乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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犬派と猫派

どちらかというと自分は犬派だと思っている。

散歩中の犬をじっと見る。
おしりがふりふりとゆれるのを見るのは、しあわせだ。
往来で犬同士が出会うと、どのような態度をとるのか、息をつめる。
くるったように吠えるのもいれば、無防備に相手の匂いを嗅ぎにいくのもいて、さまざまだ。

3年前まで実家に犬がいた。
長毛の秋田犬で、大型だったので散歩していると「熊!?」とよく驚かれた。
臆病で、よくほかの犬や、人も噛んだ。
わたしも一度不注意で左の薬指を噛まれ、3針縫った。

でも、好きだった。
実家を出ていたのでたまにしか会わないのだが、帰るたび熱烈なキスの歓迎をうけた。
やつが後ろ足で立つと、わたしとキスをするのにちょうどいい背の高さになった。
亡くなる前に帰ったいちどだけ、もう後ろ足で立つことができなかった。
わたしがしゃがんだ。

いまでも犬を見ると近よりたくなるし、目と目で通じあったりもしたい。
けれど、犬派vs猫派というあちこちでくりかえされる他愛ない会話のなかで、自分は
「どちらかというと犬派」
というおもしろくない答えをかえしてしまう。

自分が好きなのは実家にいたあいつで、あいつがたまたま犬だから、自分は犬が好きなのだ。
そもそもずっと犬が好きだったわけでもない。きらいだったわけでもなかったけど。
わからない。



雑司が谷に住んでいると、この街は「猫派」だったら聖地のような場所だと思う。
毎日のように猫とすれちがう。
すれちがいながら目があう。見つめあうこともしばしばある。
人懐こいやつもいて、見つめあううちに寄ってくる。

額、のあたりを親指でそっとなでる。
触れたとたんに、すっと目の前のあたたかみが遠くなる感じがする。
人間ってふがいないな、と思う。
こんなふうに寄ってきてくれたあんたに対して、いま、あたし、撫でることしかできない。
いっしょに屋根の上で休むこともできなければ、フェンスの縁を駆けることもできやしない。

猫と対面すると、人間はひどく無能な生きものだと感じる。
自分は自分の、おまえはおまえの世界で、問題を勝手に解決して、生きていくしかないのだなあと思う。
猫というおおらかな大地のような生物を、自分はひきうけられないとつよく思う。

亡くなった実家の犬の遺骨を、庭に埋葬するのに墓地から分けてもらう話が、家族から出たことがあった。
自分は実家を出た身だから、と前置きしたうえで、反対した。
あの、しなやかな身体を、分けてしまうのはかわいそうだと思ったこと。
もうひとつは、家族の一員としての自分が、小さな庭にある彼の一部を守りつづける自信がなかったこと。

生きものをひきうけることは、はてしがない。
ひきうけることについて考えることも、はてしがない。
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by mayukoism | 2012-01-20 02:36 | 生活