乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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夜のクッキング

冷蔵庫にのこってしまったざるうどんを、あたたかくして食べることにする。
夏のものを食べきるのは、いつだって季節がすぎるよりすこし遅い。
ひとりぶんの料理だから、だしをとることもなく、粉末のほんだしを沸騰した雪平鍋にさっと溶かす。
ぶつぶつとつぶやいていたお湯が、瞬間的にふくらむ。
大さじも小さじもない。
あるのは大きいスプーンと小さいスプーンで、スプーンで適当に、
醤油や、のこった日本酒やらをすくう。
凍ったままの豚こまをえいっと入れて、長葱なんていつだって余るのだから、
日持ちのする玉ねぎをスライスして、ぱらぱら落とす。

夜のシンクは、どこにいてもだれといてもひとりだ。

ざるうどんは大きめの鍋で、べつにゆでる。
いちおう柳宗理の鍋だったとおもうのだけど、使いはじめのころから、意外と焦げつく。
一口コンロの上に、この大鍋とフライパンと、内祝でもらった大皿と、雪平鍋をかさねて置いている。
収納できる場所がないのだ。
調理するときは使わない道具を、台所のすぐ脇にある洗濯機の上に載せておく。
調理中の鍋がふたつになると、すごく困る。
しかたないから鍋敷きがわりのコースターをテーブルに置いて、その上につゆの鍋を置く。
ゆであがったうどんをざるにあげて水にさらし、つゆを大鍋にうつして弱火であたためる。
つゆがふたたびつぶやきはじめたら、うどんをざるからそうっとすべらす。

子どものころ、うどんを食べるのは、風邪をひいたときか、お腹をこわしているときの、
たいていどちらかだったな、と思う。
いまの自分はどちらでもないけれど、ひとりでうどんを食べようとしている。

そうだった、うどんのどんぶりがないのだった。
食べるときは買ってこようといつも思って、いつも忘れる。
だいたいしまう場所がないからなあ、とぐずぐずしている。
しかたないから、たしかこれはアフタヌーンティーで、ずっと前に購入したとおもわれる
深めのシチュー皿に、うどんをまず箸で入れる。
上からおたまでつゆをひたひたにかける。
ややかたまり状の豚こまと、すきとおった玉ねぎを真ん中に山にする。
ひとりぶんのうどんに、ひとりぶんの白い湯気がたつ。
湯気がたつと、すこし、部屋がにぎやかになる気がする。
いただきます、は幾多の「いただきます」の記憶のなかで言う。

買い替えたり、買い足したり、模様替えしてみたりと、身のまわりを暮らしやすくしようとすることに
あまり情熱をかたむけないのは、今にはじまったことではなくて、
でも、もとからそうではなかったような気がする、なぜなんだろう、と考えるうちに、
わたしは、いつでもどこまででも行けるようにしているのだと気がついた。
それはたぶん、20代に影響をうけた人がひとりでどこまでも行ってしまうひとだったからで、
ついていくわけではなく、その人と向き合える自分でいるために、わたしも身軽でありたかったのだった。
その人はもう、家をもって仕事をもって、前のようにどこにでも行くことはなくなった。
それなのに、身軽であろうとするわたしだけが、ここにのこった。
いったいどこへ行こうというのかねえ、とおばあちゃんのようなセリフを思いうかべながら、
あたたかいかけうどんをすする。

空のシンクに水をながしながら、明日も6時起きだなと思う。
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by mayukoism | 2009-09-25 02:42 | 生活