乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

わたしにはできないこと

年のあらたまるころになると、わたしは自分にできないふたつのことをよくかんがえる。

ひとつは「手帳をつけること」。
頭のなかでスケジュール管理ができるわけでもないのに、わたしは手帳を
つけることが苦手である。
手帳をつける自分を、もうひとりの自分が上から見おろして、
「もっとていねいに書け」
「一週間に一冊のペースじゃおそすぎる」
「ドトールばかり行くな」
などとうるさく言われているような、手帳に監視されているような気分になって、
だいたい桜がほころぶころになると、ひっそり机の奥にしまいこまれている。
今年も手帳売場を何度もうろうろしたのだけど、まだ買っていない。

もうひとつは「買い置きをすること」である。
年末年始で出入りもひんぱんになるだろうから、
軽くなってきた洗剤を買っておく、
お客様があったときのために歯ブラシも買っておく、
いつかなにかで入用になるだろうから水も一本買っておく、
というようなことがわたしはできない。
室外機から出る風の有効活用法、にぼんやり思いをはせる「現在」のわたしが、
はやくはやくこっちにおいで、と「ほんの少し未来」の自分に急かされているような気持ちになって、
なくなってから必要になってから、考えればいいよね、とふたたびぼんやりに戻っている。

同居人は、このふたつのどちらもできる。

手帳は毎年同じタイプのものを、書店に手帳がならびはじめるころにはもう買っている。
いちにちの終わりのふとした時間に手帳をとりだし、今日食べたものや読んだ本を、
かんたんに書きしるしている背中を見る。
生活用品をまとめておくことにした小さな天棚には、いつのまにか5個組ティッシュと
6個組トイレットペーパーがふたつ、ウェットティッシュの詰め替え用がひとつ、入っていた。
椅子の上にのらないと開けられない戸棚の前で、ひとときあっけにとられた。

だれかと暮らすと、自分にできないことや、自分に足りないことが
あぶりだしのようにうっすらゆっくり、見えてくる。



フライパンの炒めものを返すのが苦手。(同居人は得意)
帰ってきてすぐに着替えることができない。いったん休みたい。(同居人は休まない)
引き出しのなかの小物が、いつのまにかばらばらになっている。(同居人の引き出しはきれい)



ある日、仕事を終えて帰ったら、前髪に整髪料がぴかぴかくっついているように見えたので、
なにかついてるよ、と同居人に言うと、同居人は顔の半分で笑い、もう半分をくもらせて、
じつはこれにはとてもかなしい物語が、とすこし前にあったことを話しはじめた。

あさりの味噌汁を作ろうと思った。(すばらしい)
あさりの砂抜きをしようと蛇口をひねったら、あろうことかお湯が出ていた。
(われわれの部屋はバランス釜方式なので台所の蛇口はひとつです)
砂抜き初体験の同居人は、どちらかというと塩分濃度に気をとられ、
しばらくお湯が出たことに気がつかなかった。
あわてて水に入れかえて、息をのんで待っていた。
が、貝はだまったままいっさい口をひらかなかった。

わあどうしよう、とあわてた同居人はなぜだかそこであまりに気が動転したためか、
無口なあさりを鍋に投入し、お正月にいただいた日本酒を入れ、
「酒蒸し的なもの」に切りかえようとした。
が、「酒蒸し的なもの」初体験でもある同居人は、ぐつぐつとはげしく沸騰する日本酒を見て
またもや動転し、ああっと鍋のふたをひらいたところ、目の前にばうっと火柱が立った。
貝はそのまま永遠のねむりについた。
焦げた前髪と、焦げた髪特有の匂いだけが部屋に残った。

ばか、とわたしは言った。

前髪を焦がしたり、引っ越し早々車にぶつかったり、仙骨にヒビをいれたり、
そういう「わたしにはできないこと」も同居人はよくやる。
そういうことはお願いだからもうやらないでほしいと思う。

焦げた前髪は毛先が金髪のように光り、チリチリになっていた。
ヘアカットの経験はないけど、緊急事態なのでわたしが切った。
まっすぐな黒髪の合間のチリチリは案外と目だった。

同居人の名誉のためにつけくわえると、「あさりの悲劇」の日にはじつはもうひとつ
食卓にならんだおかずがあって、
それは「えびチリ」だったのである。
ちゃんと皮をむいて背ワタをとったのだ、とそのときだけは誇らしげに言った。
わたしは「えびチリ」を、実は作ったことがない。
たまにそういう手のかかるものをつくってくれる同居人を、なんだかおもしろい生き物に
会ってしまったよなあ、と飽きずにながめることにしている。

翌日、同居人は床屋で髪を切っていた。
[PR]
by mayukoism | 2011-01-10 03:49 | 生活