乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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想像の地図

故郷に帰るひとを見送ったのち、鬼子母神の「御会式」へ足をのばす。
日蓮聖人の供養祭りである「御会式」は、日蓮の命日に合わせて
毎年10月16・17・18日に開催されるのだという。夜の闇に白い万灯が
ふわふわと浮かびあがるこの祭りの存在は、ついこないだ知った。

たくさんの屋台で迷路のようになった鬼子母神の境内を、偶然お会いした
Nさんの背中をたよりに歩く。焼き鳥の煙の向こうに見知った顔が見える。
さしだされたチューハイのプルトップをかしんと上げ、「なににパラフィンを
巻いてるんだか」などと言われているうちに、ひとり、ふたり、とさらに
知った人たちが集まってくる。頭の芯をふわふわとさせながら、
ここにいないひとのことを時々はぼんやりと考えたりもする。

東京郊外のH市で育った。
H市には「御会式」のような神社や寺が母体の祭りはない。
バス通りが土日の二日間歩行者天国になって、商店街沿いにずらりと屋台が
出るような祭りはあるけれども、実はほとんど行ったことがない。
ものごころついたころから、週末は本屋を営んでいる祖父母の家に行くのが、
なぜかわが家の習慣になっていて、すっぽかしてまでその祭りに行きたいとは
思えなかったためだ。

それでも「御会式」で、裸電球のあかるさにあふれた境内を歩きながら、
この風景をなつかしい、と感じたのは、件の祖父母の家の近くにあった
「八幡様」の秋祭りが、ちょうどこの「御会式」をこぢんまりとさせたような
お祭りだったから。このお祭りが毎年楽しみでしかたなかった。

とくにぺらりとしたプラスチック?の台紙に絵を描いて、それをトースターで焼くと
縮まってキーホルダーになる、というのが好きで、かならずいの一番にやった。
夢中になって色を塗るうちに耳鳴りのような喧騒が届いて、ほら神輿が来るよ、と言われる。
神輿が来ても子どもにはどうってこともないのだが、なんとなくそれが儀式のような気がして、
おとなしく見に行く。
こういうのもH市のお祭りにはなかった。

Mさんの「御会式」の話を聞いていると、ああ、ここで育った人なんだなあと思う。
Mさんの身体の内側に、この土地の景色がしっかりと根づいている。
幼いころ、思春期のころ、大人と呼ばれるようになってから、とその「景色」は
たしかな時間の流れとともに蓄積されて、生きている。息をしている。そんな気がする。

育ったH市を、故郷と思ったことがない。
いやだと思ったこともないけれど、なつかしいと思うこともあまりない。
近いせいもあるだろうけど、地元、という言い方も自分の中ではあまりしっくりこない。
故郷、というものをいままで感じたことがない。
ただ、今の自分のルーツだと思える場所ならば、少ないけれどいくつかある。
そのうちのひとつが、祖父母の(いまは祖母ひとりの)本屋のある街である。

故郷ってそんなに大切?と登場人物が発言する小説か随筆だかを、つい最近
読んだ気がするのだけど出典が思い出せない。
大切かどうかはわからないけど、うらやましいな、とは思う。
やがて「御会式」も終わり、故郷から帰ってきたひとが育った町の地図をもってきてくれた。
地図を広げて、ここに家があって、この川を毎日わたって学校に行って、ここに蕎麦屋が、
などと言うのをふんふんと聞きながら、自分のなかにもその「故郷」の地図をえがいてみる。
想像の「故郷」はとおく、ただどこまでも近しい。
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by mayukoism | 2008-10-21 04:39 | 見たもの