乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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はるかなる水洗便所からとどいた手紙

夜中にするトイレ掃除というのはどうして人をしずかな気持ちにさせるのだろう。
深く、吸い込まれていく水の中に、もう思い出せない言葉のいくつかがまじっている。

今日はひとつもまともな仕事をしなかった。
仕事をしているふりだけした。
仕事をしているふり検定があったら、たぶん上級者になれる。
そんな日もある。

ある人より、ある宗教の信仰をやめる、という話をおうかがいし、なんだかとても重大な局面に
立ち会ってしまったという気持ちになっている。
個人的にわたしはその宗教とまったく関係がないのだが、仕事の延長線上で知り合った方なので、
やむを得ず、といった淡いつながりがあった。
じつはある時期から疑問を感じはじめていて、今回いよいよもうついていけない、ということになって、
とりあえず仕事をやめることにしました、とその人が言ったとき、まさに呆然としてしまい、なんと
言っていいのかわからなかった。
ひさしぶりにおそろしく濃密な話を聞いてしまった。

購入。
・『ポケットの中のレワニワ(上)・(下)』(伊井直行著/講談社)
・『なぎの葉考/少女』(野口冨士男著/講談社文芸文庫)
・『音のない記憶』(黒岩比佐子著/角川文庫)

伊井直行、実はどれもこれもけっこういいのだけど、この作家のよさを説明するのがなんだかむずかしい。
そしてこの作家のよさを語りあえる人を、自分の周囲にまったく知らない。
一昨年、荻窪に住んでいたころ、杉並区図書館にある伊井直行の著作をかたっぱしから借りて読んだ。
ひさしぶりに「はまる」作家を発見できたことがうれしかった。
ちょっとこの新刊を読んで、もういちど語りなおしてみよう。まずはひとりで。

読み途中。
・『歳月の鉛』(四方田犬彦著/工作舎)

詩は悲惨ゆえに、悲惨を契機として、悲惨を克服するために執筆されるのではない。もちろん悲惨を表現するために執筆されるものでもない。詩を書くという行為そのものが悲惨なのであって、世界のあらゆる飢えや苦痛や屈辱に対応している。
であるとすれば、詩を書こうとしてそれが書けないでいることはどうなのか。
私は、私が書いたそのものになりたいのだ。

第3章 ノオト 1972-1974 33 より


「詩」以外の「書く」という行為をともなう表現活動に対しても同じように言うことができるだろうか、と
考えてみる。ここでこう述べている語り手にとってはやはり「詩」以外のなにものでもないのだろうな、と
思うけれど、わたしはここで数々の「詩」ではないものを思い浮かべた。
私が書いたそのものになりたい、と思いたくてなにかを書いている、と思う。

再読。
・『猛スピードで母は』所収「サイドカーに犬」(長嶋有著/文春文庫)

知人の本棚から拝借し、読む。
どうも自分に必要なのは再読であるような気がしてきた。
物語の内容をまったく忘れていた。ただ、初読時に、「表題作よりもサイドカーのほうが好きだ」と
思ったことはありありと思い出した。
どうもなにかの分岐点を経て、それ以前に読んだものなのか、その前後に読んだものなのか、
おそらくそれは大学を卒業してからなのだが、そのあたりに読んだもののことを、じつは
すっかり忘れているような気がしている。
やっぱり長嶋有はおもしろい。
と、いま、キーを打とうとしてなぜか「おもしえろい」と打っていた。
直したけど、しみじみ眺めて「おもしえろい」ってなんだか長嶋有っぽいな、と思った。

というか明後日、あ、もう明日だ、には、村上春樹の新刊が出るのですよ。
大手の書店には水曜の午後あたりに並ぶはずです。こちらは協定品ではないそうです。
村上春樹の新刊というのは、好き嫌いにかかわらず、やっぱり大きなニュースである。
学生のころ、周囲は次々と村上春樹を読むのを止めていった。
わたしは迷って、でも読みつづけることを選んだ。
村上春樹がいまどこにいて、何を見て、何を言おうとしているのか、それをとにかく知っていなければ
いけない、と思った。
だからわたしは村上春樹を読みます。これからも。

ああ、そのまえに読み終えなければいけない本が多すぎる。
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by mayukoism | 2009-05-26 02:08 | 本のこと