乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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水色のさよなら

朝から強い風が吹いて、歩道につつじの花がまるごと、なにかの罠のように点々と落ちている。
つつじを踏まないように歩くことと、つつじを踏みつけて歩くことと、同じくらい傲慢であるような気がする。

沖縄へ旅立った、お世話になった取次会社のMさんからメールが来た。
Mさんは前のブログに書いた、タツノオトシゴのおじさんである。
奥さんが沖縄出身で、あなたが定年になったら沖縄に帰りたい、とずっと言われていたのだそうだ。
そしてほんとうに行ってしまった。

冬の終わりにメールを出すと、おまえ、ぎりぎりだよ、と返事がかえってきて、
もうじきに旅立つと言うので、あわてて約束をとりつけたら出発の前日だった。
おじさんばかりの送別会にまぜてもらった。
おじさんの飲み会はがんばらなくていいから好きだ。
もう、いっそのことおじさんになりたいくらいだ。

菅原克巳にゆかりのある方が幾人かいたのと、Mさんはたいへんな本読みなので、
まあどちらも持っているだろうなあ、と思いながらも、『陽気な引っ越し』(西田書店)と、
『山之口貘詩文集』(講談社文芸文庫)を餞別に選んだ。

雨の湯島で迷ってしまい、Mさんが駅のそばまで迎えにきてくれた。
おそいっ、と笑われた。主役を来させてしまってスミマセン、と言ったら、いやいやと照れていた。

湯島の小さな居酒屋の2階を貸しきって、ゆるゆると送別会はすすんだ。
銀紙に包まれたとっておきの清酒がうやうやしく出され、Mさんがひとりひとりについでいった。
どなたかが歌謡曲の本を持っていて、そのなかから一曲、Mさんが歌うことになった。
Mさんはわざとぴーんと背筋をのばして笑いをとると、目を閉じた。


水色のワルツ
【作詞】藤浦洸
【作曲】高木東六

1.君に会ううれしさの
  胸に深く
  水色のハンカチを
  ひそめる習慣(ならわし)が
  いつの間にか
  身に沁みたのよ
  涙のあとを
  そっと隠したいのよ

2.月影の細路を
  歩きながら
  水色のハンカチに
  包んだ囁きが
  いつの間にか
  夜露に濡れて
  心の窓を閉じて
  忍び泣くのよ


忘れてはいけないと思って、きっと持っているだろうけれどこれ、と2冊の本をわたした。
やっぱり2冊とも持っていた。
『山之口獏詩文集』をふとひらいて、おまえこれサインしてくれ、と言うので、価値がさがりますけど、と
言いながらみひらきのところに名前を書いたら、『陽気な引っ越し』には全員で寄せ書きをすることになり、
ペンとともにまわされた。

菅原克巳の話になり、姉、高橋たか子さんの話をしたら、えらく驚愕された。
いや、これは往来座の瀬戸さんが…とは言えなかったので、ある古本屋の方がブログで書いていて、と
説明した。お姉さんの詩もとてもよいのだとその人は言っていた。
その他に『遠い城』の西田書店版の話や、小沢信男さんのお話などおうかがいする。

あなたの話はいつも聞いていた、とその人に言われた。
Mさんは、よくあなたの話をしていた、と。
そんなことMさんはひとことも言わないし、知らなかったです、と言うと、まあ、ああいうひとだからね、と
その人は笑った。

そのときはじめてまずい、と思った。自分の眼球にいっぱいの塩水が、表面張力でくっついていた。
でもそんな雰囲気じゃない。なにしろこれは「陽気な引っ越し」なのだ。

Mさんのもとに、その『陽気な引っ越し』が戻ってきた。数々の名前と筆跡をながめて、
あんがとございます、とMさんは言い、かばんに本を丁寧にしまった。
もうこれも着ないんだよお、と取次のくたびれた作業着を出した。

御徒町駅の改札で、Mさんと握手をした。
これで最後じゃないですよね、また会えますよね、と手を握って言った。
おお、またこっちに来ることがあるよ、そのときは連絡すっからよ、とMさんはいつもの調子で言った。
安心して手をはなした。ではまた、また会うときまで。気をつけて。

ホームで塩水がとまらなくなってしまったので、お手洗いに入って一本電車をやりすごした。
さよならに慣れることなんてできるんだろうか。それがどんな小さなさよならであっても。
たった一日のさよならでも、もしかしたらもう一生会えないさよならであっても、今日が昨日になることにさえ、
いつまで経っても慣れないのだわたしは。

Mさんから来たメールには写真が添付されていて、シーサーのある家が写っていた。
参加できなかったのだけど、混ぜてもらったみちくさ市のうちあげで、たまたま店先のシーサーを見たとき
そのことを思い出していた。
このシーサー、瀬戸さんに似てるよー、とだれかが言ったのだけど、だれが言ったのだったか、
もう思い出せない。
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by mayukoism | 2009-04-28 04:16 | 言葉