乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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怒りについての私的考察

「その人がなにに対して怒るかで、その人の大切なものがわかる」
というような内容のツイートを、pippoさんがtwitterであげていたことがあった。

怒るのは苦手だ。
怒る人をなだめる立場にいることが多いので、自分の怒りで場を乱したくない、という
気持ちが先に立つ。すこしくらいのことならがまんする。
注意することはある。
職場にいるときなど、間違った認識のアルバイトにそれはちがうと説明して正すことはある。
それは怒りとはちがう。

怒りというのはもっと、自分の全存在をかけてするひとつの表現であると思う。
これを伝えないと自分の存在がゆらぐ、というとき、どんな言葉が自分の口から心から
出てくるのか、正直自分にもさっぱりわからない。
でも言う。全身で怒っていると伝える。
それがわたしにとっての怒りだ。
そして、そんなたいそうなことはめったに起こらない。

twitterを眺めて、複雑な気持ちになることがある。
語られている主題がどうこうというのではない。
どちらかというと、主題の外側にいる何者かが、「~が「絶対善」だ」というような
発言をしているとき、あるいはそのふるまいについて、複雑な気持ちになるのだ。
その根拠がわからない。そしてたいてい一義的である。
必ずしもそこで語られている内容を否定したいわけではなく、
実体の見えない言い切りが信用できないのだ。

話は変わるけれど、むかし、とつぜん大学を休学して放浪の旅に出た友人がいた。
周囲は、彼がなんの相談もなくいなくなったことを怒った。
そして、よく彼の話を聞いていたわたしを、なぜひきとめなかったのかと責めた。
今という時期になにもかもリセットすることが、おそらく彼にとって意味があることを
わたしはなんとなく感じていたので、どうあっても自分は彼をとめなかっただろう、と
できるだけ丁寧に説明した。
長い時を経ていざ帰ってきた旅人は、周囲に何も言わずいなくなったことを、
なぜかわたしにひたすら謝った。彼らに悪いことをしたと悔いる言葉をくりかえした。

わたしはそのときはじめて、その相手に怒りをおぼえた。
それではまるであなたがすべての物語の主人公みたいじゃないか、と思った。そのまま言った。
そのときはじめてあっ、と思った。
これがわたしの怒りのスイッチなんだな、と怒りながら気がついた。

「絶対善」然とした発言はその発言者を主人公にする。
それ以外の世界をすべて脇役か、悪のように見せる。
事実そうなのかもしれない。けれど、その発言からはたいがい事実を読みとれない。
根拠なく、不当に舞台からつき落とされたと感じられる何かを、だれかを見たとき、
それをもたらしたものについてわたしは怒る。
それが知らない人であってもなくても、わたしはわたしのすべてで怒る。



でも、この怒りのスイッチのために、わたしが何を大切にしているのかは、
ちょっとまだよくわからない。
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by mayukoism | 2010-07-22 21:16 | 言葉