乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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2009年 08月 07日 ( 1 )

働く、ということを愉しもうとする自分と、逃げようとしている自分とがいつもいて、
ふたりの自分はときどき果てしなく遠ざかっていく。

目の前にやるべきことがあれば、それをなるたけ完璧なかたちで遂行しようと考える。
そのために必要な準備をして、ときには慎重に、ときには勢いでとりかかる。
それだけのことだ。それだけのことがつみかさなって、なんとなく巻きこまれている。
なんのためなのかよくわからない。
でもこれをつみかさねないと、暮らしていけないのだということはわかっている。
目の前の、たとえば650円のあじのひらき定食を食べたいと思ったとき、
食べるためには、あじのひらき650円分の余裕が出るまで働かなきゃいけない、
働くという行為でしか、いまの自分はこのあじのひらきと向き合えない、と知ったとき、
自分の中の「何もなさ」が、はじめておそろしくなった。それは28歳の夏だった。
その後、運よく縁のできた会社に入って、毎月決まった日数を働いて、
決まったお給料をもらっているけれど、いつまでたってもあの「何もなさ」は消えない。
人件費を減らされていくことに不満を言う人、自分の持ち場の大変さを主張する人、
さまざまな人の話を、真剣に聞かなければ、と思う。
ときには自分も従業員の代表として、そういったことを主張しなければ、とも思う。
でも、できない。
する気がおきない。
あなたが信じている「それ」はふいに消えたりもする。あなたが思うほど「それ」は
あなたのことを考えていない。そしてそこには、本当は「何もない」かもしれない。
「何もない」かもしれない、と気がついてしまったときのこわさと比べてしまうと、
会社の中で自分の立場を主張したりすることに、まったく真剣になれなくて、
そのときは真剣な人たちに申し訳ない、とも思うが、こればっかりは
もうどうしようもない気もする。たいがいの場面でけっこうひねくれている。

少女であるから純粋だなんてすこしも思わない。
不器用だから純粋であるとも。
世の中の大部分の人々が暮らしていくために働いていて、同じように暮らしていくために
自分も働いて、そこからでしか見えないものがきっとあるはずだと思った。
要領がよかったり、見栄をはったり、ずるがしこかったり、攻撃的だったり。
だからと言って純粋でないとは思えない。
それをしないから純粋であるとも思えない。
ただ、カーテンのついた一人の部屋からは見ることができないものを、自分の足で
見に行きたいとは思う。
それのひとつが働くこと、であるのだけれど、どうしてもアルバイトに注意をうながさなければ
いけない事態が起きて、別室でふたりまとめて教え諭す、ようなことが起きると、
茹ですぎたほうれん草みたいにくったりとくたびれたこんな夜は、もうこのまま一生
だれにも会いたくない、と思ったりもする。
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by mayukoism | 2009-08-07 02:40 | 生活