乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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忘れるということ、忘れられるということ

むかしなら原稿用紙、今ならパソコンの画面を前にするまで、
自分が何を書き出し、どこにたどり着くのかまったくわからないし、
決めていないと述べる小説家は多い。
作家が一体、どれくらい詳細なプロットを立てて書くのかが気になって、
いくつかのそういう随筆や評論を拾い読んでいた時期があった。
そして大概、「どこに行くのかわからない」小説のほうがおもしろい。

『再会・女ともだち』(新潮社/山田稔著)はどちらかというと
プロットのある小説だと思う。短篇小説としてはっきり言って
「完璧」だと思う。
物語の前半に出てくる印象深いエピソードやちょっとしたアイテムが、
物語の後半になって活きてくる。出来事に無駄がなく文章は感情に流れず、
最後の一文によってきれいに環がなされる。

こういう「完璧」な短篇は、個人的な好みからは正直外れているのだけれど、
この短篇集はなぜだかたいへんにおもしろく読んでいる。
それは、ひとつの短篇に物語の軸が複数あり、いくつかの軸を
同時に追うので飽きないことと、いずれの短篇にも共通して
「忘却」というテーマがあること、このふたつが大きい。
とくに後者については、忘却「される」側と、忘却「してしまう」側と
どちらの立場からも描かれていて、そのシチュエーションは様々だが、
いずれも身につまされる。時代も、語り手の年齢も違うのにどうしようもなく
ぐっとくる。

「忘却」する、あるいはされることの内にはかならず時間の経過がある。
時間の経過の中には変化があり、「忘却」も変化のひとつである。
経過も変化もとめられない。『再会・女ともだち』のいずれの短篇も
語り手は変化に多少はとまどいながら、最後は受けとめる。
受けとめて、ただ見ている。
物語のはじまりとおわりを、しずかな森のような視線がまっすぐに
つらぬく。

そのしずけさに、ただ進みつづけるしかない人の歩みの
やるせなさを思う。ほんとうはここでとどまっていたいのに、
秒針に押し出されるようにして人は老いを、死を、あらゆる変化を
感受しつづけなければいけない。それをかなしいとか切ないとか
言葉で感じる前の、生のままの出来事がこの短篇集では
緻密に描かれている。



本日の夕飯は近くのうどん屋で文筆家のKさんと。
ビール、梅酒、本当のトマト、たこの頭の刺身、万願寺とうがらし、
厚揚げ、アスパラのおひたし。おいしゅうございました。
雑貨関連のレセプションでおしゃれ男子&女子をたくさん見た。
目の保養になった。しかし人生においてどこでなにをどう選択すれば、
あのようなおしゃれ人になれるのだろうなあ。不思議だ。
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by mayukoism | 2008-09-03 23:18 | 本のこと