乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

目でものを考える

視覚でものを考えている、と言ったらものすごくおどろかれたことが2度あって、
だからというわけではないけれど、そのおどろいた人のことをなんとなく忘れがたい。

視覚で記憶したり、思考することはごくありふれたことで、他人もそうしているのだと
あたりまえにおもっていたから、おどろかれたこっちがびっくりした。
視覚でなければどこで思いだしたり、考えたりするのか、と問うたら、
はじめの人は「しいていえば聴覚」と言い、ふたりめの人は「言葉」と言った。
へえええ、とあたらしい生きものを見るように目の前の人をおもった。

はじめの人は小説を書く人だったが、散文なのに耳にここちよいライムを聴いているような、
軽やかな文章を書いた。

ふたりめの人は本をたくさん読む人で、修学旅行にいちども行ったことがないという人だった。
中学校で参加せず、高校の時は事前に先生から「お前は行かないんだろ?」と言われ、
はい、と答えたら、そのまま参加しなくていいことになった、と言った。
修学旅行に行かなくてすむ年齢になってから会ってよかった、とおもった。

言葉も記憶も思惟も、わたしの場合はすべて視覚からはじまる。
今日のくもり空を見あげて、その灰色のグラデーションが一枚ひらりと前頭葉にはりついた。
なにが気になるのかわからない。なんどもその一枚をめくる。
めくっているうちに、またほかのイメージがあらわれては、消えていく。



いくら考えても出てこない正答。(試験中のほおづえ)
だれかがさっきまでここにいたらしい体温のあわさ。(日のあたる電車のシート)
だれひとりこちらを見ない雑踏の背中のかさなり。(池袋東口)
晴天より老成してこころが広そうだ。(高校の時に好きだった倫理のマルヤマ先生の背広)




ひとりよがりなイメージも、見えた景色になんとなく近そうなイメージも、
いっしょくたに頭のなかでくるくるくるくるこねまわしていると、
なんとなくひとつの言葉に落ちていく、フェイドアウトみたいな時間がくる。
落ちた言葉をつぶやいてみる。




曇天に指をさしいれてみる。




そうか、あの雲のかさなりの隙間に指で触れてみたかったのだなあ、と言葉になって
はじめて気がつく。そうやって思考はすべて視覚からはじまっている、のだけれど、
ごくたまにまったく別の経路で、わけもなくなにかをつよく思い出すこともあって、
こないだ勤務中にブックトラックの上で、裏表紙に貼られた取次会社のシール
(すぐはがれます)をはがしていたら、身体の中いっぱいに海の味がひろがったことがあった。

やわらかい冷たさ、もぐったときのはてしない暗さ、口のなかで消えない潮の辛さ、
浜辺の遠さ、太陽の白さ、それらすべてがとつぜんあざやかに身体をとおりぬけたとき、
海を見に行くことはあっても入ることはもう全然ないから、
なぜそんなことを思い出したのか自分でもよくわからなくて、
ただどこにもない想像の浜辺で、シールをはがした本を棚にかたかた並べながら、
子どものころの自分を沖に向かって走らせてみた。
[PR]
by mayukoism | 2010-05-19 16:18 | 言葉