乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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くぼみから星を見る

どこにいてもここにいない。
そんな気分で日々は過ぎていく。
季節はうつろう。

信号との相性がいい日とわるい日というのがあって、赤信号がつづくとすこし身構える。
今日の自分は「流れ」とあまりうまくいっていないのだな、と思い、いろんなことをちょっと用心する。
占いも運命的ななにかも、さほど信じてはいない。
ただ、いまの自分がどうあがいても変えることのできない流れのようなものはあると思う。
その「流れ」は、これまでの自分の行動の蓄積であったり、周囲の他人の性癖や習慣の集合であったり、
もとをたどっていけばどこかしらにたどりつく、実体のある「流れ」であると思うけれど、
「流れ」はさまざまな要素をふくめて広大なので、いまさら小さな自分がどうこうしてもしかたない。

「流れ」のことを考えるとき、こころに浮かぶのは、『スティル・ライフ』(池澤夏樹著/中公文庫刊)の
はじまりの一節だ。

 この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる
容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに
立っている。
 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。
世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。


池澤夏樹がどういう作家なのかあまり知らずに作品を読んだとき、この冒頭の文章は
超新星誕生の映像を見るように鮮烈だった。
池澤夏樹の小説ならいまでもこの作品がいちばん好きだけど、だからといって
イコール池澤夏樹が好き、ということにはならない。『スティル・ライフ』が破格に好きなのだ。
特定の問題意識や書き続けるための不変のテーマが、作品のなかでまだ明確にはなっておらず、
なにより言葉の選び方が少し揺れている、そういう時期にしか生まれない不安定さをかくした小説で、
そのわずかな不安定さが、この作品をくらくらするほどうつくしくしている。
『星に降る雪』は『スティル・ライフ』につながる小説だと思うけれど、
もう今ではまとまりすぎて上手すぎてしまって、そうなるとなんだかすべてが用意された物語のように
見えてしまう。これはたぶんに読む側のわたしの問題である。

「世界」に対して自分が立っている、というイメージはあまりない。立っているのでなければ
なんなのだろう、と歩きながら考えていて、そうだ「くぼみ」だ、と思った。

というのも、たまたま散歩の延長で訪れた古書現世で、祝・誕生日の向井さんが値付けをしていた
『東京人』のバックナンバーのなかから、1991年3月号の「東京くぼみ町コレクション」特集のなかに
雑司が谷が載っているのを向井さんが見つけた。へえ、どれどれと読ませてもらったら
この特集自体がとても面白く、特集以外にも川本三郎の野口富士男インタビューなどが
掲載されていて、新宿展用の商品だったのに、わがままを言っていただいてしまったのだ。

くぼみに水が溜まるように、
都市にも時間が佇み、
ゆっくり流れる町がある。


と、特集の冒頭に記されている。
佃島、本郷から神楽坂まで、「くぼみ町」はその町の歴史をなぞり、さまざまな形で存在する。
そして、その町のなかのもっと小さな、局所的なくぼみ。
山のようにそびえる存在にも、海のように荒れくるう存在にもならないしなれない。
ただひっそりとくぼんで、雨がふれば少しの水をあつめて、晴れればだれかをのぞきこませて、
つまづいてしまったらごめんなさい、の意地悪さもふくめて、
それくらいの「くぼみ」で「世界」と対峙できたらいいなあと、学習院へつづくゆるい坂をのぼりながら
ぼんやり思っていた。

『スティル・ライフ』の一節は以下のようにつづく。

 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の
境界の上にいる。
 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある
広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と
調和をはかることだ。
 たとえば、星を見るとかして。

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by mayukoism | 2009-10-14 05:14 | 言葉