乃木繭子 本のある風景など。http://twitter.com/komayuko


by mayukoism
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2008年から2009年

2008年から2009年にかけての短い時間に、わたしは正しさについて考えていた。
正しさとはなんだろうかと。

わたしにとって、正しさはつねに自分の外にあった。
正しさは自分以外のだれかが規定するものであった。
わたしは正しさを規定するだれかや、なにかを乱さないために、いつだってその正しさを
全身でうけおった。
そこに「わたし」は必要なかった。
だれかの正しさがあればよかった。
それで「だれか」の安眠がたもたれるかもしれないのなら、「なにか」が淀みなくきよらかに
流れていくのなら、それがわたしの正しさだった。
いったいそこに何の不自由があるというのか。

2003年、27歳の冬に8年勤めた書店が倒産した。
倒産することは前々からわかっていた。小手先で日にちをひきのばしていただけで、
いよいよ、という気持ちだった。閉店後の店内で残った社員女の子4人で棒銭を
ぜんぶ割った。小銭のいっぱい入ったリュックを一人が背負って、夜明けちかい
住宅街を自転車で連なって走った。
その年の春に家を出て、別の書店でアルバイトをはじめ、夏には別の書店に移り、
同じころ、わたしの20代の「正しさ」のほぼすべてを構成していた人間とはなれた。
そのときわたしははじめて「正しさ」がいったい何なのか、まったくわからなくなった。

自分の「正しさ」について、自分の力で思考しなくては生きていけないのだと
わたしはそのときはじめて言葉ではなく身体で知ったのでした。
遅すぎるけど、もう仕方ない。
そのときはそのときで、時間が仮に戻ったってたぶんそのときでしかない。

2008年という年は、心情的には2003年とおなじくらいはげしい変化の年だった。
わたしが考えて、ぼんやりとではあるけれどもこれかもしれないと思えた正しさが、
決定的にだれかを傷つけることが、なにかを乱すことが、本当にあるのだった。
それをせおっても、わたしが選んだぼんやりとした「正しさ」の先をもっと見たいと思ったのだ。
2008年が終わろうとするとき、わたしは屋根から雪の落ちる音がときどきしずかにひびく、
北国のお家の中にいて、紅白歌合戦を見ていた。紅白歌合戦をこんなにきちんと見たのは
はじめてだったと思う。2007年の終わりには、まさか来年自分がこんなところにいるなんて
想像もできなかった。
遠くまできてしまった。
涙ぐんでいるんだがいないんだかよくわからない、氷川きよしのつるんとした顔を見ながら、
わたしは考えていた。わたしの正しさって、いったい何なんだろう。

2009年は、2008年に出会えたさまざまな人や、思想や、言葉や、そういったすべてのものに
自分の力でなにかしらの裏づけをしていかなければいけないと思う。
自分に何ができて、何ができないのかをちゃんと知らなきゃいけないんだと思う。
その中で、ひとつでいいから自分がどこに行っても、だれといても、だれがいなくなっても、
「これだ」とさしだせる何かがほしいと思う。
そのためにどうすればいいのかは、実はちょっとよくまだわからない。
とりあえず疑問をそのままにしないこと。

新年早々、個人的なことを書いてしまいました。
あけましておめでとうございます。
ここからはだれなのかわからないのですけれど、今年もよろしくお願いします。
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by mayukoism | 2009-01-09 00:37 | 言葉