乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

2009年 07月 01日 ( 1 )

仙台で、なにがあったというわけでもないのだ。

今回は自分の箱を出していたので、観光のことはまったく考えていなくて、
自由時間をいただいて、こまったくらいのものだ。

そんな感じだから、こころゆくまで愉しんだかと言われると、そうでもないような気もするし、
残念ながら両日とも天候にめぐまれなかったので、右の靴ばかりがつねに湿っていたし、
だれがなにを求めているかを先に量ってしまう傾向があるので、大勢の人のなかで、
自分がどのようにふるまいたいのかが、どうにもよくわからなくなったりだとか、
帰京して、休んだ間の仕事の滞り具合にうんざりして、Tシャツをぬぐみたいに、
自分のまわりの景色をそっくりうらがえしてやりたい、とこころの底から願ったりだとか、

こうしてふりかえってみると、仙台の2日間は断片的で、ふいにきらめいたと思ったら
次の瞬間にはうつむいて考えこんでしまうような、じつはどうにも表現しがたい記憶ばかりなのだ。

からだはとっくに日常に慣れている。
それなのにまだ、息つぎをするように仙台の2日間を思いこがれてしまうのは、
ある特定の出来事や景色のことではなく、2日間の総体、あのときだれがどのように動いて、
どのように発言をして、どのように自分がそこにかかわったか、そういった動きの総体に、
自分の、理想的な労働の一面をかいま見てしまったからだ。

それは総体であって、じゃあ何がしたいのか、とか、これからどうしたいのか、とかいう
具体的な目標みたいなものはまったくなく、ただ、この自分のやっていることが
確実にだれかに届く感じ、しいていえばそういう目には見えない、つながり(単なるつながり、
そこにセンチメンタリズムはない)、みたいなもののこと。

かたちにはのこらないかもしれない、でも絶対的に信じられる、そういうやりとりがしたい、
ただそれだけなのだけど、それを芸術ではなく、労働につねにもとめることはできないものだろうか?
それとも、それはやっぱり、ある程度の規模の組織の中にいてはできないような、

そういうものなのかなあ。
そういうことなのかなあ。
[PR]
by mayukoism | 2009-07-01 23:34 | 生活