坂道考
2012年 01月 28日
暗い部屋で、目を閉じて、もうすぐ眠りにおちるというそのまぎわに、
視覚以外の感覚がすっ、と刃をぬくように尖る時間があり、そういうとき、
マンションの前の坂道を下る、自転車の長いブレーキの音が耳に入ってくる。
どこからの帰りなのか、それともどこかに向かうのか、彼か、彼女か、
思考が言葉になる前にブレーキは遠ざかり、わたしの身体もわたしから遠ざかる。
帰路、マンションの部屋の明りを見あげながら坂道をのぼる。
坂道の向こうには雑司が谷霊園があり、だからというわけではないだろうけれど、
坂道をのぼる、という行為にはちょっとしたトリップの感覚がある。
坂をのぼるとき、うっすらと思いうかべる物語がある。
祖母に聞かされていた「海」をたしかめに、坂道をのぼる少年の短い話は、
たしか、小学校3年の国語の教科書で読んだ。
なぜそれをおぼえているかというと、転校したての小学校で朗読をさせられたとき、
話に夢中になってえんえんと読みすすめてしまい、笑われたからだ。
教科書には「あの坂をのぼれば」の一篇しか収録されていなかったので、
このお話が作者の故郷、新潟県高田を書いた作品集のほんの一部であったことを、
大人になるまで知らずにいた。
「あの坂をのぼれば、海が見える」というこの印象的な書き出しはなんだったっけ、と
調べるうちに再会した。
この話もよく思いだす。
マンションに女を囲う庄治は、「そういう身分になれた」ことに、どこか弾むものを感じている。
そして、坂道をゆっくりのぼるのだ。
「男の花道という言葉がちらちらした。花道は、ゆっくりと歩いたほうがいい。」
はじめて読んだのは中学3年の夏で、ああ、大人ってこうなのか、と思った。
いやではなかった。
ただ読み終えて、坂の下の夕焼けを、制服のままで、並んで見ているような気分になった。
いつか、自分も、こうして、坂道の中途に置いていかれるのかもしれない、と思った。
もうひとつ。
坂道、というと思いだすなぞなぞ。
「世界中の上り坂と下り坂、さてどちらが多いでしょう?」
幼いころ、叔父に教えてもらったこのなぞなぞがわたしは大好きだった。
よくできているなぞなぞだ、と子どもながらに思っていた。
視覚以外の感覚がすっ、と刃をぬくように尖る時間があり、そういうとき、
マンションの前の坂道を下る、自転車の長いブレーキの音が耳に入ってくる。
どこからの帰りなのか、それともどこかに向かうのか、彼か、彼女か、
思考が言葉になる前にブレーキは遠ざかり、わたしの身体もわたしから遠ざかる。
帰路、マンションの部屋の明りを見あげながら坂道をのぼる。
坂道の向こうには雑司が谷霊園があり、だからというわけではないだろうけれど、
坂道をのぼる、という行為にはちょっとしたトリップの感覚がある。
坂をのぼるとき、うっすらと思いうかべる物語がある。
―あの坂をのぼれば、海が見える。
少年は、朝から歩いていた。草いきれがむっとたちこめる山道である。顔も背すじも汗にまみれ、休まず歩く息づかいがあらい。
杉みき子『小さな町の風景』(偕成社文庫)所収「坂のある風景 あの坂をのぼれば」より
祖母に聞かされていた「海」をたしかめに、坂道をのぼる少年の短い話は、
たしか、小学校3年の国語の教科書で読んだ。
なぜそれをおぼえているかというと、転校したての小学校で朗読をさせられたとき、
話に夢中になってえんえんと読みすすめてしまい、笑われたからだ。
教科書には「あの坂をのぼれば」の一篇しか収録されていなかったので、
このお話が作者の故郷、新潟県高田を書いた作品集のほんの一部であったことを、
大人になるまで知らずにいた。
「あの坂をのぼれば、海が見える」というこの印象的な書き出しはなんだったっけ、と
調べるうちに再会した。
トミ子のマンションへ通うのは週に二回だったが、庄治はいつも坂の下でタクシーを降りた。一方通行になっていたからだが、通れたとしてもそうしていたに違いない。そこから先へゆくとメーターが上るのである。
向田邦子『思い出トランプ』(新潮文庫)所収「だらだら坂」より
この話もよく思いだす。
マンションに女を囲う庄治は、「そういう身分になれた」ことに、どこか弾むものを感じている。
そして、坂道をゆっくりのぼるのだ。
「男の花道という言葉がちらちらした。花道は、ゆっくりと歩いたほうがいい。」
はじめて読んだのは中学3年の夏で、ああ、大人ってこうなのか、と思った。
いやではなかった。
ただ読み終えて、坂の下の夕焼けを、制服のままで、並んで見ているような気分になった。
いつか、自分も、こうして、坂道の中途に置いていかれるのかもしれない、と思った。
もうひとつ。
坂道、というと思いだすなぞなぞ。
「世界中の上り坂と下り坂、さてどちらが多いでしょう?」
幼いころ、叔父に教えてもらったこのなぞなぞがわたしは大好きだった。
よくできているなぞなぞだ、と子どもながらに思っていた。
# by mayukoism | 2012-01-28 02:45 | 生活 | Comments(0)

