乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

河岸段丘

本棚を眺めながら、故郷について話していた知人が、ふいに河岸段丘、と
言ったのだった。
かがんだんきゅう?
その人は宙に指で、見えない図をえがいて説明した。なぜかその日からずっと、
河岸段丘のことが頭からはなれない。

だから、『未見坂』(新潮社/堀江敏幸著)で、河岸段丘が出てきたとき、
意識はそこに集中した。
『雪沼とその周辺』に連なる短編集として刊行されたこれらの小説も、おそらく
架空の町が舞台なのだろう、と調べてみておどろいた。
すっかり忘れていたのだが、『雪沼』には「河岸段丘」という短編がふくまれて
いたのだった。

『いつか王子駅で』で、物語の中で閉ざされていたすべての場所が、
ゴールに向けて後ろに流れていくような、あの感じがとても好きだったので、
『雪沼とその周辺』を読んだとき、美しいが少し抑制がききすぎていると感じた。
『未見坂』を読んで、どうもその印象は間違っているような気がした。
夏の引越以来、はじめて整理した本棚から『雪沼』を出そうとしたが、ない。
『雪沼』のみならず、好きな『王子駅』さえもない。なんでだ。

そんなわけで、ひとまずは『未見坂』を読了。
河岸段丘のある町に住みつづける人、出て行った人、戻ってきた人、
さまざまな人が、さまざまな角度から、この町にひかりをあてる。
それは明るさではない。雪に反射する白銀灯くらいの暗さで、
風景はぼんやりと浮かびあがる。

すべての物語に別れのにおいがする。それは死や死の予感であり、
離婚であり、あるいは町の変化の兆しである。
人々は個人的な体験を語る。だれもが些細な、しかしそうおいそれとは
切り出せない繊細な出来事をしずかに語りはじめる。それはどこにも届かない。
それはただ幾層にも重なって、気づくといつのまにか大きな流れをつくっている。
きっと、見たことのない河岸段丘のように。

読んだのち、この町と、この町に暮らす人々の姿がいつまでも離れないのだ。
テンションの高さで、安易に感情に訴えるような文体ではまったくないから、
物語と、読んでいる「わたし」との距離は遠い。なのにいつまでも離れない。
そしてそのことがなぜこんなにかなしいのだろう。

どの短編もよかったが、初読でまずすごいと思ったのは、『苦い手』、つづいて
『戸の池一丁目』、『プリン』、『未見坂』(これは収録の順番)でした。
今日はこの本をときどき読みながら、ときどきうたたねして、原稿を書く人の横顔や
背中を見ていた、そんな冬のはじめの休日でありました。
お米を研ぐ水をこの部屋ではじめて、冷たい、と思った。
[PR]
by mayukoism | 2008-11-06 02:25 | 本のこと