乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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しんがんをもってふかくかんにゅう、ってなんだ

犬の高い鳴きごえがちかくからずっと聞こえて、昨夜はうまく眠りにつけなかった。
朝まだき、目覚めない神保町の路地ですれちがった猫と、夜にまったく同じ場所ですれちがう。
まるい尾っぽをのったり、のったりとゆらす灰色のトラ猫は、文豪の風格。
犬の声は、今日は聞こえない。今夜の寝床は見つかったのか。
深夜にぼんやりと流しみる格闘技が、小さいころからすきだ。

短歌からはなれてしばらく経つけれど、実相観入ということについては、しばしば考える。
じっそうかんにゅう【実相観入】
斎藤茂吉の歌論。子規に発する写生論を発展させて、
単なる皮相の写生にとどまらず、対象の実相に心眼をもって深く観入することが
短歌写生道の真髄であるとする。(『大辞林第三版』より)

『短歌という爆弾』(穂村弘著/小学館刊)で、はじめてこの短歌観を知った。
『短歌の友人』は未読ですが、穂村さんの短歌論は短歌を知らなくてもおもしろく、
かつ実作に役立つ。
実相観入を語るためにひかれていたふたつの歌。

ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり 斎藤茂吉

カーテンのすきまから射す光線を手紙かとおもって拾おうとした 早坂類


茂吉の歌はなんかもう言葉をこえて、すげーなー、としか言いようがない。
「よい短歌」とはなんだろう、と考えるように「よい文章」とはなんだろう、とときどき考える。
見たものを見たように言葉にしようと腐心するとき、行為としての実相観入を思っている。
言葉にする前に見ること。見ていると思ってもまだ見ること。見えたと思ってもまだ見ること。
いまの自分にできるのはがんばってそれくらいで、茂吉の地平ははるか遠い。

早坂類の歌を、穂村さんは歌論でよくひくのだけど、こういう「わかりやすくてすごい」歌を
もってくるのが穂村さんはとてもうまくて、『短歌という爆弾』にはいまでも付箋がいっぱいついている。
短歌にちかづかなければ、早坂類の名前はおそらく知ることがないだろう。
第一歌集『風の吹く日にベランダにいる』(このタイトルも圧倒的。河出書房新社刊)には、
ときどき上の歌のような、ヘビー級にすごい歌がまぎれている。
すごい短歌は一行で、ほんとうに頭をなぐられたみたいな衝撃があって、早坂類のみならず、
もっと暗誦されていいような現代歌人の歌が、じつはたくさんあるのだけれど、
歌の世界はなかなかひらかれない。
短歌からはなれてみると、あらためて自分がいた場所はまぼろしだったのではないかという気さえする。

十八歳の聖橋から見たものを僕はどれだけ言えるだろうか 早坂類


帰りに寄った古書往来座で、せとさんがあっ、と声を出して入荷を教えてくれた。
『コラム等』(松田有泉/有古堂)
正式の証明」のu-senさん出版販売。購入し、帰宅してなにげなくひらいたのち、一気に読む。

u-senさんの文章はしなやかだ。筋肉や関節があっちこっちにまがる感じ。
なおかつ伝えるべきところはちゃんとおさえてあって、視野の広い人だなと思う。
u-senさんのブログのあのめくるめく強烈さは、この雑誌ではやや抑え目だけど、
その分「もう一歩先のu-senさん」に触れられた気がして、おもしろく読んだ。
個人的には「山口昌男とベン・ジョンソン」にうなずき、「米子ゆき、高速道路」では
はじめて自分が運転席にいるような感覚をあじわい(免許もっていないので)、
また、マンガ「古書仙人」の3コマ目の、小さい向井さんが笑ってしまうほど
はげしく似ている(おもわすお腹に触れたくなる)のが、印象にのこりました。
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by mayukoism | 2009-08-17 02:56 | 言葉