乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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「高橋たか子」をめぐる出来事

黄色いダッフルコートの冬の日、ひまつぶしに立ち寄った江古田の「小竹図書館」で、
ふと手にとった『誘惑者』(高橋たか子著/講談社文芸文庫刊)にうたれ、
そのおそらく翌年に、「神田古本まつり」でおとずれた「小宮山書店」で、
『高橋たか子自選小説集(全四巻)』(講談社刊)を1万7千円くらいで購入したと思う。
そのころはまだ学生だったから、これはかなり思いきった買物で、3回くらい
「小宮山書店」を出たりはいったりしたのを覚えている。

いまでは読みかえすこともほとんどなくなって、なにぶん少々くせのある作家なので、
おおっぴらに他人にすすめることもないのだが、ある日の「往来座通信」に
詩人菅原克己の姉が「高橋たか子」だと書かれてあって、ええっとなった。
高橋たか子についてはなんとなく知っているつもりでいたのだけれど、そのような逸話に
ふれたことがなかったからだ。

これはのちに同姓同名の別人ということで訂正されるのだが、ちょうどその直前に
まこちゃん」のタイトルで紹介されていた「雑司が谷墓地の小さい墓」という詩にひかれて、
菅原克己という人を調べてみて、「なんの交換条件もなくさしだされた手のひら」のような
言葉に圧倒された。このひとの詩をもっと読んでみようと思った。
そして、「姉高橋たか子」さんと雑司が谷についてのかかわりも同時にわかれば、と
ぼんやり思っていた。

その後も、菅原克己と縁がある方々とお会いして、「姉高橋たか子」さんの詩のよさを聞いたり、
往来座ののむみちさんと「小説家高橋たか子」の話になって、『誘惑者』を貸し出ししたりなど、
ややこしくゆるやかに「高橋たか子」めぐりはつづいていた。

ちょうど仙台へ旅立つ6月19日金曜日の正午すぎ、夕方まで勤務だったわたしは
昼の休憩をとっていて、「田村書店」と「小宮山書店ガレージセール」を眺めていた。

社内の異動が発表になるころで、すれちがいざまに上司から情報を聞いたり、
背表紙をたどるとメールが届いたりして、なにより脳内は完全に仙台へと羽ばたいており、
こころもからだも神保町にあらず、といった感じだったのだけれど、
「コミガレ」で、白い背表紙の著者の名前にふと指がとまった。


『詩と散文 草木の窓』(高橋たか子著/栄光出版社)


散文の最後に『草木の窓に添えて』と題する「菅原克己」の文章があり、
「姉、高橋たか子について書くのは、どうにも具合がわるい」と書き出されているのを見て、
ああまちがいないな、と確信した。
他の書籍とあわせて迷わず購入して、そのまま仙台へ持っていって、せとさんにもお見せした。
にぎやかな酒宴のあいまのせとさんが、本を繰るときだけ「店主」の顔になったので、
わたしが持っているより、せとさんが持っていたほうがずっといい気がして、それでもとりあえず、
貸しましょうか、と言ってみたのだが、いやあ、いいですよ、読んだら教えてください、と
せとさんは笑った。

先日、あずけていた荷物を受け取りに往来座に立ち寄った際、せとさんに
「高橋たか子さんの本はもう読みましたか」と尋ねられた。
多忙にかまけてそのままになってしまっていたので、すみませんまだです、とお答えすると、
「もし高橋たか子さんと雑司が谷の関係がわかるような文章があったら教えてください」と言われ、
なんだか使命をあたえられたヒーローみたいな気分になり、うれしくて、さっそく鞄に本を入れ、
今日、出勤前に読みはじめた。

ありました。雑司が谷。

菅原克己詩集『日の底』に、「練馬南町一丁目」という詩がある。
全文をひきたいのですが、すでにここまででかなり長くなっているので、別にひくとして、
この詩のひとつめのパラグラフの終わり、

僕はここで育った、
十五の年から十二年間。


この詞と、『詩と散文 草木の窓』の記述をかさねると、「練馬南町一丁目」に菅原家が越したのが、
大正十五年(1926年)であり、この直前に住んでいたのが「雑司が谷の古い借家」だと
いうことがわかる。
具体的にどのあたりだとか、どのくらいの期間住んでいたのかまではわからなかったのですが、
「大正十二年(1923年)頃」に、師である白鳥省吾氏のお宅訪問を、たか子さんが
「雑司が谷訪問」という題名で書いていることから、訪問後~1926年の間のことかもしれない、と思う。

ふたりの「高橋たか子」をめぐって、江古田と、池袋と、雑司ヶ谷と、仙台と、小宮山書店が、
わたしのなかで、不思議な円をなした。
さきほど、これも偶然にすれちがった自転車のせとさんを呼びとめて、おもわず興奮して
話し出してしまった。夏の夜道のせとさんは、目をくるくるとさせて聞いてくれた。

散文に記されている年代がばらばらなので、後日(せとさんごめんなさい)整理することにして、
とりあえず、「姉高橋たか子」さんが雑司が谷から練馬の家に越したころのうつくしい文章を一部、
少々長いですが、そんなに読めるものでもないと思うので、ぬきだしておきます。

 私たちは、雑司ヶ谷の古い借家から嬉々として、新築の家に引越した。
早大に行っていた夫、小学校の教師の私、豊島師範生の克己、
小学生のまさ、竜三、みどり、それに孫の三歳児の光郎の大家族を引き連れ、
母は、ゆったりと太り、気品に満ちているように私には見えた。
一年後に、私のすぐ下の妹のきよが、宮城県塩釜小学校から転任して、
東京高田第二小学校の教師となって加わったので、家はいよいよ賑やかになった
(長兄の千里はその頃はまだ東京市内で独立して働いていた)。
 学校の仕事でおそくなり、夜になって江古田駅に降り、一本道の入口に立てば、
我が家の部屋部屋に燈がともり、またたき、輝き、何やら賑やかに立ち居する人の
影まで見える。私は飛ぶように一本道を急ぐ。「楽しき我が家」が実感として胸に溢れた。
 練馬の家、その家は、実に我が母そのものであり、私達きょうだいに、
また、私の子供らに此の上もなく美しい幼時の思い出として鮮烈に残ったのである。

『詩と散文 草木の窓』所収「普請好き(一)」より

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by mayukoism | 2009-07-10 02:20 | 本のこと