乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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雨にぬれても

ある日、ご注文いただいた本の入荷連絡をお客様にさしあげたところ、
コール音で「雨にぬれても」が流れた。
とびはねる飛沫のような、軽快なリズムではじまるイントロを受話器ごしに聴きながら、
ふと、あることを思い出していた。



小学校5年か6年か、高学年の秋のことだったと思う。
かよっていた小学校は、学芸会と展覧会が毎年交互におこなわれており、その年は学芸会だった。
自分たちのクラスは、ジャズ好きの担任教師の提案で合奏をおこなうことに決まり、
その課題曲が「雨にぬれても」だった。わたしは木琴を担当することになった。
木琴の軽くてやわらかい音色が、どの楽器よりも雨の音に似ていると思った。

クラスごとに練習をかさねて体育館での本番、とてもいい演奏ができた。
担任教師からは当時、よく下の学年と比較されて自主性や協調性のなさを怒られたり、
嫌味を言われたりしていたのだけど、その日の演奏はクラスメイトの負けずぎらいが結実した、
まとまりのあるものになった。
演奏後のホームルームで、男性の担任教師の目がすこし光っていたのを覚えている。

さて、その「雨にぬれても」の演奏を評価されて後日、自分たちのクラスが学年代表として、
市の中央公民館でコンサートをおこなうことになった。
市の偉い人がたくさんきて、性能のいい集音マイクで録音もされるのだ、という話に教室はわきたった。
ふたたび練習をかさねて本番の日の午後、コンサートがおこなわれる公民館に向かった。

客席から見る舞台はスポットライトの白い光にあふれ、舞台中央の天上からマイクがまっすぐにおりていた。
あれがどんなに小さな音も拾ってくれるすごいマイク、間違えたらすぐわかるからな、
と担任教師が言い、生徒たちは笑った。
いま考えるとなぜリハーサルがなかったのかと思うが、到着したときすでに他校が演奏していたので、
カリキュラムの関係か何かで、午後からしか移動ができなかったのかもしれない。

自分たちの演奏の番が来て、舞台袖からバチを持って所定の位置に向かった。
自分の場所にある楽器を目の前にして、あっと思った。
いつもの木琴とちがう。
いつも弾いているのより、ひとまわり大きくて鍵盤の多い木琴が自分の前にあった。
目の中にスポットライトのオレンジがはげしく光った。

指揮者役の担任教師はすでに指揮台にあがっている。
ほかの生徒はみな楽器の前で、息をつめて指揮棒がふられるのを待っている。
いつもの楽器とちがいます、と言えなかった。
落ちつけ、鍵盤のつくりはそれほど変わらないはず、変わらないキーを叩けばまちがった音は出ない、
でもあのマイクがどんなに小さな音でもひろってしまう。自分がこの演奏をだいなしにしてしまう。

演奏のあいだ、わたしはなるべく木琴をつよくたたかないよう、弾いているふりをした。
クラスメイトの奏でる「雨にぬれても」が、まるで知らない曲のように聴こえた。
弾いているふりをしながら、あとで録音されたテープを聴いただれかにひどい演奏だと言われたら、
とくに木琴が聴こえないと言われたらどうしよう、とそればかり考えていた。
天上から降りたマイクがこちらをじっと見ているような気がした。

いま調べてみたところ、おそらく自分がいつも練習していたのは「シロフォン」というタイプの木琴で、
あの日、公民館の舞台に用意されていた木琴は「マリンバ」だったのではないかと思う。
もうたしかめようもないけれど。

演奏が終わってからも、だれにもなにも言えなかった。
ただ録音テープが消えてしまえばいい、と思った。なにかの事故で録音できなかったとか、
テープにおこしたら消去されたとか、なんでもいいからなくなれ、と願った。
たぶんあまりに思い出したくなくて、自分の記憶からもほぼ消えていたけれど、
「雨にぬれても」のコール音を聴いて、ふとあのときの感覚が大波のようにおそってきた。

トラウマになっていることもなく、一つ一つの出来事はすでに夢のように曖昧だけど、
からだ中の体温がすーっと地面におちていって、あとには冷たさしか残らなかった
指先の感覚はいまもちゃんと思いだせる。
「雨にぬれても」のコール音がやみ、留守電のアナウンスに切り替わった。
入荷の知らせをふきこみながら、今日も雨だからこのコール音にしたのだろうか、と考えていた。


このことはいままでだれにも言ったことがない。
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by mayukoism | 2010-09-30 23:54 | 言葉