乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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現在という時間といまという観念

雨の予報を耳にすると、つい雨を待ってしまう。
雨が降る前にうごきだせばいいのに、雨が降りだしたのを見て
雨だ、雨だね、とちいさなだれかに話しかけたい。
本日の雑司が谷はまとまった雨が降りだすことはなく、
ひらいたまま頭にはいってこない本の言葉のように、
ときおりぽつぽつと粒を感じるていどだった。

雨の意味が、3月11日から変わってしまった。
わたしは雨の日が好きなので、なぜならそれはどこにいても
雨にかこまれて自分の部屋ができるから、
傘ひとつぶんの空間にかくれて、空想を咎められない気がするから、
だから雨が好きだ。
雨のにおいや土のにおいを肺の細胞の襞まで、吸いたい。
そこにほのかな不安があることにとまどう。

こないだレジに入っていて、いらっしゃいませ、と本を受けとったときに、
ふとなにか、理解のかたちのようなものが自分のなかにおりてきた。
ふだん新刊書店ではたらいていて、レジに入ることもそれなりにあるのだけど、
抜き手をきって泳ぐように、つぎからつぎへと本を受けわたししながら、
ときどき目の前の出来事とはまったく関係なく、なにかがふと
おりてくるような気持ちになることはよくある。

いま、というのはまだ書かれていない本のことなのだ。

そのときふってきたのはそれだった。
手わたされた本にカバーをかけながら、
書かれた本のことばかりを、描かれてしまった色のことばかりを、
自分は考えていたのではないか?とふいに思った。
書かれた本は目に見えるし手をのばせばとどくから、
つい、すでに形になっているものばかりが鮮やかに自分のなかへきざまれてしまう。

大事なのは、本はまだ書かれていないということだ。
いま、というのはつねにまだ書かれていない一行のことだ。

現在という時間は書かれた本、描かれた色、奏でられた音にあふれていて、
漠然となにかをしたい、ような気がする、そんな気持ちをおしながす。
いま目の前にあるすばらしい本や絵にくらべ、ぼんやりとした夜の個人的な焦燥なんて
なんて無意味、と自分で自分をあきらめてしまう。
ただ、焦燥の記憶だけが、身体に澱のように積もっていく。

本はまだ書かれていない、という意味で、「いま」という時間はだれの前にも
同じように存在する。

これはいまの自分にとって、とても重要な理解だったのだ。
意味がわからない、という方がいたら、これがわたしの説明する能力の限界。ごめんなさい。
そう、これはとても個人的な備忘録で、こうしてあのときの理解の感覚を
言葉でときほぐしながら、編みなおしながら、いまにも見失ってしまいそうなほど
あやういものだとわかったから、ここに記しておこうと思った。
本はまだ書かれていない。
これから「それ」が書かれるのか、書かれないのかはだれにもわからないし、他人には決められない。
そのことに、もうまどわされないでいたい。

レジに入りながらどこまでも思索をひろげる、不真面目な書店員だぞわたしは。
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by mayukoism | 2011-06-02 05:11 | 生活