乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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2008年 11月 15日 ( 1 )

時間を超えていく

朝、はたと腕時計を手にとると、短針が3を、長針が6のあたりをさしている。
あ、とまった、と思う。
いっとき、空へ放り出された宇宙飛行士のような気持ちになるが、
なければないで、慣れるものだ。
かろやかな左手。自由な左手。
働いていなければ、たぶん腕時計はつけない。

読了。
『いつかソウル・トレインに乗る日まで』(集英社/高橋源一郎著)

これはほんとうに、高橋源一郎の小説なのだろうか。
まちがって、村上春樹の小説を手にとってしまったのではないか。
読み終えて、とてもながい旅行をしたような気持ちだった。
それは距離ではなく時間で、未来ではなく過去だった。

あるときまなざしが交錯し、あとはどんどん純化されていく。
純化されながら、言葉が生まれつづける。
言葉が生まれつづけて、ひとつとひとつの存在になる。
ひとつの存在は言う。

「わたし、言葉なんか、いらない」
だから、ぼくは、ただ微笑んだ。ぼくの内側にあるのは、「喜び」ですらなかった。あるのは、小刻みに震えるような、「哀しみ」だった。いや、それは、ただの言葉でしかない。ただ、ぼくの内側で、それは、震動していて、その震動の一つ一つが、ぼくを強く揺さぶるのだ。


もう少し、「運動」の歴史や精神が物語全般にからんでくると、厚みが出たのでは
ないかと思うが、それはあえてしなかったのかもしれない。
この小説を、ほかのだれでもなく高橋源一郎が書いたこと、そのことをどうしたって
考えてしまう。
遺言、という単語が頭にうかぶ。いや、高橋源一郎は元気なはずなのだけれども。
なぜ、世界を言葉でここまで純化しようとしたのか。
高橋源一郎は、どうしていま、こんな小説を書いたのか。
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by mayukoism | 2008-11-15 00:13 | 本のこと