乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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麻雀ハイブリッド

大学生のころ、麻雀に明け暮れた時期があった。
きっかけはよくおぼえていない。
映画サークルの部室で、よれた麻雀マットをせまい机の上にひろげて、
男子にまじってかちゃかちゃ配牌していた。
いったんうちはじめるといつまでもやめないので、
はやく飲みたい友人が、本気で怒ってしまったことがあった。


同じころ、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を夢中になって読んだ。
覚えたての知識で、物語のなかの手牌を解こうとしたこともあった。
坊や哲、ドサ健、上州虎。
終戦後のすえた匂いの東京を、彼らの台詞や動きによって、自分なりに思いえがいた。
ただし『麻雀放浪記』とちがって、賭け麻雀はほとんどしなかった。
あの勝負の流れのなかに、身を置くのがひたすら好きだった。


麻雀のことを思いだしたきっかけはふたつある。
ひとつは職場の飲み会で「モーハン」(モンスターハンターというゲームの略称らしい)と
「盲牌」を聞きまちがえたこと。
麻雀?と言っておもわず右手の親指の腹を、盲牌するようにふりふり動かしたら、
そんな聞きまちがいをする女性はいないと断言された。
知るかと思った。


もうひとつは荻原魚雷『活字と自活』(本の雑誌社)の「『荒地』と鮎川信夫」の章で、
鮎川信夫が麻雀について書いている日記が紹介されていたこと。
それぞれが手牌を見ながら頭の中で筋をさぐるときの、あの澱んだような
でもけっしてとまることのない静かな「流れ」の感覚を、読んでありありと思いだした。

(略)この亡国的遊戯は、どこかしら私小説作法と似通ったところがある。
相手の手のうちを読むこと、表情の変化に気を配ったりすること。日本の小説家のいう
「大人」であること、つまり熟練によって、自分の位置、役割を知ること。(略)

田村隆一『若い荒地』(講談社文芸文庫)所収「一九四一年(昭和十六年)のAの日記」より


麻雀に夢中になっていたころは、自分も含めてみな素人の域を出ないから、
我慢づよく相手の表情や捨牌を見ていると、その人の癖というのが自然と見えてくる。
そしてふだん相手がどういう思考回路をしていて、どういう嗜好をしているかが、
手牌に如実にあらわれる。
それを分析して、その思考をかいくぐりながら、自分の手を地味に作るのが好きだった。
大きな役はないけれど、裏ドラがのってたんまり、というようなセコイ勝ち方もよくした。

ながいながい麻雀をしているみたいだ、とぼんやり今の自分を思った。
試しにインターネットでFlashの麻雀ゲームをやってみたけれど、ルールはすっかり忘れている。
感覚は思いだした。
周囲の手牌を注意ぶかくさぐりながら、自分の手をゆっくり作る。
大きな役がつかなくてもいい。自分の手をていねいに作って、いつかアガればいい。
アガれなくても、おおきく負けなければいい。

捨牌をじっとさぐりながら、見えない牌をできるだけうつくしく、わかりやすく
入れかえるような日々も、それはそれで嫌いではないのだ。
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by mayukoism | 2010-07-19 03:47 | 本のこと