乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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世迷いごと

道に迷うのが好きだ。
もとい、人といて、道に迷うのが好きだ。



住所と地図があれば目的地にはたどりつける、ということは
住所と地図がなければ、まったくの方向音痴であり、空間把握能力もおそらくない。
方向音痴であることは「女子」っぽくて、じつはすこし悔しい。
方向音痴であることを、あまり声高に言いたくはない。
ただ、時間までにどこどこへたどりつきたい、なんてときはだれかがいてくれるとたすかる。

たすかるのだけど、先導役が首をかしげたり、やっぱりこっちかも、などと言って
急にUターンしたりすると、わくわくしてしまう自分がいる。
先導役にとってはこれ以上ないほど、ハタ迷惑な話だろうという自覚はあるので言わないけれど、
じつはこころのなかで、きた、きたぞ、と思っている。

道に迷う、というのはあらすじからはずれることだ。
大団円に向かってまっすぐにつきすすんでいた物語が、
読者の、作者の予想さえもこえて、勝手にまわりだす。

迷わなければ歩かなかった道。
迷わなければうまれなかった時間。
沈丁花の植え込み、工事中の家、補助輪のついた自転車。
だれが通ろうと、これらの景色はずっとここにあり、わたしにとっての非日常は、だれかの日常なのだ。
そのことを感じるとき、迷っているという現実はまるごと、わたしにとってSFになる。

迷ったかも、と言われると、おたがい無防備になる感じも好きだ。
年齢、住所、家族構成、先月の給料、ええいどうでもいいな、いったんすべて脱ぎ捨てて、
ただ情熱と知恵をもちよって、目的地までの道すじを必死にさがそうとする、
そのあけっぴろげな感じは恋に似ている。
実際は恋でなくてもいいのだ。まるで恋みたい、と思う気持ちだって日々のうるおいなのだ。



子どものころ、祖父が少し離れた町の桜並木を見に、散歩に連れていってくれたことがあった。
遊歩道のあちこちで花見をしている集団を見て、ぐるっと帰るつもりだったが、
やがて握る手がすこしずつこころもとなくなり、帰り道わかんなくなっちゃった、と祖父が笑った。
ええー、おじいちゃん、どうするのー、などと言いながらわたしはちっとも困っていなかった。
俳句をたしなむ祖父の話はいつもおもしろくて、わたしは祖父といるのが好きだった。

その日は遅くに帰って、わたしは祖父が道に迷ったことを家族に吹聴した気がする。
道に迷ったことがほんとうはとてもうれしくて、たのしかったのに、そうは言わなかった気がする。
祖父はたぶん笑っていた。
まいったまいった、と苦笑いしていたと思う。
もうすぐ、祖父の七回忌だ。
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by mayukoism | 2012-04-21 04:22 | 生活