乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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タツノオトシゴは海の夢を見るか

来年定年になるという、以前の職場の取引先のMさんと湯島で会う。
Mさんは新しいブの袋を自慢げにかかえて待っていた。
中には小川国夫の『夕波帖』や芝木好子の『湯葉』、李恢成や戸板康二など、
全部均一の単行本。夕波帖は今度もらう約束をする。

前に連れて行ってもらった飲み屋が今日は混んでいるから、と言って
少し歩く。歩きながら生き死にの話をする。
わたしは、こないだ実家の犬が死んだ話をした。
まだ会えると思っていたから、看取ってあげられなかった。
夢にも出てきてくれない。

お酒が少し深まったところで、おれが最近たのしかったのはさあ、とMさんが
にやにやしながら話しだした。
Mさんはときどき早口で、うるさい飲み屋だと言っていることがよく聞きとれない。
なんですか、よいしょと耳を近づけた。



おれが最近たのしかったのはさ、先週末、妹に会いに行ったんだ。
東京の西のはずれにね、親父が別の女の人との間に生ませた、
妹がひとりで住んでる。
娘さんがふたりいて、ふたりとももう結婚して家を出てるって。
今年のはじめにおれのおふくろが亡くなったから、まあ、いろいろ
分けるもんがあって、それでね。

T駅のスタバで待ち合わせして、おう久しぶり、なんてあいさつして、
とんかつでも食うかっつって駅ビルの上のとんかつ屋に行ったんだ。
あのさあ、おれ、ちょっと飲んでいいかな、って言ったらいいよって言われて、
おれだけビール頼んで、で、渡すものわたして、このあとコーヒーでも
飲むかって聞いたら、あたしコーヒーだめなの、だからここで、って
別れた。

妹はさ、腎臓がいっこしかないんだよ、若いころ手術して、だから週に一度
人工透析に行ってる。
おれ、前に韓国のおねえちゃんがいる店に行ったときね、聞いたの。
なんか腎臓に効く漢方とかないのーって。そしたらさ、あれ?なんだっけ、
あれ、海辺の土産物屋とかでさ、小瓶に入ってる、えっと。
あ、そうそう、タツノオトシゴ。
タツノオトシゴを乾燥させて、煎じて飲むといいって聞いてさ、だから
買ってやったのよ、タツノオトシゴ。
こーんなおっきいタツノオトシゴ。
で、あげた。あれ、飲んだのかな、飲んだかどうかしらないけどさ。

おれ末っ子で、兄貴と姉ちゃんがいるんだけど、ふたりはいい顔しないんだ。
妹に会いにいくの。
でもさ、いいじゃん、なあ。
まっすぐな、まっとうな家族もそりゃあいいけどさ、ちょっとくらいぐちゃぐちゃしてても、
面白いんじゃないかね、家族って。



Mさんは小松政夫みたいなおじさんで、だいたいいつもふざけている。
おれはー♪万年ー♪ヒラ社員ー♪と変な節で歌う。
でもさ、ヒラでいつづけるのも大変なんだぜえ、となぜかここで急に真顔に
なったりする。
この話も口をとがらせて、肩をくねくねさせながら気持ちよさそうに話していた。
わたしは、聞きながら、なにかが、どこかから、あふれそうになってしまい、
それ、すごくいい話じゃないですか、とだけ言った。
あ、今低い声になった、ととおくで思った。



他、その日絶好調だったMさんの台詞。
ただ、わたしが忘れないためだけにここに書いておく。

・おれはジェラシーのひとだから。末っ子ってそうなのよ。

・おふくろは苦労してるし、好きだよ、でもなんか言われたこと覚えてるのって
親父のほうなんだよなあ。
おまえは勉強もしないし、だめなやつだけど、自分にわからないことをしたり、
自分にうそをついたりするようなことはしないほうがいいだろうなって、新宿で
ばったり会ったときに言われた。



駅までの道すがら、
Mさん、定年までにもう1回くらいは会いましょうよね、と言うと、
ばっかだなあ、おまえ、あと3回は会うよ、とMさんはやはりにやにや笑った。
で、手をふって別れたあと、飛び乗った電車の中で受け取ったメール。

・上野発、発車。気をつけておかえり。また。
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by mayukoism | 2008-06-09 00:49 | 聞いたこと