乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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デパート随想

ひとの買い物につきあうため、ひさかたぶりに新宿伊勢丹にはいると、
しぜんと背筋がのびるような感覚があって、自分にとってデパートとは
やはり「おでかけ」であり、「よそゆき」であるのだ、と思う。

目白、雑司が谷に暮らしはじめて3年が経ち、池袋までは歩いていける距離なので、
セーブやらトーブやらにふらりと寄るのにも、もはや違和感はないのだけれど、
「きょうはイセタン」と言われて、ああ大人につきあうのめんどうだなあ、と思いながら
ふだんは着ないツーピースなどに袖をとおす子どものころの、あの複雑な高揚感を
伊勢丹に来るとありあり思いだす。

いらっしゃいませ、とまぶたに色を塗った、脚の長いおねえさんたちは笑うけれど、
そこには見えない壁があり、いまの自分は大人といっしょでないとあそこに入れない、
おねえさんたちはわたしに笑ってはいない、ということを、
だれに教わらずとも肌で感じた、デパートと自分の「遠さ」が身体に戻ってくる。

しかし、セール中のコム・デ・ギャルソンで、抽象画のように乱れたガラスケースをながめながら、
いったいここに届くことばというのはあるのだろうか、とふと考えてしまう。
5万円のキュプラのジャケットを買おうかどうしようか、目の前で悩んでいる人にむかって、

葬列、白いのは犬


という金子兜太の句が、今朝、ホームで電車を待つとなりの人の文庫本の中に見えて、
頭のなかに閃光がはしったかと思った、というようなことをいったいどれだけ伝えられるだろう。
あるいは、twitterをひらいたら、タイムラインに表示された「大島弓子bot」が、

文明人は電気がきれたら食うか寝るかしかできねだよ 
おらとなりの衆よんでくる 
酒もりすべ
(『サマタイム』)


とつぶやいていて、もう家に帰りたくなってきました、というような話をしたとして、
どれだけの人が耳をかたむけてくれるだろう。

高いものは良いものだ、という感覚は厳然とあって、わたしもそのように教わった。
デパートにいると、その現実があまりにもわかりやすく、明らかに見えるので、
じゃあことばをいまここにならべてみたら、それは「高いもの」と判断されるだろうか、
だれかが手にとって、持ちかえってくれるだろうか、と思わず不毛なことを考えてしまう。

そもそも「ことば」には値段をつけられるのだろうか?
では書籍に値段がついているのはなんなのか?
紙、印刷、製本、装丁、時間、労力。
詩集は高額。週刊誌は安価。
とつぜんそんなことが不思議に思えてくる。

そんなふうにしてようやくひとりになったら、どっと疲れてしまった。
買い物は好きだけど、ひとの買い物につきあうのには骨がおれる。
わたしと「イセタン」との間にはいまでも見えない壁があった。
見えない壁は、あったままでもいいのだった。わたしにとっては。
さあ、セーブやトーブのある池袋に帰って酒もりすべ、と
文明人は、文明人でひしめきあう夕暮れどきの山手線に乗った。

まーるい緑の山手線は汗の匂いがした。
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by mayukoism | 2011-07-07 06:03 | 生活