大竹昭子の小説は不思議だ。
砂のようにさらさらと乾いているのに、冷たさは感じない。
どこかに向かう一点を書こうとしていない。
出来事と景色が、おなじ重みでさしだされる。
そうか、写真という表現をまるごと言葉にうつしたら、こんな物語になるのかもしれない、と思う。
大竹昭子はぱらぱらめくるより、きちんと読んだほうがおもしろい。

巻頭の『本棚の奥の放浪者』は、旅先の友人の家で暮らす話だ。
部屋には大きな本棚があり、読む本が尽きると語り手は本棚をあさる。
他人の書棚の混沌とした並び。
本を引き出すたびにふくらむほこりと黴の匂い。
そこで見つけたある本にまつわる短い話。
この短編がよかった。

こないだ、ふらふらと早稲田散歩をしていたときに、この「ある本」を見つけて、
高かったので迷い、結局買わずに帰ってきてしまったのだけど、
やっぱり買ってくればよかった、といま思っているところです。
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by mayukoism | 2009-10-16 03:02 | 本のこと
ときどきは、速度のために本を読む。

くたびれた身体に流れをおこしたくて、考えながら読む本ではなく、
イオン水のように、ただひたすら言葉を吸収できる本を読む。
そういう本はすぐに読めるので、たいてい図書館でまとめて借りる。
そしたら、たまたま借りた本が、現代女性作家ばかりだった。

柴崎友香『星のしるし』(文藝春秋)。
柴崎友香、の小説はやや苦手だ。苦手なのにけっこう読んでいる。
読んで、やっぱりわからん、といつも思うのだが、この本を読んでひとつわかったのは、
柴崎友香の小説に出てくる登場人物に、どうしても共感できないのである。
共感するために何かを読むわけではないけれど、人々の行動や考え方がどうにも不可解で、
なんでそっちに行くのかなあ、などとぶつぶつ考えているうちにすとん、と物語は終わってしまう。
読みながら、ほのかな危険を感じて後ずさりしている自分がいる。
そういう意味で柴崎友香の小説というのは、「この人と友だちになるのはたぶん無理だろう」と
申し訳ないが思ってしまう取引先の人、のようなリアルさでわたしのなかに存在している。
このリアルさは、たしかにほかにないと思う。変な言い方だな。

中島京子『エ/ン/ジ/ン』(角川書店)。
中島京子は感性に流れない物語を書く。
出来事やその背景となる歴史をつみかさねて、その層のかさね方で物語をつくりあげようとする。
「ミステリー」に区分けされるような分野をまったくといっていいほど読んでいないのだけれど、
どちらかというと、ミステリーに書き方が近いのかもしれない。
ただ、物語の中ほどで引用される小説がやや長くて、そのあたりから読む速度が停滞した。
『均ちゃんの失踪』、『桐畑家の縁談』、『平成大家族』、この3作で描いたくらいの世界が、
物語の広がりとしてはこの人にちょうどいいのではないかと思う。
この小説のあとに出た『女中譚』も読んでおきたい。

山崎ナオコーラ『ここに消えない会話がある』(集英社)。
山崎ナオコーラの小説は…ちょっと困る。自己表現の「自己」と「表現」の間の距離があまりに近すぎて、
物語と言うより、作者の独白をえんえんと聞かされているような気分になることがある。
が、最近のナオコーラ作品の中では、これはなかなかよかった。
この人の書く「職場」は、おもしろい。同い年どうしなのにタメ口を聞く人と聞かない人、
だれにでも敬語の人、電話を切るときの「失礼します」だけが急に冷たくなる人など、
職場におけるちょっとした所作や会話で、人間がすこしずつあぶりだされていく。
よくわからないお伽噺調の短編や、こんな特別な私、をアピールした改行多用文章よりは、
はるかにいいと思う。
ただ、もしかしたらバリエーションはないのかもしれないな…ぎりぎりのところにいると思うので、
あまり尖らずに書いてほしいと思う。

こうして読んでいくと、1988年の『キッチン』による吉本ばななの登場というのは、やはり
おおきかったのだな、という感じがする。
吉本ばなな自身が融解して「よしもとばなな」になってしまったので、いまではあまり語る人もいないけれど、
どの作品も「初期吉本ばなな」を座標軸として、そこからどのくらいずれるか、どのようにずれるかに、
物語の起点や終点が、いまだにあるような気がする。
それはたとえば「いかにして人は純粋でありつづけるべきか」というテーマであって、
ここ最近の女性作家(定義がむずかしいけど、ここではいわゆる「文芸誌」に
掲載されそうな作家のこと)の作品は全体的に、このテーマの提示の仕方が
あまりにもわかりやすすぎるのではないかと思ったりする。
純粋もたぶん古びる。

あと、これと似たようなことを前にpippoさんと少しだけ話した気がするのだけど、
純粋であることと少女であることと、未熟であることとは、ぜんぜんちがうと思う。
おしゃべりのなかで「純粋」とか「少女」なんて言葉が出てきたら、
ちょっとその相手は信用できない。
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by mayukoism | 2009-10-06 06:36 | 本のこと

身軽と気軽

身軽、と気軽、は、ひびきはたいそう似ているけれど、意味するところはことなる。
どちらかというと身軽になりたい。
気軽というのは、両面あってすこしあぶない。

迎え火から送り火まで、神保町の田村書店はお休みだけど、
小宮山書店のガレージセールはやっております。
昼休みにちょいとのつもりでのぞいたら、かかえこんでいた。
『風流尸解記』(金子光晴著/青娥書房刊)、の扉絵(写真)がすてきだ。
金子光晴のお孫さん、金子若葉作。
若いころの写真が格好よくて、『愛を旅する人へ』(はらたいら著/講談社刊)なども
おもわず購入し、袋はいいです、と言いつつ途方に暮れているところへ、
なんかいいのあった~、と、とつぜんNEGIさんが登場。
まちがった隠し扉から出てきてしまった忍者のような気持ち。
お知り合いに不幸があったとのことで喪服を着てらした。
不謹慎だとは思うのだが、黒い、細めのネクタイがぴりりときまっていた。

NEGIさんと手をふって別れたあと、建物のかげにしゃがんで本をしまう。
ぜんぜん身軽になれていない。

林芙美子を読む女性は、ひょっとしたらみな思うのだろうか。
ちょっと自分に似ている、と。
多分にもれずわたしも思った。
読みはじめたきっかけは、市川慎子(海月書林)さんの『おんな作家読本』で、
じつはいままで林芙美子を一冊も読んだことがなかった。
いまも『放浪記』は未読で、随筆しか読んでいないので語らないけれど、
高すぎる理想に日々の自分が追いつかなくて、ぐちぐちとしょうもない感じが、身につまされる。
けれども、そのしょうもなさも文章になると、芙美子の場合はどこかかろやかで、
読後もいやな印象はまったくない。そうよねえ、とうなずいていたりする。

『文藝別冊 総特集林芙美子』(河出書房新社)所収の「文学志望の娘」(木村徳三)がおもしろい。
改造社時代の『文藝』編集者で、芙美子の家に原稿をとりにいく話。
芙美子の持っている、ある「しょうもなさ」がとてもよく出ている。
岡本かの子、林芙美子、向田邦子、この3人がいまわたしの中でなんとなくつながっている。



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by mayukoism | 2009-08-15 04:11 | 本のこと
黄色いダッフルコートの冬の日、ひまつぶしに立ち寄った江古田の「小竹図書館」で、
ふと手にとった『誘惑者』(高橋たか子著/講談社文芸文庫刊)にうたれ、
そのおそらく翌年に、「神田古本まつり」でおとずれた「小宮山書店」で、
『高橋たか子自選小説集(全四巻)』(講談社刊)を1万7千円くらいで購入したと思う。
そのころはまだ学生だったから、これはかなり思いきった買物で、3回くらい
「小宮山書店」を出たりはいったりしたのを覚えている。

いまでは読みかえすこともほとんどなくなって、なにぶん少々くせのある作家なので、
おおっぴらに他人にすすめることもないのだが、ある日の「往来座通信」に
詩人菅原克己の姉が「高橋たか子」だと書かれてあって、ええっとなった。
高橋たか子についてはなんとなく知っているつもりでいたのだけれど、そのような逸話に
ふれたことがなかったからだ。

これはのちに同姓同名の別人ということで訂正されるのだが、ちょうどその直前に
まこちゃん」のタイトルで紹介されていた「雑司が谷墓地の小さい墓」という詩にひかれて、
菅原克己という人を調べてみて、「なんの交換条件もなくさしだされた手のひら」のような
言葉に圧倒された。このひとの詩をもっと読んでみようと思った。
そして、「姉高橋たか子」さんと雑司が谷についてのかかわりも同時にわかれば、と
ぼんやり思っていた。

その後も、菅原克己と縁がある方々とお会いして、「姉高橋たか子」さんの詩のよさを聞いたり、
往来座ののむみちさんと「小説家高橋たか子」の話になって、『誘惑者』を貸し出ししたりなど、
ややこしくゆるやかに「高橋たか子」めぐりはつづいていた。

ちょうど仙台へ旅立つ6月19日金曜日の正午すぎ、夕方まで勤務だったわたしは
昼の休憩をとっていて、「田村書店」と「小宮山書店ガレージセール」を眺めていた。

社内の異動が発表になるころで、すれちがいざまに上司から情報を聞いたり、
背表紙をたどるとメールが届いたりして、なにより脳内は完全に仙台へと羽ばたいており、
こころもからだも神保町にあらず、といった感じだったのだけれど、
「コミガレ」で、白い背表紙の著者の名前にふと指がとまった。


『詩と散文 草木の窓』(高橋たか子著/栄光出版社)


散文の最後に『草木の窓に添えて』と題する「菅原克己」の文章があり、
「姉、高橋たか子について書くのは、どうにも具合がわるい」と書き出されているのを見て、
ああまちがいないな、と確信した。
他の書籍とあわせて迷わず購入して、そのまま仙台へ持っていって、せとさんにもお見せした。
にぎやかな酒宴のあいまのせとさんが、本を繰るときだけ「店主」の顔になったので、
わたしが持っているより、せとさんが持っていたほうがずっといい気がして、それでもとりあえず、
貸しましょうか、と言ってみたのだが、いやあ、いいですよ、読んだら教えてください、と
せとさんは笑った。

先日、あずけていた荷物を受け取りに往来座に立ち寄った際、せとさんに
「高橋たか子さんの本はもう読みましたか」と尋ねられた。
多忙にかまけてそのままになってしまっていたので、すみませんまだです、とお答えすると、
「もし高橋たか子さんと雑司が谷の関係がわかるような文章があったら教えてください」と言われ、
なんだか使命をあたえられたヒーローみたいな気分になり、うれしくて、さっそく鞄に本を入れ、
今日、出勤前に読みはじめた。

ありました。雑司が谷。

菅原克己詩集『日の底』に、「練馬南町一丁目」という詩がある。
全文をひきたいのですが、すでにここまででかなり長くなっているので、別にひくとして、
この詩のひとつめのパラグラフの終わり、

僕はここで育った、
十五の年から十二年間。


この詞と、『詩と散文 草木の窓』の記述をかさねると、「練馬南町一丁目」に菅原家が越したのが、
大正十五年(1926年)であり、この直前に住んでいたのが「雑司が谷の古い借家」だと
いうことがわかる。
具体的にどのあたりだとか、どのくらいの期間住んでいたのかまではわからなかったのですが、
「大正十二年(1923年)頃」に、師である白鳥省吾氏のお宅訪問を、たか子さんが
「雑司が谷訪問」という題名で書いていることから、訪問後~1926年の間のことかもしれない、と思う。

ふたりの「高橋たか子」をめぐって、江古田と、池袋と、雑司ヶ谷と、仙台と、小宮山書店が、
わたしのなかで、不思議な円をなした。
さきほど、これも偶然にすれちがった自転車のせとさんを呼びとめて、おもわず興奮して
話し出してしまった。夏の夜道のせとさんは、目をくるくるとさせて聞いてくれた。

散文に記されている年代がばらばらなので、後日(せとさんごめんなさい)整理することにして、
とりあえず、「姉高橋たか子」さんが雑司が谷から練馬の家に越したころのうつくしい文章を一部、
少々長いですが、そんなに読めるものでもないと思うので、ぬきだしておきます。

 私たちは、雑司ヶ谷の古い借家から嬉々として、新築の家に引越した。
早大に行っていた夫、小学校の教師の私、豊島師範生の克己、
小学生のまさ、竜三、みどり、それに孫の三歳児の光郎の大家族を引き連れ、
母は、ゆったりと太り、気品に満ちているように私には見えた。
一年後に、私のすぐ下の妹のきよが、宮城県塩釜小学校から転任して、
東京高田第二小学校の教師となって加わったので、家はいよいよ賑やかになった
(長兄の千里はその頃はまだ東京市内で独立して働いていた)。
 学校の仕事でおそくなり、夜になって江古田駅に降り、一本道の入口に立てば、
我が家の部屋部屋に燈がともり、またたき、輝き、何やら賑やかに立ち居する人の
影まで見える。私は飛ぶように一本道を急ぐ。「楽しき我が家」が実感として胸に溢れた。
 練馬の家、その家は、実に我が母そのものであり、私達きょうだいに、
また、私の子供らに此の上もなく美しい幼時の思い出として鮮烈に残ったのである。

『詩と散文 草木の窓』所収「普請好き(一)」より

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by mayukoism | 2009-07-10 02:20 | 本のこと