乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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さみしさの深度

「悲しい」は表現世界においても権威があるけれど、「さみしい」は二流の扱いを
受けている気がする、と作家の川上未映子さんがある雑誌の連載に書いていて、
なるほどなあ、と思いながら、平日の美容院で髪を切られていた。
川上さんはさらに、「海辺の家々が潮風に傷んでゆくように心がじわじわとやられている」、
「よくわからないけど異様にはっきりした感情=さみしさ」を「慢性淋心炎」と
名づけていて、これはいいエッセイだなあ、と思ったのだけど、美容院で読んだのを
ざっとメモしただけで手元にその雑誌がないので、細部はまちがっているかもしれません。
白いサテン地のうわっぱりに、さっきまで自分の髪だったものが、するするすべっていった。



自分のさみしさはよくわからないくせに、他人のさみしさはときどき見える。
さみしさ、という感情を思うとき、胸のうちにひらける夜の空がある。
その空にはいくつかの光が点在して、あれは何座これは何座、と指先で光をつなげるけれど、
つなぐ指先がなければ、光はただそれだけのものだ。
つながらない、単体の、つながりたい、光る、とおい、見える、触れたい、手を伸ばす。
その、光に手を伸ばす腕の距離のことを「さみしい」と思う。
暗い空にうかぶまっすぐな白い腕は、いつも光にだいぶたりない。



さみしさは「いつもならしないこと」を平気でさせる。
さみしさは「ほんとうはいけないこと」をうっかりと言わせる。
さみしさの想像力ははてしなく深く、想像したさみしさにいつのまにか自分がからめとられている。
行動と行動のすきまの空に、他人のさみしさがぽっかりくりぬかれて見えたとき、
「あの人」のさみしさの形をただこの目に映しながら、
毎夜、枕元でおやすみなさいを言って、布団をぽんぽんとして、額に手をあてて、
眠るまで顔を見ていることができないのなら、たぶん手をのばしてはいけないのだ、と思う。



つながらないからさみしいのか。
つながりたいからさみしいのか。
生まれたときからさみしいのか。
死んだらその人のさみしさはどこへいくのか。
さみしさは形を変えやすいし、言葉になりにくいから、こころの準備もないまま
ふとのぞいてしまったさみしさが、おどろくほどの深度で見えることがあって、
自分の傲慢さに、ふいに頬をはたかれたような気持ちになる。







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by mayukoism | 2010-05-05 16:14 | 言葉