乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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手紙と星座

ほとんどがチラシであることをたしかめるために、むっつりおし黙る銀色の集合ポストをひらくとき、
ひらく手の内側でほんのすこし、未知の国から自分宛ての招待状が届いているのではないかと、
ひととき想像にふけるわたしを、はい、認めます。

もちろん想像はたんなる想像でしかなく、住宅やピザやネット回線の過剰にはなやかな宣伝を、
なにも思わないようにしながらゴミバコにすべらせるのだが、いつもとちがったのは、
おそらく前の住人宛てのものと思われる郵便物が、そこにまぎれていたことだ。

番地も、部屋番号も同じで、名前だけがちがう。この名前ははじめてだ。借家ではよくあることだ。
手のひらの上の知らない名前を、近しいようなわずらわしいような、奇妙な距離感をもって、見る。
この名前がわたしではない、と、わたしはどうやって証明できるのだろうか?とふと思う。



先日、職場の書店に、一昨年亡くなった祖母の話し方によく似たお客さまからの電話があった。
耳に心地よいイントネーションはおそらくあの地方のものだろう、と思っていたら、案の定近い住所だった。
脚がわるく店まで行くことができない、いくらかかってもいいから本を送ってほしいという電話だった。

名前を尋ねられたのでお伝えすると、「OOさん、ありがとう」と告げられて不思議な気分になった。
祖母はわたしをとうぜん下の名前で呼んだから、よく似た口調で苗字を呼ばれ、お礼を言われると、
それこそ未知の国からの電話のようでぼんやりとする。

また職場の別のフロアにて、よく電話で無理難題を言うお客さまがわたしと同じ苗字で、
これもまたなんとも、居心地がわるい。日誌に書かれた名前と無理難題のいきさつを読みながら、
意味もなく脚を組みかえる。なんとかしなくては、とつい思ってしまうが、なんともできるわけがない。



ふたたび手紙の話。

カルカッタを通過する知人に送るよう頼まれた手紙は、大使館留め、領事館留め、中央郵便局留めと
受取場所が3つあって、10数年前のネットのない時代、バックパッカーへの連絡手段はほかになく、
3通の手紙を書いて、それぞれの場所に送ったことがあった。

が、3通の手紙はいずれも受けとられることなく、知人は次の土地へ移動することになった。
袋か、箱か、ひっくりかえして探してもらったが、わたしの手紙はそこにはなかったと聞いた。
異国の地で、ひっそり目をとじたまま消えてしまった3通の手紙のことを思うとき、なぜか星座が思いうかぶ。

はるかな闇に点在する茫漠とした光に、地上から名前をつける。
名前をつけることで、はるかなものを少しだけこちらにひき寄せようとしたのだろう。
届かなかった手紙を思うことは、星に名前をつけようとすることに、少しだけ似ている気がする。
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by mayukoism | 2012-02-11 03:46 | 生活