乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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2011年 02月 19日 ( 1 )

待つということ

というタイトルの本がずいぶん前に出ていて、それはそれで気になっているのだが、
じつはまだ読んでいない。

今日、わたしは旅についてのある講演を聴いた。
講演の終わりの質疑応答で、さいごに出た質問は「帰っていく場所」について問うものであった。
わたしが聞きたかったことにちかい質問であったが、答えを聞いてみて、
やはりすこしちがうと思った。
作家は出身地のことを言った。
哲学者は学ぶ場所のことを言った。
自分はなにを聞きたかったのだっけ。
プロジェクターの低いうなり声が、足のほうからゆっくりとたちのぼった。

わたしは、自分のどこかがいまも、待っている状態にある気がしている。
二十歳のころ、長い旅に出た友人がいた。
旅に出ることを「選べる」年齢になっていることを、そのときまでたぶんわたしは気づいていなかった。
旅に出ることを選ぶ人と、旅に出ることを選んでいない自分とはなにがちがうのか、と考えた。
それで小さい旅に出てみた。
ひと夏、山中湖の保養所で住み込みで働いたのだ。
母屋の二階の六畳間が、その夏のわたしの部屋だった。
とおくに湖面がひとひら見えた。
わたしはそこで、東京にある「ほんとうの自分の部屋」のことをときどき思った。

読書感想文でいただいた賞状が額にかざられており、
修学旅行で行った金閣寺のお札が、デスクマットにはさまっており、
揺れないようにと、父の読んだ週刊誌が机の脚とピンクの絨毯の間に敷かれている。

それらがなくてもわたしはわたしであると、急にわかってしまった。

あの季節、初夏から冬の終わりまでがひとつの季節で、わたしはあの季節に待ちながら旅をしていた。
待つことがどんなことかを知りたくて、待つことを旅していたのだ。
待つことを旅するうちに、わたしはいろんなことから切り離されて、急速にひとりになった。
暗闇でかたちをたしかめるように、自分のひとりをたしかめていた。

旅に出た人からすれば、それは旅などではないのだろう。
旅とはもっとアクロバティックで、事件で、大がかりなものなのだろう。
だからたいていの場面では、旅に出た人が主人公になる。
旅に出た人が見た景色や聞いた言葉を、旅に出なかった人は未知のものとして聞く。
でもわたしは気になるのは、「旅に出なかった人」の日常のほうで、
旅に出た人の不在を感じながら、そこにとどまって生活することの、

そのきらめき。
その思慕。
その耐えがたさ。
そのきよらかさ。
その嫉妬ふかさ。

とはいったいなんなのかと、それを尋ねてみたかったのだが、
それはあのとき、肉声の世界では言葉にならなかった。
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by mayukoism | 2011-02-19 03:10 | 言葉